第1話 公爵令嬢シェルリンの一日(前)
新作始めました。
週一更新ですが、よろしくお願いいたします!
ノックの音共に侍女たちが挨拶をしながら部屋に入ってくる。
いつものようにノックをされる少し前から目が覚めていたシェルリンは、侍女たちが入ってくると同時にベッドから立ち上がった。
三人の侍女が手際よく身支度を終わらせ、シェルリンは朝の食事をするため食堂へ。
三人のうちの一人アンジーは、朝食後の予定がスムーズに進むよう今のうちに準備をしてくれる。
残りの二人、双子のベルとベラとはシェルリンの後ろについて食堂だ。
途中で会ったメイドたちは、シェルリンたちの姿を見ると廊下の脇によけ、頭を下げた。
食堂には長いテーブルに椅子が一つ。
シェルリンが席に着くと、料理長がシェルリンの傍に立ち、料理の説明を始めた。
「本日のオムレツは、左が最近流行っているマルセリア領の名産マルセ鶏の卵を使ったもの、右が王国で一般的に食べられている卵で作ったものです。味の違いが分かるよう味付けはどちらも最低限の塩味で仕上げております」
料理長の説明を聞いてシェルリンが一口オムレツを口に入れる。
「濃厚ね」
「その通りです。こちらをご覧ください」
料理長が合図をして、二種類の卵がシェルリンの前に置かれた。
「一般的に出回っている左の卵に比べてどうでしょうか」
「まずは色ね。左は真っ白なのに対して、右は薄桃色で、そして少し小ぶりかしら」
「そうです。では、割ってみましょう」
「マルセ鶏の方が黄身にふくらみがあるわ。それに小ぶりの割に黄身の割合が大きいのね」
その通りだと料理長が頷き、さらに卵やマルセ鶏の特徴、飼育環境を述べていく。
食事が終わると、シェルリンが料理長にいつものように声をかけた。
「ありがとう、料理長」
「いえ、これもフィッツベルグ公爵家のご令嬢として必要な知識と伺っております。昼の食事は隣国ブランジー国の食事を用意する予定です」
「えぇ、楽しみにしていますわ」
シェルリンにとって食事の場は勉強の場。
幼い頃はマナーを学ぶ場であり、そしてマナーが完璧になってからは、各地の名産や各国の料理を知る勉強の場になった。
王国内外の貴族と話す際に、相手の国、領地のことを深く知らねば、ロイアルマ王国最大の領地を持つフィッツベルグ家の娘として完璧とは言えないからだ。
食後の紅茶がシェルリンの前に届けられる。
卵の違いを講義していた料理長と入れ替わりに、今度は執事のゼルダンがシェルリンの横に立った。
「本日この後は、スナイデン先生をお迎えして魔術学、休憩を少し挟みまして、ダンスと音楽のレッスンをエイミルド先生。本日はダンスと課題曲の確認後、隣国の伝統歌の説明をされるそうです。昼食後は、サポナー先生の社会学、オディエット夫人とのお茶会、フィオリー先生のブランジー語の授業があります」
「わかりましたわ。ベル、伝統歌の練習なので横笛の準備もお願いね。あとゼルダン、オディエット夫人にお出しするために頼んでいたものは大丈夫かしら」
ベルが頷き、ゼルダンも脇にいたメイドに合図をしてお茶会で使用する物を持ってこさせる。
シェルリンは頼んだ物がすべて用意できているか確認し、ゼルダンと午後のお茶会について打ち合わせた。
「マーゼラ夫人から先日の刺繍の講評と次の課題の図案が届いております。明日は旦那様や奥様も戻られますので早めに取り掛かられた方が良いかと」
「そうね」
後ろに控えていたベラがゼルダンからマーゼラの課題を受け取る。
シェルリンの一日は忙しい。
けれど、それもいつものこと。
シェルリンが父バルデロイに会うのは、年に数度だが、バルデロイは会うたびに言う。
「フィッツベルグ家の娘として恥ずかしくないように」
同じくシェルリンが母ケイシーヌに会うのも年に数度だが、ケイシーヌも会うたびにシェルリンに言う言葉は一緒だ。
「フィッツベルグ家の娘として完璧になさい」
その言葉をかけられるたびに、シェルリンはまだ自分がフィッツベルグ家に相応しい娘ではないと感じ、勉学に費やす時間を増やした。
そして、両親不在の間シェルリンに勉学を教える家庭教師たちもまた、まだまだだ、もっと完璧でなければと意気込む。
こうしてシェルリンが学ばなければならない学問は増え、それによってシェルリンはどんどん忙しくなった。
幼い頃、まだ両親が仲が良かった頃は他家の貴族の子供と遊ぶ日もあったが、今やそんな暇はもうない。
父バルデロイも母ケイシーヌも家に寄りつかず、友人とも会う暇のないシェルリン。
そんな彼女が一つだけ楽しみにしていること、それが来年十五歳になると入学できるモンセラージュ学園だった。
シェルリンは、入学すればかつて一緒に遊んだ友人たちに会えるとそれだけを楽しみに日々頑張っている。
◇
魔術学の時間になると、初めに復習がてら各属性の中級魔術を発動させた。
シェルリンの発動させた魔術を見て、スナイデンが講評する。
「最後は少し魔力操作が揺らぎましたが、いいでしょう。このまま自習では中級魔術の精度を上げる練習をしてください」
それからは上級魔術の時間だ。
今日から始まる上級魔術の訓練は、教師のスナイデンも、シェルリン自身も思っていた通り上手くはいかなかった。
シェルリンは魔力が豊富だ。
だが、魔術のセンスある天才というわけではない。
初級の時も中級の時も人の何倍もの時間をかけて練習し、シェルリンはようやく身に着けたのだ。
上級魔術に手こずるのも想像通りだった。
「来年の入学までに上級魔術まで修めましょう。時間がありません。がんばりますよ!」
「はい、先生! 申し訳ありませんが、もう一度お願いします」
スナイデンとの魔術学の時間が終わると、次はダンスと音楽の授業が待っている。
こちらも最初はいつ何時でも完璧なダンスができるよう、ロイアルマ王国の社交ダンスを踊り、現在取り掛かっている課題曲をピアノで弾く。
ダンスはもう問題ない。
綺麗に踊れるまでは、足にまめを作りながら練習し、ダンスと音楽を担当するエイミルドから合格をもらってからはダンスの腕が錆びつかぬよう毎日執事のゼイダンを相手に踊っているからだ。
課題曲にはまた指摘が入った。運指は完ぺきだったが、そちらに気を取られ過ぎてリズムが少しずれているという。シェルリンは、メトロノームの音を聞きながら、何度も何度もエイミルドと繰り返す。
最後に隣国ブランジー王国の伝統歌。横笛はまだ始めたばかり。
案の定シェルリンは、まだまだ綺麗な音を安定して出せない。
「もっと練習しないと……」
シェルリンがつぶやく。
幼い頃からフィッツベルグ家の娘として恥ずかしくないよう、完璧であれと言われてきたからだろうか。
シェルリンは努力の人だった。
ダンスと音楽の授業が終わると、昼食まで少しだけ時間ができた。
シェルリンは部屋に入るとまっすぐライティングデスクへ向かい、今朝聞いた卵の話をノートに書き付け、魔術学の授業で受けた指摘も書き込む。
双子のベルとベラが少し乱れた髪を直し、その間にシェルリンは巻物を机の上に広げ、両手をセットした。
トトントトントトントーントトーン。
シェルリンは巻き紙に描いたピアノの鍵盤の上で指を動かす。
なるべくさっき聞いた音をイメージしながら、エイミルドのアドバイスを思い出しながら。
シェルリンや彼女の両親は気がついていないが、この少しの時間も無駄にしない程の努力が、シェルリンを押しも押されもせぬ完璧令嬢に押し上げていた。
どうでしたでしょうか。
来週はシェルリンの一日後編。
少しは楽しそうだと思って頂けたら嬉しいです。
では、また来週。