転生者に体の主導権を奪われた傲慢王子の選択
アントニオは目を覚ますと、暗闇の中にいた。
世界から星の加護が失われたような、無限に広がる黒。しかし寒さに苛まれる事もなく、光の下のように自身の姿を見れる、奇妙な場所だった。
「誰か! 誰かいないのか!」
「おう、いるぞー」
呼びかけに応えたのは、今まで聞いた中で最もぞんざいな返事。
「こっちこっち」
お前が来いと言わんばかりの物言いに、アントニオの眉は嫌悪感で歪む。しかし、返ってきた反応はその無礼者しかいないらしい。歯噛みしながら声の方向へ歩き出す。
(ここは、どこなんだ)
歩いても、足音すら響かない。
声の方角に向かっているはずなのに、進んでいる実感が湧かない。
鈍る体の動きに対し、心臓は無意味に忙しない。
「おーい、遅いぞー。お前抜きでさっさと進めちまうぞー」
「ぐ……」
不遜な声の存在は、この奇妙な空間にいる原因かもしれないというのに。不覚にも、安堵してしまった。苛立ちを誤魔化すために、アントニオは駆け出した。
そうして辿り着いた先も、暗闇だった。
しかし、光源が二つ。近付いていけば、窓のような四角と、ランタンのような丸く広がるものだとわかった。
二つの光の前には四人は座れそうなソファ、その真ん中に腰掛けている広い背中が一つ。
「やっと来たか」
男が振り返る。
ぼさついた黒髪、荒れた肌、瞳孔の動きが読めない深い黒の双眸と向かい合ったアントニオは、全身を強張らせる。
この空間の主だと言われれば納得出来る漆黒の化身に、喉が張り付いて声が出せない。
何の反応もしないアントニオに、男は溜息を吐いた。
はぁ、ではなく、はぁぁぁ~~と、無駄に長々と、心底呆れ果てた溜息を。
「お前さ、これどうなってんの?」
指差した四角の光源に映し出されていたのは、見慣れた王城の庭園。そこには婚約者のシャルロット、そして――アントニオの姿があった。
「……は? な、何だこれは」
「倒れたお前の見舞いに駆け付けてくれた健気なシャルちゃんと、中庭でお散歩中。で、彼女は言うわけだ」
男が手元には見覚えのない小さな装置。
アントニオがその装置について尋ねるよりも男の手捌きの方が早かった。指先だけで容易く動く小振りなレバーを傾け、浮き沈みする丸と四角の突起を押し込む。
『思い悩むことがあれば、一緒に悩ませてくださいね』
「……!?」
すると、シャルロットの声が聞こえてきた。
彼女はずっと、泣きそうな顔で口を結んでいるというのに。
「で、このシャルちゃんの言葉に対して返した言葉がコレ」
『お前の父親が、そう媚を売れと言ったんだな。ご苦労な事だ。次期王妃から、ただの婚約者候補には戻りたくないか』
続いて聞こえてきた高圧的で敵意に満ちた声は、アントニオのものだった。
大きく目を見開き困惑するアントニオの視界に、顔を顰めた男が入り込む。ソファから立ち上がった男が上から覗き込んできたのだ。
「どう思う?」
「ど、どう?」
「婚約者が心配してくれたら嬉しいとか、男心にグッとくるとか、胸にくるもんがあるだろ! だのに、お前の返答はコレ! どうなってんだ!」
主張しながら男は装置を連打し、その回数分アントニオの声が再び流れる。
暗闇の中、知らない男に詰められて、言った覚えのない言葉が何度も繰り返される。訳のわからない状況に、アントニオは眩暈がしてきた。
『……申し訳、ございません。私はここで』
「言ってる間に時間制限が! 引き留めッ……いや、絶対また余計な事言うか……」
堪える声と青白い顔で何とか淑女の礼を残し、シャルロットが庭から立ち去った。
男は慌ててアントニオから離れ、装置を持ち直すも結局項垂れて肩を落としただけだった。
「はぁ、とりあえず部屋に引き篭もるか。黙ってれば問題も起こすまい」
「――おい、まて」
気を取り直して装置を動かし始めた男の腕を掴む。しかし、男は静止を物ともせず無心で操作し続けている。
光源に映るアントニオは、男の指に合わせて庭から自室へと向かい始めた。
その光景に嫌な予測が高まり、背筋を這うゾワゾワとした悪寒も比例して強まっていく。
「まて、待てと言っているだろう!」
「部屋に着いてからな」
「――このッ!」
元凶は、この装置だ。
直感を信じてアントニオは男の手から装置を奪い取る。
しかし手に収まった瞬間、装置はアントニオの元から消え、再び男の手元に収まってしまった。
「……まぁ、そういう事だ。ちょい待っとけ」
呆然と空の両手を見下ろすアントニオに、男は目を眇める。淡々と言い捨てながらソファに腰を下ろし直す。真ん中ではなく、片側に寄って。
男と反対側の端に、アントニオも居心地悪く腰を落ち着けた。
カチ、カチ。装置を動かす音だけが響く。
話しかけてくる使用人達を無視し、自室の寝台に寝転んだところで、ようやく男は口を開いた。
「何からどう説明したら伝わるかわからんが、ここはお前の心の中。俺は別の世界からこっちの世界に転生してきた。そんで宛がわれたのが、この国の第二王子であるアントニオ・アーガイル、お前の体だった」
「……お前が何者かはどうでもいい。知った事ではない。だが私は、自らの体を他人に差し出した覚えはないぞ」
「そりゃそうだ。喜んで差し出す馬鹿はいねぇ。だがこの通り、お前の体は今、お前の意思で動かす事は出来ない。『コントローラー』が俺の手元から離れないのが、その証拠だ」
そう言って男は手元の装置――コントローラーをアントニオにゆるりと放り投げる。結果変わらず、男の手元に戻った。
アントニオは常軌を逸した不条理に、煮え滾るような怒りを覚えた。しかし、何もする事が出来ない。その事が余計に腹立たしく、ソファに爪を立てながら男をねめつける。
「そう睨むな。俺だってこんなクソゲー仕様の体、操作したくねぇよ」
「クソ!?」
「見舞いに来たシャルちゃんに『労う』を選んだら、出てきた台詞がアレ。他の選択肢は『黙る』か『追い返す』で論外。言動は制御不可能とか、控えめに言って超絶クソ」
人の体を奪っておきながら、喜びもせず出るのは文句ばかり。
アントニオが言葉を失ってる間も男は「固定カメラ位置も悪くて誤操作で何度も部屋に出入りしちまうし、あと――」と悪態は続く。
知らない単語の羅列が、男が別世界の存在だと物語っていた。
「……どこに行くんだ?」
「こんな場所にいられるか! 出口を探す!」
「頑張れ」
「〜〜っ!」
一刻も早く現実に戻って、体の主導権を取り戻さなければ。
アントニオは勇ましく闇の中を駆け出し、男はその背中を見送った。
「おかえり。なんもなかっただろ」
「…………」
男の言う通り、アントニオは何一つ見つけられず戻ってきた。
出発前の勢いが完全に消沈したアントニオを見て、男はソファを叩いて座るよう促す。
「切り上げまで大体半日か、決断が早い。俺は四日くらい粘ったせいで、体を昏睡状態にしちまったからな」
「……言えば良かっただろう」
「見せた方が話が早い」
何もしなかったのは、主導権を奪い返されまいとする抵抗や余裕などではなかったらしい。
再び一つのソファに並んで座り、沈黙が流れる。
「俺の世界でこういう状況は、用意されている物が閉鎖空間からの脱出路になってる。何かあるはずだ、つーかあってもらわないと困る。お前も協力しろ」
「私に私の体を好き勝手される様子をただ見続けろと?」
「交代出来るまでは待っとけ」
これまでアントニオが握っていた主導権が今、男の手番になっているため取り戻せないと言う事だろう。苦い推測を飲み込んで、アントニオは頷く。
取り返した後、この男は始末しよう。
そうすれば二度とこの事態は起きまい。
「まず、シャルちゃんの攻略からやってみるか」
「――はっ? こ、攻略? いや、何故そこでシャルロットなんだ?」
「関係性の悪い婚約者との和解は鉄板だから」
「私は和解するつもりなどない!」
「はいはい、女の子と喧嘩して謝るなんて格好悪いよな。お年頃だもんな、よちよち」
「おい、私を誰だと心得る、アーガイルの次期王――頭を撫でるな無礼だぞッッ!!」
傲岸不遜、傍若無人の第二王子、アントニオ・アーガイル。
彼が幼い我が身を謎の成人男性に乗っ取られた、八歳の時の出来事である。
+×+
「色々あって扱いが我儘王子から寡黙王子になって、周りの印象も少しは良くなったな」
「鍋一杯の熱湯を庭に放ち、よじ登るために壁に穴を穿ち、槍を三本咥えようと試みた様々な奇行を経て、出した結論がそれか!?」
「だって出来るって画面に出たらやるだろ。RTAバグ技の気配感じたんだよ。あれからシャルちゃんに全然会えねぇし、色々試すしかないだろ」
「私の体でさらに恥を重ねるつもりか! 今すぐ死んでコントローラーを渡せ!!」
「残念だな、俺はもう死んでいる!! 死者を殺せるようになってから出直しな!」
アントニオ、九歳。
その後大きな進展無し。
『うひー! 殿下サイッコー! 先日バルコニーを片足でぶら下がった時に比べれば刺激的要点はやや下方ですが、特異性得点適用ですっ! それは一体何の伝承の再現なんですか!? ねぇ殿下!』
アントニオの傍で腹を抱えて下品に笑い悶える子供が一人。
服が汚れるのも厭わず地面を転がる姿は、貴族として見ていられない様だ。アントニオは眉を顰めるも、現実のアントニオは真顔で見下ろすだけだ。
「あんま気にすんなよトニオ。ほら、チャリくんは絶賛してんぞ。良かったな」
「何も良くない! お前せいで、公爵家の痴れ者に纏わりつかれて迷惑にも限度がある! 何とかしろ!」
「まぁチャリくんなら『追い払う』をしても……」
『私は次期王、不敬だ』
『ヒィ――! 殿下勘弁してそのまま喋っちゃ腹イタタタ!!』
「よし、大丈夫だったな!」
「今すぐ騎士に命じてチャールズの首を落とせーッ!!」
「いやん、トニオちゃんこわい!」
状況は悪化の一途を辿り、未だ主導権を取り戻せる気配がない。
+×+
アントニオ、十歳。
『チャールズと仲良くやっているようだね、トニー』
『兄上の目まで節穴では国の行く末が思いやられる。やはり私が王位に相応しい』
『また降りられなくなったのかい? 隠れ鬼に全力で挑むのは悪くないが、登るなら自力で降りられる高さまでにするんだよ』
「エンッ! ありがとぉお兄ちゃまっ! 見つけたのが執事とか騎士団長だったら、まーた長々お説教コースだったよぉ!」
「気色悪い声を出すな吐き気がする!」
その日もチャールズに追い回されていた。最近は上へ逃げ隠れれば高確率で撒ける事がわかり、高ければ高いほど成功するので、つい今日と同じように限度を越えてしまっていた。
身動きが取れなくなったアントニオを難なく下ろしながら、十八歳の兄――クルトは柔和に微笑む。
『ふん、妾の子風情が。感謝してやろう』
『最近はお前のその口の悪さが、妙に愛らしく感じるよ。立てるか?』
「何故礼なんて言わせた! 早くこいつの手を振り払え! 選択肢に出てるんだろッ」
「お兄ちゃまが妾の子だからか?」
「そうだ! こいつがいるから……!」
長らく子宝に恵まれなかった王の第一子、優しくて優秀で有望な第一王子。
どちらが王位に相応しいか明確だが、せめて正妃の子であれば――お前が妾の子であれば。お前がもっと早く生まれてさえいれば。聞き慣れた耳障り。
全部、兄さえいなければ。
「お妾さんつったって没落した元貴族だろ、卑しい生まれ扱いすんなよ。それに、クルトがいようといまいと、お前はバカのクソガキだって事は変わらんぞ」
「バッ、クソ……!?」
「ゴミの欲張りセットすんな、どっちかにしろ。俺はクソなガキより、バカなガキの方が好きだ」
画面に映る選択肢は二つ、『拒絶する』と『身を任せる』。
なんだ、やっぱ甘えてるだけだな。
男はアントニオの当たりの強さに納得しつつ、バカなガキの方を選択する。
『……? あれ、そんなに怖かった?』
「っ……おい! 早くこいつからッ」
「逃げんの?」
「そんなんじゃ……っ!!」
抱き上げたアントニオの体が柔らかく、重くなる。
触れたら暴れられる事に慣れたクルトは不思議そうに、少しだけ困ったように無表情の弟を見上げる。
『……誰かに何か言われたか? お前は王に相応しくない、とか』
「そんな、ものは――」
今に始まった話ではない。
生まれた時からずっと、呪詛のように注ぎ込まれた言葉だ。
「……お?」
堪えるように拳を握り込むアントニオからモニターに視線を移した男は、出てきた選択肢に目を見張る。
――『怒る』と、『打ち明ける』。
込み上げた期待に微かに開いた口を、引き締めて。初めて現れた選択肢を選ぶ。
『……わかっている』
現実のアントニオは重そうな瞼で、心の内ですら飲み込んだ諦念を、本人の意思を無視して吐き出す。
「ッま! 止め――!」
『皆から次代の王に望まれているのは兄上で、私が王位に就く事を望む者が求めているのは、《煽てるだけでいい愚王》だと』
『……そうか』
微かに息を飲んだだけで、クルトの穏やかな表情は変わらない。
アントニオを地面に下ろしたクルトは膝を折り、目線を合わせながら問いかける。
『アントニオは、どんな王になりたい?』
『どん、な?』
『そこで答えに迷っては駄目だ。我々王族は国の基盤、脆さを見せれば付け入られる』
そんな事を言われても、とアントニオはさらに言葉を詰まらせる。
そうなれと言われ、そうでなければ価値がないのだと生きてきて、何故と問われても答えに困る。
黙り込むアントニオにクルトは笑みを深める。
『陛下から私を立太子する話をもらい、保留にしていただいていたが、――私はこれを受けようと思う』
「……え」
立太子――つまりクルトが、次期王として後を継ぐ。
同じ王位継承権を持つアントニオの預かり知らぬところで、勝手に話が進んで、終わっていた。
『どうしても王位を望むなら考えなさい。覚悟が伴わないものなら、私はお前の願いを終わらせる』
『…………』
『無理をして王にならなくても良いんだ、トニー』
「――まぁ落ち着けよ」
愕然とするアントニオに、男は声が震えないよう努めて言葉を選ぶ。
何せ画面に現れた選択肢は『暗殺を依頼する』のみ。こんなもの選べるわけがない。
「落ち着け? こんな侮辱を受けて、落ち着けだと!?」
「だって今の話、お兄ちゃまの妄言かもしれないぜ? 確証なく短絡的に結論を出すなんて、それこそ王に相応しくない、だろ?」
「それはっ……そう、かもしれないが、」
怒りは継続しているが、切り口は悪くなかったらしい。
一つだけしかなかった選択肢の下に『探りを入れる』が新たに追加された。よしよし、と男は内心安堵の息を零して選択する。
『私に殺されると考えないのか? 兄上は』
何が探りを入れるだ、ド直球に煽ってやがる。
選択肢を変えようと言動は変えられない。安定のクソシステムに男は頭を抱えたが、選択は下された。もう覆らない。
『……そうだね』
クルトは微笑を崩さないまま関心を零し、立ち上がった。
その目はどこか愉しげに、暗くきらめく。
『ならば、こう答えよう。無論、想定内だよ』
『返り討ちにする算段があったと?』
『そんな必要はない。実際、王が私でもトニーでも大差はなく国は回る。どちらに転がっても良かったけれど――どうせなら、お前の手で殺されてみたかったかな』
『は?』
『実力や実績の証明ではなく、命を奪わなければ王にすらなれないなんて負けも同然。つまり私を殺めたらトニーは生涯、私に負け続ける事になる。堪らないだろう?』
「…………」
「…………」
『しかし驚いたな。早々に刺客を送ってくると考えていたが、――私の愛しい弟、一体何を企んでいる?』
「離れろー!!」
「ラジャー!!」
この瞬間、心は一つになった。
男は全身全霊をかけてコントローラーをさばく。最初は不慣れであった動作も、この二年で理解を深め、技量を上げた。素早く中庭から王城に逃げ込む、最速記録だ。なお、それを追う影も速い。優秀で有望な第一王子は俊足でもあった。
「なんなのお前のお兄ちゃま!? どういう感情なの怖すぎるんですケドォッ!!」
「知るか! 知りたくもない! 余計な事考える暇があったら逃げ切った後どうするか対抗策を――」
『殿下みーつけたっ! 今日はどんな遊びを』
『チャールズ、ちょうどよかった。トニーを捕まえるのを手伝ってくれるかい?』
『うひー! なんかよくわからんけどワクワクしてきたんで了解っす!』
全力で逃げた。それ以上は何も語りたくない。
+×+
アントニオ、十一歳。
『……お久しぶりです、殿下。突然の訪問にご対応いただき、感謝申し上げます』
丁寧に一礼する様は、三年前より洗練された所作になっている。
シャルロットは緊張した面持ちでテラスの椅子に腰かけ、用意された紅茶を口にする。静寂の中、恐る恐る話を切り出した。
『その……手紙は、読んでくださりましたか? 何度か、お送りしたのですが』
『手紙? 私の元に届いていないが』
「……まさかシャルちゃんの手紙ってお兄」
「やめろ口にするな湧くぞ」
犬猿の仲であろうとも、共通の敵が現れた時、団結力は発揮する。
アントニオと男の間にも、同じ恐怖を味わった同志として、あるいは三年という期間を経て、妙な連帯感が生まれていた。
『……だからお返事が、てっきり、もう――』
ほ、とシャルロットの口から小さく、安心したように吐息を一つ。
そして、恥じらうように頬を染めながら、彼女は訥々《とつとつ》と語り始めた。
『八年前。初めてお会いした日を、覚えていますか? 私は酷く緊張していて、殿下と顔を合わせた時に……粗相を。それを見た殿下が『汚い』と飲んでいたジュースを私に浴びせた事を』
『ああ、非常に不愉快だった』
『ふふ……はい、わかっています。私を庇ったのではなく、本当にお怒りだったと。それでも、貴方は理由を黙っていてくださった。事実を話せば、きっとあんなにも怒られずに済んだのに』
『……急に何の話だ?』
『お手紙が届かなかったようなので、その内容を。……私が三年前に、お答えできなかった言葉を、改めてお伝え致したく』
緊張を細い息と共に吐き出して、シャルロットはアントニオを真っ直ぐに見つめる。
『貴方の不器用な正直さを、私は愛しています。今も変わらず』
『……』
『次期王妃なんて関係なく、アントニオ様の婚約者でいたい。貴方を支えたい、と……あの時は、何を言っても父の言いつけだと疑われてしまうと思って、何も言えませんでした。しかし卑怯ですが、今なら、と思いまして』
先日、第一王子が正式に王太子となった。
第二王子が王座につく可能性は限りなく低くなった今ならば、想いが正しく届くのではないか。そうして逸る気持ちを抑えられず、シャルロットはアントニオの元へやってきたのだ。
『信じてくださいますか……?』
画面前の男二人は同時に涙ぐむ。
「不思議だ……あんなにも疎ましかった奴が、愚直で健気でまともな存在に見える……」
「だから言ってたろ……シャルちゃんは健気……いや、でもマジくる、荒んだ心にピュアが効く……」
見る目のなさが危ぶまれるが、傲慢王子も随分と変わった。
変人に絡まれ、異母兄の強烈な側面と向き合い、アントニオの幼く歪み切った固定概念の矯正に役立った。なお附属する難題が多く散開している点は目を瞑る事とする。
「……抱きしめたい」
アントニオの口から溢れたのは気恥ずかしさを含んだ、本心だった。
いじらしい細い肩に触れたい。しかし、それは叶わない。何故なら主導権は――。
「え?」
この三年間、何度も奪い取ろうと失敗し続けたコントローラーが、前触れもなくアントニオの手元に収まっていた。
「あー、今か」
アントニオが驚きを隠せない反面、男は一仕事終えたように清々しく達成感を吐き出す。
「いやーやっぱ俺が正しかったわ。他人が成り代わらなくても、正しく選択すれば運命は変えられる。やっぱ神って雑でクソだわ」
「お、おい、これは一体……」
「破滅の運命回避おめっとー。これでオールクリア。外に出る、というか元に戻れるぞ」
ほれ、と男が指差す役目を終えたランタン、モニター、コントローラー。アントニオの体さえ光に包まれて、消滅しようとしていた。
男だけは暗闇の中で変化はなく、唯一残ったソファに座り直す。
「まて、待て! 神とは、運命とは何の話だ!? この輝きが帰還の導きだと言うなら、何故お前だけ――」
「もう全部終わった話で、この体は最初から最期までお前だけのもんって事。俺はまぁ、とっくの昔に死んだ奴って事で」
転生者――死者。宛てがわれた体。
混乱する頭にそれらを総括するたった一つの答えが、稲妻のようにもたらされる。
「まさか……私の体を乗っ取れなければ、お前は、消えるのか?」
「お前が生きてる間は体に残るんじゃね? でもここの声は外に漏れねぇし、モニターも消えた。気持ち悪いだけで何の心配も、」
「ならお前は……ッこんな、何もないところで――!」
「……。ほんそれなー、マジで乗っ取らなくて大正解。子供押し除けて外で新しい人生とか、クソッタレすぎ。お互いクソ運命回避でウィンウィンじゃん」
アントニオはこの場所で知った暗闇の中の孤独を、小さな明かりと話し相手がいた安堵感を覚えている。
それなのに、この男には導く声も明かりもなく、死者らしく眠れとソファしか残されない。花一つないそこは、棺桶よりも寒々しい。
「まぁ気にすんな。俺はわりと満足してる。色々だりぃ事もあったし、お前からしたらふざけた話に聞こえるだろうけど、――友達とゲームしてみたいで、ずっと楽しかったわ」
(ああ――だからお前は、頑なに名乗らなかったのか)
主導権をアントニオに返還し、男は残留する。
最初からこの結末を見定めていた男は、何も残さない心算だったのだ。
「プライド優先して選択間違えんなよ。それだけで、お前は幸せになれる。じゃあな、トニオ。元気に生きろ」
見慣れた不遜な態度、また明日すぐに会えそうな砕けた振る舞い。
アントニオが最後に見た男の姿だった。
+×+
ルネ、三歳。
「……は? いや、まて、なんだこれ」
ルネには生まれた時から奇妙な記憶があった。無限に続く暗闇の中、誰かと遊んでいる光景。
それはかつて第二王子、アントニオ・アーガイルの体に憑依し、紆余曲折を経て元通りにした、転生者の男の奮闘の出来事だった。
いつかアントニオの死と共に消滅するはずだった亡霊が、現実世界の子供の体に入り込んでいる異常事態に男――ルネは狼狽するが、それはすぐに終わる。
「ああ、ようやく認識と体が馴染んだか。久しぶりだな」
話しかけてきたのは、見上げるだけで首が痛くなりそうな長身の男性。知らない声だったが、話し方と顔立ちに既視感を覚える。
「……まさか、トニオ?」
「ふん、相変わらずだな。しかし今は立場が違う、私の事は父と呼べ」
「父ぃ!?」
ルネは思わず驚愕したが、しかしそうだった。
すっかり成長して見違えたアントニオは自分の父であり、大事に庇護されていたのを覚えている。だからこそ、顔から血の気が引いていく。
「――なん、で、俺はお前の子供の体を奪おうなんて、」
「当然だ、私がそうした」
「は?」
「何、私は偉大である。同時に頭だけが取り柄のボケや、性格以外は有能な王である異母兄、そして理解力が天元突破した愚かな妻がいた。それらの知力、権力、人脈を結集さえすれば容易い事だ」
「あー、俺が転生チートで何やかんやした感じでお前も王族チートでどうにかした感じか。そりゃ容易い――わけあるか! マジであの二人を頼っちゃったの!? 何やらかしてんだよ! っていうか妻ってシャルちゃんだろ!? あの子だけはまともだと思ってたのに! うすうす感じてたけど貴族全員やべーやつなんじゃないの、終わってんだろこの国!!」
「戯言を抜かせ。世界幸福度指数で我が国は上位に位置する」
「既にあたおか共の桃源郷だった」
頭を抱え込んだルネに対し、アントニオは顔を顰める。
それは大人らしくない、幼子のように拗ねて不満を表面化したものだった。
「お前が、――私の呼びかけに、応えなかったのが悪い」
「そんなことのために……お前の、自分の子供だろ。シャルちゃんの子供でもあって……何考えてんだ。どうするんだ、もし元々この体の中に子供がいたとしたら、俺のせいで――!」
「それが何だと言うんだ。お前が、私の子を見捨てるはずがない」
あまりにも傲慢で、傍若無人な断言に、ルネは許されたような気持ちを抱いてしまった。
心残りがなかったわけではない、納得はしていた。あとは静かに風化していくだけだと覚悟を決めた身には、苛烈な信頼が、望まれる気持ちが、苦しすぎる。
(そう、在れるだろうか)
ルネは恐る恐る顔を上げた。
アントニオは剛胆な笑みを浮かべている。己の発言に、男の在り方に、露ほども疑いを抱いていない様子がありありと感じ取れた。
「亡霊なんか助けて……後悔しても知らねぇぞ」
「問題はない、――選択さえ誤らなければ、私は幸福で在り続けるからな」
どうしてこうなった。
転生者は照れ隠しで、小さくぼやいた。
終
最後まで読んでくださりありがとうございます。
気に入ったいただけたら、ブックマーク、評価、いいねを頂けると今後の励みになります。