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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集

雛がかえるとき

作者: 佐藤朝槻

 

 俺たちが電車に乗ってすぐのこと。


「夏にこのトンネルを通ると天使が現れて、願いを叶えてくれるらしいよ」


 と彼女は声を弾ませた。


「へぇ」

「興味ない?」

「ない」

「えー!」

「俺は君がいるだけで十分だよ」


 彼女は口角を上げたが、目蓋は無理して震えていた。付き合ったばかりの頃は嬉しそうだったのに。


「今日のデート、残念だったな」


 耐えかねた俺は話題を変えた。


「どうして? 私は楽しかったよ」

「花火大会、中止になったし」

「でも屋台のたこ焼きも焼き鳥もおいしかったよ。花火は来年行けばいいじゃん」

「それも、そうだな……」


 このときの俺は、彼女の気持ちも未来の絶望も露知らず相槌を打っていた。

 


   ◯



 2年後の8月。

 俺は入院中の病院から抜け出した足で、駅に向かった。切符売場にたどり着き、「○○駅まで」と喘ぐように発した。雫がまつ毛に落ちて視界が歪む。


「何名様ですか」


 駅員の質問に、俺は人差し指を立てて見せた。病院の脱走者ゆえ、なるべく声を出したくなかった。


「10時発になります。料金は――」


 俺は震える手をポケットに突っ込む。駅員の前に出した金は入院してから盗み貯めてきたものだった。

 切符が目の前に置かれ、「ありがとう」と笑ってみたが反応なし。一瞥すると、駅員は怪訝な表情を浮かべていた。不快。俺は盗みとるように切符を受けとり電車に逃げ込んだ。


 車内の自販機でジュースを買い、指定席に腰を下ろす。通路を挟んだ横の席ではスーツ姿の男がタブレットを眺めている。

 俺も携帯があればよかったのだが、実家に帰る時間と金までは確保できなかった。

 改めて、今回の脱走は無計画にもほどがある。金をくすねたときも、病院を抜け出したときも、迷いはあった。

 それでも、あの噂を確かめたい。

 電車は、いよいよトンネルに入る。耳は圧迫感を覚え、肺も苦しく、骨の奥で疼く心臓が騒がしい。

 俺は目を閉じ、祈った。

 お願いします。彼女に会わせてください。



   ◯



 目を覚ますと眩しかった。トンネルを抜けたようだ。

 しかし外の風景は、俺の知るそれとは違い、空と海の世界だった。

 窓に近寄ろうとして、足が動かないことに気がつく。花火の形をした花が床を埋め尽くし、俺の足に絡みついていた。周囲に羽根が落ちているのも気になった。通路を挟んだ席を見たがサラリーマンの姿はなく、誰の声も聞こえない。


 もう一度、窓のほうに目を向ける。

 俺の背後に白い何かがうっすら見えた。

 羽根?

 瞬間、肩甲骨に違和感を覚える。羽根が突如、動き出したのだ。足に絡みついた花を引きちぎる。体は宙に浮くも制御できず、網棚、椅子、天井、窓へと衝突し、気絶するように電車の扉前で倒れた。

 息を整える間もなく電車も止まり、扉が開かれる。

 大きくて白い羽根を持つ天使が立っていた。顔は見えないが彼女だと直感した。


「……久しぶり」


 天使は俺を無視して羽ばたき、俺も飛び立った。天使と日光が重なり目が眩む。

 天使を追いかける途中、近くで熱を感じる。

 花火が上がっていた。


「噂は本当だったんだ」


 俺は、彼女と花火が見られなかったことを悔やんでいた。いや生前から彼女を、彼女との時間を大切にするべきだった。それに気づいたのは昨年、彼女が事故に遭ったとわかってから。普段なら駅まで送るのに、あの日は送らなかった。なぜだったか思い出せないまま、彼女のいない時間が増えていった。彼女の後を追おうとした俺を親が入院させ、今日まで生きてきた。けど、それも限界だ。


 天使に追いつく寸前、俺の背中が熱を覚えた。花火が羽根にあたり、燃え移ったらしい。

 俺はバランスを崩し、ひとり落下する。その風で火はさらに大きくなって炎となり、息が詰まった。


 きっと、これでいい。君と花火を見ることができた。それだけで十分。せめて君には線香花火みたく、きれいに映ればいいな。

 俺は薄く目を開ける。

 天使が落ちる俺を追いかけながら涙を流していた。


『雛くんが私の笑顔を見たいように、私も雛くんの笑う顔が見たいんだよ。怖がらず、ちゃんと見て』


 ……そうだ。あの日、彼女しか見ようとしない俺の態度が彼女を泣かせてしまったのだった。困惑し、動揺した。だから彼女を駅まで送ることができなかったのだ。

 羽根の燃える音が耳朶を打つ。後悔を胸に深く突き刺すように。



   ○



 再び目を覚ますと、見慣れた天井があった。病院だ。

 看護師が俺に気づいた。


「お名前、言えますか」

「……長居雛」

「長居さん、どこか痛むところはありますか」


 ――怖がらず、ちゃんと見て。


「背中が痛いです」


 俺は看護師を見つめ、答えた。


「横を向けますか? 失礼します。……火傷かな。先生呼んできますね」

「すみません」

「大丈夫ですよ」


 看護師は目を細めて笑った後、病室を出ていった。

 ちゃんと見たよ。見ていくよ。

 窓外には涙が乾きそうな夏空が広がっている。さみしくて、あつくて、温かった。

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