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「でもこういうのって、再生したら停止できないんじゃないっすか。もしも途中で先輩に危険が及んだ場合どうするっすか?」
「ん」
円は内職が終わったら涼しい部屋で睡眠するために持ってきていた、耳栓とアイマスクを三角に見せた。
「そんな原始的なものでなんとかなるもんすかね」
「逆にイヤホンとかだと、侵食してきそうな感じしない?」
「あぁ、じゃああたしは電子機器がないとこに避難しておくっすね」
「一応お互いの声が聞こえる場所にはいた方がいいかもね」
「それもなんか幽霊が声真似フラグみたいで嫌っすねぇ」
「言い出したらきり無いわよ。見終わったら私が部屋から出るから、あんたは十分後にノック三回して入ってきなさい。私がノックを三回返すまでは入っちゃだめだからね」
「なんかエッチっすね」
「どこがよ。ほら、さっさとする」
「はーい」
ルームパンツのポケットから携帯をクッションの上に投げ捨ててから、三角は出て行ってしまった。足音が遠ざかっていくのを確認してから、円は再びモニターに向き直り、ヘッドフォンをつけた。
『見たら死ぬ動画』それが三角にしか効力がないと再生前に判別はできたが、三角の言う通り、再生後に円自身に危険が及ぶ可能性も無いとは言えないのだ。有名なテレビから出てくる幽霊も、着信拒否してもかかってくる電話も、全ては創作なのだ。だが、これは現実で、未知の一端に触れようとしている。
マウスを握る円の手が緊張して強張る。
落ち着かせるのと、意気込むために、大きく深呼吸をして、左クリックを円は押した。
カチリとマウスの軽い音がした。URLを開くと、三角のパソコンに入ったメディアプレイヤーが独りでに動画を再生していく。
動画の時間は下のシークバーから見るに三分程度の動画だった。十秒ほど、円の顔を反射させる真っ暗な画面が流れた後に、突然色のついた画面へと変わる。
碧い海の映像だった。さんさん照りの雲一つない青空が眩しいどこかの浜辺で、流木や太陽光を反射させるプラスチックゴミが目立つ。遠くには海岸線だけがある浜辺。島は陸が見えないので、入り組んだ浜ではなく、ゴミのラベルからすると国内なのだろうとも理解できた。
波の音だけが妙にうるさい映像だ。鴎の鳴き声も、風の音も、虫のさざめきも、人の声も、機械の駆動音さえも一切しなかった。音として存在するのは波が砂浜に打つ音。
円は画面を注視しながら、バイノーラルにも感じられる波の音を聞き続けた。
画面からの情報はカメラがハンディカメラではないということ。手に持っているにしてはブレがなく、砂浜と海岸線が見える位置だとすれば、成人女性でも座っていないといけないくらいの高さである。
つまりは、この映像は脚立か何かに乗せられたカメラで撮られていると推測できた。それでも風を感じられないのは音のせいなのか、カメラが安定しすぎているせいなのかは円に判別はつかなかった。
「えっ?」
一分程波が打つ映像を見ていると、急に画面が揺れ、半分が砂浜だけを映し出し、もう半分はピントがずれた海を映し始めた。
どうやらカメラが落ちてしまったらしい。だけど三十秒経っても誰もカメラを正しい位置へと戻そうともしない。そもそも気配などしないのだ。隣や後ろに誰かがいるのかと円は考えたけど、呼吸音すら一切しない。
動画は三分にさしかかろうとしていた。『見たら死ぬ動画』なのだ、映画のように壮大なオチが待っているのだろうと予測した円は、更に目を見開いて、動画を見続ける。すると、そのまま動画が停止した。
「ん?」
肩透かしという言葉が適しているのだろう。シークバーが語る通りに、動画は終了してしまった。どこかの砂浜の波の音を三分間聞くだけの動画。変わった瞬間はカメラが転倒するアクシデントくらいだった。
円は考える。これはもう一度見たら内容が変わっている動画とかじゃないではないか? と。そうじゃなくても、全体を注視していたから何かを見逃している可能性もある。
しかしもう一度再生する前に、一度三角の安否を確認しにいくほうが先決だろうと円は立ち上がって、少し汗ばんだ手でドアノブを回そうとする。
ぬるんと汗で滑った。自分が非力なのは知っているが、緊張しすぎてドアノブを握る握力さえも無くなってしまったのかと錯覚するが、どうやら違うようだ。
ドアノブが回らない。右へ左へ回しても、中に何かが詰まったかのように、ドアの機構が動かない。無い力を最大限に入れようにも、ピクリとも動かない。押して引いても、壁のように動かない。試しにドアにタックルしてみると、ビクともせずに、肩が外れそうになったので、もう二度とやらないと決めた。
「なるほど。閉じ込められたって訳か・・・」
三角を呼ぶわけにもいかないので、この怪奇現象を自分で解決するしかないと円は腹をくくる。
パソコンの前にまで戻ると、キーボードのキーキャップが外された左CTRLと左ALTの間にあるボタンを押して、電源ボタンをクリックしてシャットダウンを試みるも、シャットダウンボタンを押すと『見たら死ぬ動画』の動画が前面に表示される。どうやらシャットダウンボタンと『見たら死ぬ動画』の判定が同じにされているようだ。嫌がらせ目的のウイルスとどっこいどっこいだな。と円は思った。
パソコン内で処理できないなら、物理的に消してみるかと思い立つ。どうせ自分のパソコンではないので直接電源ボタン、もしくはリセットボタンを押して、シャットダウンさせるのは億劫ではない。ウイルスに対しては悪手なのかもしれないけど、怪奇現象に対しては好手かもしれない。
電源ボタンを押してみるも、何も起こらない。連打しても何も起こらない、長押ししても何も起こらない。これはパソコンを使いこなせていない円が悪いのかは判断できない。
それでも電化製品には致命的な弱点がある。コンセントを抜く。根本である電気というエネルギーを供給させなければ、これは箱に高性能な基盤が入った物に様変わりする。
パソコンの電源ケーブルを辿って、机の下にあった電源タップに刺さっているコンセントを抜いた。机の下から顔を出して確認すると、机の上はまだモニターの光に照らされていた。パソコンも小さく唸っている。
「最近のパソコンは予備電源でもあるの?」
モニターのケーブルも抜いてみたが、それでも画面は映し出している。
「無線モニターって事!?」
開かずの扉という非現実な事が起きているのだ、パソコンを非現実な事にすることなど造作もないことなのだろう。それ程までに『見たら死ぬ動画』を見せたいのだろう。
「分かったわよ。見ればいいんでしょ見れば」
根本となるケーブルを抜いたのに、普通に動くデバイス達を操作しながら、円は再度動画の再生ボタンを押す。
動画は変わらず十秒ほどは真っ暗で、やはりそれ以降は海の映像だった。
「うぐっ!」
ただカメラが落ちる瞬間に、苦しそうな女の呻き声のようなものが追加されていた。
「なに今の・・・」
思ったとおりに、もう一度見ると情報が追加されていた。
ヘッドフォンから得た情報は妙に生々しく、聞き覚えのあるような呻き声だった。円は嫌な予感を感じながら、そうじゃないように祈りつつ、そうなのではないかと焦燥感を抱いていた。
今回円はカメラが倒れる瞬間を注視していた。カメラが重力に対して前面に倒れこむの瞬間に、太陽が真上にあることから影ができる。しかしその影はカメラのような四角ではなく楕円のような丸い影が一瞬だけ映っていた。
それが嫌な予感の正体。
これはカメラの映像じゃなくて、末期の映像をそのまま動画に起こしているのではないだろうか。
カメラではなく、二つの眼で捉えていた最後の視界映像。
砂浜に落ちたのはカメラではなく、人間の頭部だとすれば。
円はゾワリと恐怖を覚えて、腕に鳥肌をたたせる。
『見たら死ぬ動画』これは、三角自身が見ても死ぬ動画でもあるが、この動画に写っている恐らく三角であろうモノが死ぬ動画でもあるのだと円は気がついてしまった。
「あー・・・くそっ。観測してしまったから、事象が生じるって事ね。やっぱり何もしないが正解じゃない」
見てしまったからには、この現象が三角本人に降りかかる可能性があるかもしれなくなった。もしかしたら観測しなくても、これと同じ結果になる可能性もあるかもしれないけど、『見たら死ぬ動画』の意図が一切分からない。
『見たら死ぬ動画』は、三角の言う通り、これから起こる未来を回避するために、死後の三角から送られてきた動画なのか。
それとも円が考えるように、三角を同じ目に貶める為に送られてきた動画なのか。
はたまたただ観賞してほしかっただけなのか、現状ではどれも感じられない。
とにかく分からないからこそ恐れを抱くしかなかった。
『見たら死ぬ動画』の三回目のループ再生は勝手に始まった。いよいよ本格的になってきたなと円は生唾を飲んだ。
「嫌っ・・・助けて・・・」
冒頭の十秒が終わって浜辺の映像に切り替わった瞬間、命を乞う擦れた声が聞こえてきた。ヘッドフォンのせいなのか、まるで円自身が発しているように聞こえるが、これは紛れもなく動画内から聞こえてくる声。
やはり、擦れてはいても三角の声そのものだった。
頭が落ちるまで、ずっと嘆願していた。「死にたくない」「ごめんなさい」嗚咽交じりに聞こえる時もあれば、震えているのか歯が鳴る音も聞こえた。
高音質で聞くに堪えない声を、円は唇を噛んで耐え忍ぶ。
まだ肌を突き刺す痛みはこない。大丈夫だ。まだ危害がない。と恐怖を緩和するために心の中で精神支柱の言葉を反芻させる。
やがてその時はやってくる。言葉がぶつ切りにされて、視点は砂浜へと落ちて、声は聞こえなくなった。
「せんぱーい」
円の身体が跳ねた。
動画とは違う軽快な三角の声だ。恐る恐る背後を振り返ると、部屋のドアの奥に気配がする。円は十分経ったのだと理解して、大きく一息をついた。
「私は大丈夫! あとまだ解決してないから絶対入っちゃだめだからね!」
椅子から立ち上がりながら、扉の前まで行く。
すると、ドアノブが回って引き戸の扉が少しだけ開いた。
「ちょっと! あんた話聞いてた!?」
円は大慌てで扉に体当たり気味にぶつかって、扉を閉めた。
「大丈夫っすか?」
「こっちの台詞よ! ノックもしないし、まだ入っちゃ駄目って言ってるでしょ!」
「どうしたんすか? そんなに焦って、もしかして危機的状況っすか?」
三角はまたドアノブを回して入ろうとしてくるので、円はまた身体を押し付けて扉を閉める。後ろでは動画が四回目のループ再生を開始したようだった。
「私じゃなくて、あんたがね! ふざけるのもいい加減にしてくれる!?」
「ねぇ先輩意地悪しないで入れてくださいよ」
「駄目よ! 分かったわ。外で何か異変があって、あんた今トランス状態か何かでしょ! だったら絶対入れないわ!」
そういいきった途端に、例の痛みが体中に発現する。急激な痛みで扉に寄りかかりながら、絶対に三角を入れまいとする円。
「思い出したんすよ」
三角の声のトーンが変わった。
「思い出したんすよ・・・」
動画で聞いたような擦れた声だった。
「な、何をよ・・・」
怖いもの聞きたさと、猫をも殺す好奇心を持つ円は恐る恐る尋ねた。
「思い出したんすよ!」
ドンドンドンと拳で扉を叩いて、ドアノブをこれでもかとガチャガチャと回す三角。
拒否したことがきっかけとなり、三角は豹変してしまった。それでも全体重をかけて扉を開けまいとするも、痛みが激しくなり、扉が少しだけ開いた。
「先輩・・・」
「ひっ」
少しだけ引いた痛みの中、扉の隙間から覗かせた三角の手は老婆のように干からびた手で、斑点のような染みと、伸びきった皮が目立った。流石に三角そのものではないと理解した円は小さく声を上げる。
木乃伊の手のような三角の手が扉によりかかっている円に触れようと、指を躍らせる。円はできるだけ扉が完全に開かないように、背中で扉の支点を抑えつつ、三角の手から逃れようとする。
痛みは継続してあるが、最初よりも引いてきていた。
背中だけでは扉を押し戻すことができず、扉がだんだんと開いてゆき、徐々に三角の手から、肘、二の腕、肩と露見していく。餓鬼のようにか細く、骨に皮が張り付いているような手が部屋に這うように入ってきた。
まるで何も食べさせてもらえず、飲ませてももらえず、昼の砂漠だけでずっと遭難していた腕。ギギギと軋むような音は扉か、それとも三角であろうものの骨の音なのかはわからない。
パサパサに乾いた細い髪の毛で隠れた頭部が現れた。
円の心臓の音は非情にうるさく、呼吸も荒くなっていた。
髪の毛の奥の目と目が合った。窪んでそこに眼球があるのかも分からない目が、とても悲しい目をしていたような気がした。
丁度、その時に四回目のループ再生が、画面が傾くシーンだった。得体の知れないモノから目が離せなくなっていたが、円は無意識にモニター画面に視線を移動させた。
得体の知れないモノも、円に倣って画面を見た。そしてゆっくりと円へと視線を戻して、カサカサになってひび割れた唇を動かした。
「どうして、助けてくれなかったんすか」
そう言い残すと、得体の知れないモノは目の前から消えた。
バツン! と高い音と共にパソコンは突然電源が切れて、モニターも電源の光が消えて、何も映し出さない黒になってしまった。
未だにうるさい鼓動音と、滝のような汗に、この世のものとは思えない快楽が円の感情をめちゃめちゃにする。だけどこれが円にとっては生きているのだと、生の実感を与えてくれていた。
「終わっ・・・た?・・・」
肌を突き刺す痛みは消えた。怪奇現象も消えた。とりあえず解決したと言ってもいいのだろう。そう判断すると、空気が抜けるように円は息を吐いた。
「ただいまーっす。およ? 先輩来てるんすか~? って何してるんすか!? どしたんすか!」
何が何だか知らないが、三角が玄関から帰宅の挨拶と共にスイカが入ったビニール袋を持って帰ってきて、部屋の扉に持たれかかって、ぐったりとしている円を発見し、大慌てで近寄ってくる。
「大丈夫・・・とりあえず・・・シャワー借りていい?」
「えっ、はい。あたしも入りたいっすからね」
混乱を超えて、何もかも考える事を放棄した円は、とにかく不快な状態を解決するために、まだ震えている手で三角の肩を借りて立ち上がり、タオルを持って千鳥足で風呂場へと向かった。
分泌物でしっとりとしてしまった服を脱いでいる時に、三角の叫び声が聞こえたが、パソコン関連の事なので、円はそのまま冷水を頭からかぶって、禊を始めた。
夏。ホラー。短め。書く。パート3
何かしらのリアクションがあると、嬉しいです。よろしくお願いします。