乙女ゲームのヒロインに転生したので才能すべて使って世界一のパン屋さんになります!
私、アリス・フォーゼル十歳、朝食を食べていると脳裏に電流が迸る。
(思い出した。私が、この世界の、ヒロイン)
『運命のくちづけをアナタに』という乙女ゲームがある。突如として現れた無名の企業が開発した選択分岐型のゲームは、従来のものとは異なり自己進化型AIを搭載したシミュレーションゲームだ。
SNS等が普及しているのにも関わらず、どれだけの人が遊んでも一つとして完全に同じ結末が存在しない事から当時は『実は軍事目的』、『医療用の試作品』、『ゲームに使うの勿体なくない?』等と言われた世界最高傑作のゲームである。
(たしか、同じ選択肢でもキャラメイクや、選ぶ時間や、遊ぶ時間とかですべてが変わるから何人もの配信者が全く同じ結末を目指そうとして失敗してたのよね)
そんなゲームにどうやら私は転生したらしい。
細部が違う為、正確には酷似した世界なのだろうが、システムの共通項であるヒロインのデフォルト名、国名、生い立ち等が同じであることから限りなく近いのは確かである。
(店の前に捨てられていた事から、優しい店主夫妻がヒロインを育てていると十六歳の誕生日に本当の親である伯爵家が引き取りに来る所からゲームは始まるのよね……)
そして学園に入学し、知力や魔力などの多種多様なパラメータを上げて、王子や宰相子息、次期大賢者等の将来有望なイケメンを攻略していくゲームだった筈……なら、私のやる事は既に決まっている。
(努力さえすれば必ず上澄みにまで上がると分かっている才能の原石……そのすべてを世界一のパン屋さんになる為に費やす……っ!!)
今の自分では、手も足も出ないお父さんのパンを超えて、このパン屋さんが世界一である事を世に示す。
(主人公は、私だ……っ!!)
「お父さん、お母さん……私、世界一のパン屋さんになるから!」
「面白い……なら少なくとも僕は超えてもらわないとね」
「望むところだよ、お父さん」
「……あなた達、バカな事を言ってないで早く食べなさい」
世界一のパン屋さんになる。
それはとてつもなく長い道のりである……最初に立ちはだかる最強の壁が、この国一番のパン屋さんであるお父さんなのだから。だが、そこは問題ではない……この事が無くても、いずれは超えなければならない壁だ。問題はむしろ……
(乙女ゲームの方ね。もし巻き込まれたら、パン屋さんに注ぐリソースが多少なりとも持っていかれる可能性がある。転生した事で得た唯一無二のアドバンテージを無駄な事に使いたくない……となると目下の問題は十六歳の誕生日にやってくる伯爵家の方だ。彼らに引き取られたらすべてが始まる……)
解決策は、ある。
それは、この国特有の実力主義だ。武力、知力、自身の持てるすべてで実力を示せば例え浮浪者や孤児であっても成り上がる事が可能だ。
(なんとかして私の腕を示して、この街になくてはならない存在になる……そうすれば伯爵家は手が出せない。やはり私自身の実力を早急に上げる必要がある……)
そのためにもまずは、
「いらっしゃいませ!」
「あら、アリスちゃん今日も元気ね」
こうして接客を行い、常連さん含むお客さんを懐柔する……次に、
「……こんな感じ?」
「いいね、悪くない、けど良くもない。ここはもう少し捏ねる時に力を抜くんだ」
休日や仕込みの時に、お父さんと一緒にパンを作って技術を向上させる。
(正直、大変ね……けれど、私は世界一のパン屋さんになるという大きな夢がある。立ち止まってなんかいられない……!!)
「アリスお姉ちゃん……この野菜パンは美味しいけど、もっと甘いのが欲しいなって」
「マーカスがちゃんと好き嫌いせずに野菜を食べるなら考えるわ」
しばらく年月が経ち、可愛らしさに磨きがかかってきた頃に伯爵家がやってきた……
「おお、君が、我が娘のアリスか……さあ、ともに帰ろう」
「この忙しいお昼時に来ないで下さい。本当に邪魔です」
「パンが焼き上がったよ。アリス、並べてくれるかな」
「もちろん!皆さん、お待ちかねの焼き立てパンが並びますよ!」
「アリスお姉ちゃん……この人ほっといてもいいの?」
「マーカス、そんな事よりもあっちの棚を綺麗にして貰えるかしら」
「あの……我が……娘よ……」
さくっと撃退した私は、世界一のパン屋さんを目指してさらに邁進する。
「ダメよ!このままでは、殿下達の心は真に救われないのに……ヒロインである貴女がいなければダメなの!」
「本当にそうなの?……もしゲームと同じだというなら、それこそ無限に選択肢がある筈よ。貴女が救ってはいけないなんて事はないわ」
「でも……わたくしは……」
「私達は、私達の意思で何処へだって進める。棚ぼたの人生、本気で生きなきゃ損だし失礼よ」
同じく転生者らしい公爵家のご令嬢と友情を育んで、学園や世界の事を任せると同時に貴族との太いパイプを作った。
荘厳な鐘の音が鳴り響く。今日は私の友人と王子様の結婚式だ。ここまでくるのに様々な事があったらしいが、この前もうちに来て色々愚痴を言いながらも笑顔だったからこれからも上手くやっていくのだろう。
「この間の国内最強決定戦でアリスお姉ちゃ…アリスちゃんのお父さんに勝ったのに、まだ物足りないの?」
「当然よ。納得したとは言い難いわ」
国内最強決定戦……それは友人の贔屓目があると思い、幾度も賞を辞退した私に友人が怒って開催した国王陛下も巻き込んだ大騒動である。
国民すべてが審査員のそれは、最終的に私とお父さんが勝ち残り、一騎討ちの様相となった。
投票の結果、僅差で私が勝利したものの、私には引っかかる事があり、いまだ納得をしていないのである。
「アリスちゃんのお父さんも『美味しい、完敗だよ』って言ってたのに……」
「褒め言葉は貰うわ。純粋に嬉しかったし、実力を出し切ったとも思うもの。けど……」
「けど?」
「お母さんは、お父さんのパンの方が好きだったみたい……」
実力主義のこの国であっても、完全な公平を期す為に家族の票は換算されないが、それでもやはり悔しかった。
……あの時、おそらくお父さんは、お母さんの為にパンを作ったのだろう。緊張の一戦、ともすれば晒し者になりかねない戦いで、迷う事なく。
「そっか……なら、まだまだ先は長そうかな」
「?いいえ、足りないものは分かってるし、やらなきゃいけないことは分かってるわ」
「そうなんだ……」
きっとお母さんは、これから先どんなパンを作っても一番美味しいパンはお父さんのパンだと言うだろう……それは当然だ、誰よりもお母さんの事を想って作られたパンなのだから。
私が対抗するなら方法は一つだけ……二度も断った手前で言いづらいが、あの戦いで自覚した事でもある。
「マーカス」
「なに?アリスお姉ちゃ……アリスちゃん」
「好きよ。大好き」
「へ」
「これからも私と一緒に居てね」
あの大会、マーカスが私のパンを美味しそうに食べていた時、あるいはもっと前、試作品を作ってはマーカスに食べさせていた時、私は確かに幸せだったのだ。だから、完全に納得した訳では無いあの大会での結果を素直に勝ちとして受け止めた。
『良いかいアリス、様々な技術は当然必要だがパンを作る時に最も大切な事は一つさ』
世界一のパン屋さんになると決めたあの時、お父さんが最初に教えてくれた事……それは
「ま、待ってよ!アリスお姉ちゃん!いきなりはズルいよ!僕も色々考えてたのに!!」
(大切な誰かを想って作ること、よね)