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突如、俺の【直感】スキルが激しい警鐘を鳴らす。
「――っ、みんな伏せろっ!!」
俺が叫んだのとほぼ同時に、ビュンッと鋭い風切り音が鳴る。
俺の声に即座に反応したのは、アニエスとおっさんだけだった。俺とその二人は身を屈めたが、それ以外の者はほぼ棒立ちの状態だった。
鮮血が舞い、一拍置いて悲痛な叫びが木霊する。俺を含め咄嗟に動けた三人を除き、各々が何かによって切り裂かれ、深い裂傷を負う。
腕を飛ばされた者、足が奪われた者。切られた箇所は様々だったが、幸い即死した者はいないようだ。とはいえ、かなりの重症に違いはない。
――ふと、違和感を覚える。
飛び散る鮮血が地面を赤く染めているが、とある地点だけ、血が地面に落ちずに中空で消えているのだ。
――――何か、いる。目に映らず、索敵にもかからない、何かが。
「ファイアウォール!」
俺は咄嗟に炎の壁を展開する。燃え盛る炎のなか、一ヶ所だけ明らかに炎を通さない奇妙な空間があった。
「人が、いる……?」
アニエスがボソッと漏らした言葉のように、炎に浮かぶシルエットは人間そのものだ。炎に包まれているというのに、まったく動じていないので、よりはっきりとわかる。
そのシルエットはやがて、『よく見破った』とでも言わんばかりに、ファイアウォールを一瞬でかき消すと、ゆっくりとその姿を顕現させる。
その者は俺の腰ほどまでしかない身長で、それ相応の幼い容姿をしていた。
だが普通の人間ではない。黒い結膜、そして血が通っていないかのような青白い肌、更にはこめかみから伸びる歪なツノ。これらは普通の人間には無い特徴だ。
そして、そんな特徴を持った種族はただひとつ……。
「魔人……!」
身体の周りには【魔力視】スキルを使わずとも視認できるほどの高密度の魔力が漏れ出ており、一見してそこらの魔物とは比較にならない力を持っているのがわかる。
しかし、真に恐ろしいのは隠密能力だ。
姿が見えているときはあれほどの存在感だというのに、攻撃するその瞬間まで、一切の探知スキルに反応せず、存在を認識できなかった。
「おっ、何人か避けてるじゃん。ちょっとは楽しめそうだね」
攻撃を避けられたにも関わらず、どこか愉しげに魔人は笑った。
「じゃあ、これならどうかな?」
次の瞬間、魔人の歪な形をしたツノが、ほんの一瞬だけ怪しい光を揺らめかせる。危険だと判断した俺は、咄嗟に全力で後方へ跳んだ。
次の瞬間、危惧したとおりにツノを中心として、黒い幕のようなものが広がっていった。
ドーム状に広がりながら、ぐんぐんと迫るその幕に呑まれまいと、俺は更に連続でバックステップを繰り返す。
「ようやく止まったか……」
眼前でピタリと止まった黒い幕を前に、思わず安堵のため息を漏らす。
膨張し続けた黒い幕は、およそ直径二十メートルほどまでに至った。ほどなくして黒い球体はその色を失い、無色透明となる。
だが、その中心にいるであろう魔人や、白翼騎士団やブッチャルたちの姿が見えない。そればかりか、魔力も感じない。
景色などは変わっていないようなので、おそらく生物のみを外側から認知できなくするのだろう。さっき魔人の接近に気付けなかったのも、あの黒い幕の影響に違いない。
「さて……どうしたものか」
周囲を確認したが、やはり人っ子ひとりいない。黒い幕の効果範囲から逃れられたのは、現状俺だけのようだ。
……無理もない。あの場にいた殆どの者は不意打ちで負傷していたし、無傷だったアニエスやおっさんは、即座に動けない仲間のフォローに回っていた。あの瞬間、回避に専念できていたのは、俺だけだったのだ。
「……このまま撤退するのが賢い選択なんだろうな」
敵の術中にわざわざ飛び込むのは愚策としか言いようがない。
生き延びたいのであれば、今すぐにこの場を離れるべきだ。それはわかっている。
でも――
「見捨てるなんて、できない」
それが、今俺が抱いている嘘偽りない気持ちだ。
短い時間だったけれど、俺はあいつらに好意を抱いてしまった。俺ひとりが逃げ帰るだなんて選択肢は、もう……ない。
決意を固めた俺は、ゆっくりと黒い幕があった地点へと向かい、足を踏み入れた。