3
翌日、ユーリは父ミゲルと二人、グランマード家が所属するアムダルシア王国の王都、アニマへと向かう馬車の中にいた。
「ユーリ、初めての長旅だが疲れてはいないか?」
「はい父様、僕は平気です。むしろ、見たこともない景色ばかりで楽しいです」
少し弾んだ声色で紡がれたその言葉通り、ユーリは目を輝かせながら窓から外を眺めていた。
これまで、ユーリの世界はグランマード領という、小さな箱庭の中に収まっていたのだ。人生のうちの殆どを屋敷の中で過ごし、外へ出たのはほんの数回しかない。
そんな境遇で育ったユーリからしたら、馬車から見えるたいして代わり映えしない景色ひとつひとつが新鮮に映っているのだろう。
いつまでもいつまでも、その双眸に焼き付けるように飽くことなく延々と窓に張りついていた。
「やれやれ……はしゃぐのはいいが、疲れて『天命の儀』の最中に眠りこけぬようにな」
「はい、もちろんです!」
外へ出ることが禁じられていたユーリが王都へと赴いているのには理由がある。
王都にある聖王教会にて、『天命の儀』を受けるのが目的だ。
『天命の儀』とは、その者が持つ『加護』を明らかにする、伝統ある儀式である。
『加護』はスキルとは違い、どれだけ努力しても習得することができない。この世に生まれ落ちたその瞬間から決められた才能のようなものだ。
「ふふふ、きっとユーリには特別な加護が備わっているに違いない」
ミゲルはユーリが優秀な加護を宿していることに確信を持っていた。
長男であるパオロは既に儀式を終えていて、【剣士の才】という、剣術関連のスキル成長に補正がかかる加護を有している。
だがユーリはそのパオロをも遥かに超える成長を見せた。期待するなと言う方が無理がある。
「しかし……こんなことならもっと早くに儀式を受けさせるべきだったか」
天命の儀は誰でも受けることができ、年齢制限もない。だが、その恩恵にあずかるには、少なくない寄付金を教会に納めねばならない。
平民ならともかく、貴族の子息ともなれば、生まれ落ちて間もなく儀式を受けさせるのが常だ。妾の子であり厄介者として扱われていたユーリは、この歳になってようやく自身の加護を知る機会を得たのだった。
――そして、半日にわたる移動を経て、ユーリたちは王都にある聖王教会へと到着した。
今日儀式を受けるのはユーリひとりだけだったため、待ち時間もなくスムーズに中へと通される。
あれよあれよという間に儀式は進行し、今、ユーリは光に包まれていた。
「……なんと、これはっ!?」
儀式を執り行っている、立派な髭を蓄えた熟年の司祭が驚きの声を上げる。
ユーリが天命の儀を受けた直後で、ユーリの周囲から光が徐々に霧散している途中のことだった。
「ふむ……司祭よ、その驚きようからして、やはりユーリには特別な加護があったのだな?」
儀式に同伴していたミゲルが、得意気な顔で司祭へと話しかける。
「特別……そうですね。とても珍しい加護です。彼の……ユーリ君の加護は、【器用貧乏】だと判明しました」
「ん? 器用……貧乏?」
「はい、この道五十年の私でも初めて見る加護です。極めて珍しいと言えるでしょう。おそらくは世界でもユーリ君だけが持つ特別な加護です」
「おお、やはりユーリには才能があったのだな! して、その【器用貧乏】とやらにはどんな効果があるのだ?」
顔が密着しそうなほどに司祭へと詰め寄るミゲル。
司祭はミゲルに気圧され後退りながらも、詳細を確認するため再びユーリを注視する。
「え、ええと……様々なスキルへの適正があり、更に高い成長補正があるようですが……あっ」
「ど、どうしたのだ?」
「はい、ええと……非常に申し上げにくいのですが……ユーリ君のスキルレベル上限は3のようです。それも習得した全てのスキルに適用されるようで……」
「な……馬鹿な……!?」
ユーリの加護の効果を聞き、ミゲルは膝から崩れ落ちる。司祭の言葉は、ミゲルがユーリに抱いていた期待を打ち砕くには充分すぎたのだ。
「と、父様。お気を確かに」
「――うるさいっ! 触るんじゃない、この能無しめ!」
心配し支えようとするユーリの手をはね除け、ミゲルは糾弾するかのように声を荒げた。
「えっ……」
ユーリは、ミゲルの態度が急変したことに驚きを隠せないでいた。ここ最近の話ではあるが、自分に興味を持ってくれていて、優しい言葉をかけてくれた父親。それが今やゴミでも見るような目を自分に向けている。その事実を受け入れられずにいた。
「スキルレベル3が成長限界だと!? そんなもの、良くて中の下止まりではないか! くそっ、どれだけ成長が早くとも、何をやっても一流になることができないなんて……ゴミ以下の加護だな! 何が特別だっ!!」
『加護』の存在は、持つ者の将来を大きく左右する。
【剣士の才】の加護を持つ者は剣士になり、【剣術】スキルを伸ばし、冒険者や兵士として剣を振るう。
【鍛冶の才】の加護を持つものは鍛冶師となり、【鍛冶】スキルを鍛え、金床にて鉄を打つ。
もちろん、加護の恩恵を無視した職に就くのは当人の自由だ。だが、その先には多くの苦難が待っているだろう。
それほどに加護、そしてスキルレベルの恩恵は大きい。例えば、年端もいかぬ子供が【格闘術】スキルを習得していれば、スキルを持たない大人に殴り勝つことだってある。
だというのに、無情にもユーリのスキルレベル上限は『3』だと告げられたのだ。
ユーリの持つ【剣術】レベル3というのは、六歳の子供が持つには驚異的な数値だが、ここで打ち止めとなると話は別。【剣士の才】や、それに近しい加護を持つ者ならば、きちんと鍛えていれば成人するころにはほぼ全員が達することができる領域である。
いわば、その道を歩む者にとってレベル3というのは平均値に過ぎない。
レベルが上がるほど次のレベルへの壁は厚くなるので、平均から一歩抜きん出れるかどうかは努力次第である。だが、ユーリにとってはレベル3こそが終着点になる。加護によって定められた運命にはどうやっても抗うことはできない。この先の人生すべてを費やしても、レベルを上げることはできないのだ。
「あの時、捨てた妾の子を安易に引き取ったのが間違いだった! まったく、【器用貧乏】などと馬鹿げた加護を持つなど、とんだ外れくじを引かされたものだ!」
「と、父様……?」
「ええい、もう二度と父と呼ぶでない! 期待させるだけさせておいて裏切りおってからに!」
「そんな、裏切るだなんてっ……!」
「貴様のその黒い髪も、灰色の目も、顔立ちも……全部あの憎たらしい女の面影がある……! 平民だが容貌に優れていたので子種を恵んでやっただけなのに、奴ときたら病を患っていやがった! もし私が感染していたらどうするつもりだったのだ! ……しかも、自分は病気で先がないからと、病を持っているかもしれない赤子を押し付けてきよって。思い出しただけでも反吐が出るわ!」
「――ッ」
ユーリはミゲルの言葉に衝撃を受けると同時に、迫り来る情報の波に対処できずに、呆然としてしまう。
それもそのはず、ユーリは自らの生い立ちを知らされていなかったのだ。本当の母親がいたこと。愛を貰えなかった理由。
自分の世界がひっくり返るような事態に、ユーリの頭の中は真っ白になってしまっていた。
「――ちっ、はぁ……もういい、所詮は平民の血が混じった失敗作か。わざわざ王都へ足を運んだというのに、とんだ無駄足だったな…………」
「――っ、ま、待ってください父様!」
ミゲルはもうどうでもいいと言わんばかりに、ため息をつきながら教会を去ろうと踵を返す。
だんだんと遠ざかっていく背中を見たユーリは、茫然自失の状態からはっと我に返り、とっさに追いすがる。
「剣術がダメでも、他を頑張ります! 必ずグランマード家のお役に立ってみせます!」
「役に立つだと……? 馬鹿を言うな!」
ミゲルへと手が触れるその瞬間、ユーリは振り返ったミゲルに突き飛ばされ、尻餅をつく。見上げたミゲルの怒りの表情に、ユーリは言葉を失ってしまった。
「いいかよく聞け、理解していないようだから教えてやる。スキルレベル3なんてのはな、貴族に生まれた人間にとってなんの価値もないんだよ。ここ王都アニマの騎士団に入ろうと思うなら、試験を受けるだけでも【剣術】などの戦闘系スキルレベル5以上が必須……宮廷魔導師に至っては、いずれかの魔法系スキルのレベルが7以上ないと門前払いなんだぞ」
貴族として名を上げるには様々な方法があるが、一番単純かつ効果的なのは武勲を挙げることだ。
そのため、この世界の貴族の子息は騎士や宮廷魔導師を目指すのが一般的である。
とりわけ、祖先が騎士の身分でありながら剣の腕ひとつで男爵の身分に上り詰めたグランマード家では、剣で武勲を挙げることに固執する節があり、ミゲルの代にもその思想は受け継がれている。
しかし、加護が明らかとなったユーリのスキルレベルは既に頭打ちであることが確定した。貴族としての地位を向上させたいミゲルにとって、ユーリは完全に無価値な存在になったというわけだ。
「理解したかユーリ。貴様は貴族の令息として無価値な人間なんだよ。一兵卒となってどこぞの戦場でくたばるのがお似合いだ。その程度の人間なら掃いて捨てるほどいる」
「そ……んな……」
「まったく、ただの穀潰しだと最初からわかっていれば、赤ん坊のころにさっさと捨ててしまったのに。貴様のためにどれだけの時間と金を無駄にしたことか……!」
そう言い残して、ミゲルは今度こそ教会を去ろうとするが、今度は別の人物に呼び止められる。
「待ってくださいミゲル様。どんな理由があろうとも、我が子をひとり置き去りにするものではありませんぞ」
「…………ちっ」
司祭がそう告げると、ミゲルは嫌々ながらもその言葉に従い、足を止めた。
天命の儀を執り行える司祭はごく一握りしかいない。故に彼らは爵位こそもたないが、国から重用されている存在なのだ。
それも王都に在籍する司祭ともなると、国王との繋がりが深い。この場で司祭からの印象を悪くしてしまう行動をすると、その行いは国王に伝わり、それこそ陞爵どころの話ではなくなってしまう。そのため、ミゲルは仕方がなく司祭の言うことを聞き、しぶしぶとユーリの手を引いた。
「……帰るぞ」
司祭に悟られぬよう、張りぼての笑顔を作りつつも、ユーリを掴む手にはかなりの力が込められていた。
半ば無理矢理に馬車へとユーリを詰め込むと、ミゲルは足早に帰路へ着いた。
道中、お互い無言のまま時が過ぎる。がらがら、パカパカと、車輪と蹄の音だけが虚しく響く。
ひどく落胆したミゲルは当然として、ユーリもこれ以上何かを話すような心境ではなかった。いや、恐怖のあまり沈黙していたと言っていいだろう。
彼らが次に言葉を発するのは、屋敷に帰った直後だった。
「今日からお前の住みかはここだ。それと、勝手に中のものに触るんじゃないぞ」
「え……」
ユーリが連れてこられたのは、屋敷から少し離れた隣場所に建てられた小さな物置小屋だった。小さいと言っても、平均的な一戸建てと同じぐらいの大きさで、最低限の設備もある。
しかし、物置と言うだけあって中は雑然としており、人が住むには窮屈すぎる。
「ま、待って――あうっ」
反論する間も与えられず、ユーリは物置小屋の中へと放り込まれる。扉が閉められた瞬間、埃がぶわっと舞ったので、長い間手入れがされていないことが容易に想像できる。
「けほっ、けほっ」
ユーリが埃を吸い込み咳き込んでいると、カチリと外側から鍵がかけられた音がした。
物置だけあって、内側からは鍵が開けられない構造になっていて、いくつかある窓も、侵入防止のためか漏れなく鉄製の格子で覆われている。
ユーリはこの場所に閉じ込められたのだ。いや、まるでこの小屋に存在するくたびれた物品のように、粗雑に保管されたと言い換えるべきか。
それくらいに、おおよそ人に対する扱いではなかった。
「そうか……僕はガラクタってことなのかな……」
人の気配がまったくない狭く薄暗い物置小屋の中で、自らの置かれた環境を理解したユーリは、うずくまりながらぼそっと呟いた。