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「おお……これが」
俺が座ったのは、さっき父親が料理を置いたカウンター席だ。
目の前には、深めの器に盛られた料理……中央には大きな肉が丘のようにそびえ立っている。
しかも、この肉はただの焼いた肉じゃない。おそらくは長時間煮込んだものだ。
その肉を覆うぐらいにとろみのある茶色のソースがふんだんにかけられており、余剰のソースが下に垂れて器を満たしている。
……見ただけでわかる。これは絶品だ。
俺も【料理】スキルを所持しているので、料理に関してはそこそこの自信を持っていたが、この一皿はそんな俺のちっぽけな自信を容易く打ち砕いた。
「……(ごくり)」
思わず喉が鳴ってしまうほどのご馳走だ。
空腹も相まって、俺の我慢は限界だ。さあ、今すぐ味わわせてくれ。
「お客さん、どうぞ」
従業員の少女の手際もよく、俺が席について一分もしないうちに、ナイフやフォークなどのカトラリーがテーブル脇に置かれていく。
「お飲み物もお持ちしますね。パンとスープはいりますか?」
「お願いするよ」
少女が準備のためこの場を離れ、俺はそわそわしながらその帰りを待つ。
そんな俺を見かねてか、父親は「どうぞ温かいうちにお召し上がりください」と、料理が出揃う前に食べるよう促してくれた。
「じゃあ……いただきます」
好意に甘え、俺は早速メインディッシュの皿へと手を付ける。
予想通り、長時間煮込まれた肉の塊はナイフを容易く通し、簡単に切り分けることができた。一口大に切り分けた肉をフォークの先に刺し、器に満たされたソースにたっぷり絡めて口の中へと放り込む。
「――っ!」
口内でホロリと崩れる肉の旨みと、ほどよい脂、そして野菜ベースの甘みのある濃厚なソースと絡み合い、えもいわれぬ絶妙な調和を果たしている。
「これは美味い……!」
かつてない美味に、俺は夢中になって食べ進めた。
途中で運ばれてきたパンとスープもこれまた美味い。更には、皿が半分ほど減ってきたころに出された酸味のある白いソースも良かった。
濃厚な味から一転、爽やかな味へと変貌したことで、あれだけ大きかった肉を最後まで飽きることなく完食することができた。
「ふぅ……ごちそうさん。とても満足したよ」
「お粗末さま」
食事を終えた俺は、膨れる腹をさすりながら小休止をしていた。奥にある厨房からは、さっきの少女が皿を洗っている音が聞こえる。食事で得た幸福感からか、カチャカチャとしたその音すら心地よく響く。
「お客様、こちらをどうぞ」
「あ、ああ……ありがとう」
ぼーっとしていたところに、ことりとコップが置かれる。匂いからして果実水だな、軽めの食後のデザートといったところか。
それをごくりと一口飲み込み、俺は思考を整えながらカウンター越しに声をかけた。
「ええと……そういえば聞き忘れていたんだが、ここの食事はいくらなんだ?」
「……こちらの特別メニューは大銀貨一枚です。けれど、今日出した料理は時間が経ってしまったので、味が完全ではなかった。こちらの判断で勝手にお出ししましたので、料理のお代は結構ですよ」
「な……バカな!?」
俺は驚きのあまり目を見開いた。
値段の高さや、それがタダになったことに驚いたのではない。至上の味だと感じた先ほどの料理が、完全なものではなかったということに驚いたのだ。
「はは、やはり高価すぎますかね……」
しかし、男は俺が料理の高額さに驚いたのだと思っているようだが、それは思い違いだ。
俺としてはむしろ『安い』と思う。俺の記憶が確かならば、前に一度だけ食べたグランマード領内で一番の高級店のコース料理が一人前で大銀貨八枚だった。
それと比べてわずか八分の一の値段であり、なおかつ味の面でも上回る。コスパ最強だ。
「ああいや、値段について文句はない。俺が驚いたのは、料理の味が完全ではなかったという発言に対してだ」
「なるほど、そうでしたか。……そうですね、やはり出来立てが一番味に深みが出ますし、今回の料理に関しては温かさを保つために煮込みすぎてしまいましたからね。肉が必要以上に柔らかくなりすぎてしまいました」
男は、申し訳なさそうにこめかみをぽりぽりとかきながらそう話してくれた。あれだけの皿を提供したにも関わらず、品質が完全ではないからと料金は取らない……並々ならぬ料理へのこだわりを持った男だと感じた。
こんな素晴らしい宿に出会えたことは僥倖だ。
……よし、決めたぞ。王都に滞在している間はこの宿を拠点にしよう。
「なあ……あんたがここの店主で間違いないか?」
「ええ、基本は料理専門ですが、そうなります。家族経営ですので従業員は少ないですが」
「とりあえず一週間、宿の利用をしたい。……もちろん、期間中毎日料理の予約も頼む」
麻袋から金貨を一枚取り出し、男の前へと差し出す。
今の所持金から考えると少々豪勢な金の使い方だが、間違いなくそれだけの対価を払う価値がある宿だ。
「えっ、い、いいんですか……?」
「もちろんだ。……というか、こんな美味い料理を出す宿なのに、俺以外の客がいないのが不思議なぐらいだぞ」
ここに入ったときから思っていたことだが、他の客の姿が一切なかった。もっと繁盛していてもよさそうなのにな。
「……お恥ずかしい限りです。ここはあまり立地が良くないですし、私のこだわりのせいで料理は予約制、それに値段も高いのでなかなかお客様がいらっしゃらないので……」
「ああ、確かにそうかもな……」
俺は【直感】スキルのおかげでここまで辿り着いたけど、普通の人はこんな住宅街に店があるだなんて思わないよな。
気まぐれでふらっと寄ったとしても、料理は予約制だから一見様お断りだし、仮に予約しようとしても料金を聞いて尻込みしてしまうかもな。
俺のように、一度でも料理を口にすれば必ず常連客になってしまうだろうに、非常にもったいない。
「……まあ、ともかく一週間利用させてもらうよ。金貨一枚で足りるよな?」
「あ、はい。お釣りをご用意しますね」
「釣りはいい。今日のぶんの料理代金も含めて受け取っておいてくれ。俺も少し料理をかじってるからわかるんだが、材料はこだわったものを使ってるだろ? それを無償で提供したら大赤字じゃないか」
「それはそうなのですが……」
「だったら心付けとしてでもなんでもいい、とにかく受け取ってくれ」
「……はい、わかりました。ありがとうございます」
男は少し涙ぐみながら、受け取った金貨を大切そうに握りしめていた。
「それと、これからはそんなに畏まらなくてもいい。しばらく顔を合わせることになるだろうし、そのほうがお互いに気が楽だろう」
「…………わかった。では、改めて自己紹介させてもらうとしよう。私はパグラム、ここ『銀の魔女亭』の料理人兼店主だ。奥で皿洗いをしているのが娘のカナ。あなたは?」
「俺はユーリ、旅人だ。よろしくな、パグラム」
「よろしく、ユーリ君」
――こうして、この『銀の魔女亭』を王都での拠点とすることが決定したのだった。