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◇
――師匠との別れから一ヶ月が経った。
俺は今、半生を過ごしたいつもの小屋の中にいる。
ここをゴミ屋敷へと変貌させていた張本人がいなくなったこともあり、足の踏み場もなかった板張りの床は、今や塵ひとつなくピカピカだ。
小さく手狭に感じていた小屋だったが、人ひとりがいなくなっただけなのに、やけに広く感じてしまう。
「……いくら片付けても、次の日には散らかされて元通りだったもんな」
……いかんいかん。別れた人のことを懐かしむだなんて……たった一ヶ月前のことだってのに、ずいぶんと感傷的になってるな、俺。
こんなの俺らしくない……けど、今日ぐらいは良しとしよう。なんせ、この場所とも今日でお別れなのだから。
住み慣れた場所に留まり生活するという選択肢もあったが、俺は師匠の助言に従い、旅に出ることに決めた。
そのため、旅に必要な物質の準備に一ヶ月を費やし、ようやく今日出発の目処が立ったってわけだ。
「さあ、行くか」
俺は手ぶらのまま玄関を出る。準備した荷物はすべて【次元魔法】で別空間に保管してあるので、身軽に外出できるのはかなり便利だ。
「んーーっ。今日はいい天気だなぁ」
外に出ると太陽の光が一身に降り注ぐ。目を細めながら空を見上げると、雲ひとつない青空が視界いっぱいに広がった。
天気も良いし気温もちょうどいい。旅に出るには絶好の日和だろう。
「……じゃ、行ってきます」
俺は長年世話になった小屋へと振り返り、一礼する。
グランマード家に戻れない俺にとって、ここは実家のようなものだ。十年か二十年か……いつになるかはわからないが、旅が一段落ついたら『必ず帰る』という決意を言葉に込めた。
思い出に後ろ髪を引かれないように前を向き、振り返らないよう全速力で駆け出した。
高速で景色が流れていき、木々が生い茂る森の中に入ったところで走るのをやめた。ふと、とあることが頭に浮かんだからだ。
「あれ……? そういえばこの場所って地図でいうとどの辺りなんだ? 進むにしてもこっちの方角でいいのか……?」
旅をすると決めたのはいいが、行き先も考えてないことに今更気が付いたのだ。ついでに言うと、今自分がいる地域が地図上のどこにあるかさえ把握していなかった。
このまま適当に進んで、無駄に森の中を彷徨うのもどうかと思うし、とりあえずは近くの人里を目指して進むべきだろう。
「ええと……この暖かい気候的に、少なくともここはアムダルシア王国で間違いない……よな?」
俺の生家、グランマード男爵家はアムダルシア王国に属する貴族である。アムダルシアは大陸の南端に位置し、一年を通して温暖な気候で作物が育ちやすく、領土の多くが海に面しており漁業も盛んだ。
潮の匂いはしないが、通年の気候はアムダルシアとほぼ同じだし、そう外れた場所ではない……と、思う。ただ、師匠のことだし、どの国の領地でもない辺鄙なところに住んでいてもおかしくない。
「うーん……そうだな、まずは高いところから周囲を見渡してみるか」
そう思い、頭上に木がない開けた場所へ移動し、魔法を発動させる。
「リフレクトシールド」
この魔法は、【聖魔法】と【風魔法】を合成させ、一枚の円形の盾を生成する魔法だ。
この盾に一定以上の衝撃が加わると、小型の竜巻が盾の周囲に一瞬だけ発生し、風の力によって反発力を生み出す。その力はそこそこあって、人間サイズの質量なら五メートル近くは弾き返すことができる優秀な防御手段だ。
「これを上向きにしてっと……よっ」
真上に向けたリフレクトシールドへジャンプし、思い切り踏むと、俺の身体は中空へと打ち上がる。
これで高度を稼ぎ辺りを探ろうという寸法だ。しかし、このままだと精々数メートル程度浮き上がらせるのが限界だ。そこらの木々の高さにすら届かない。
そこで、もうひとつ魔法を使う。
「【重力魔法】グラビティコントロール」
上位スキルである【重力魔法】を使い、俺自身にかかる重力を限りなくゼロへ近付ける。そうすることで俺の身体は風に飛ばされる綿毛のように軽くなり、少しの力でどこまでも高く飛び上がる。
リフレクトシールドによる跳躍の途中で重力操作をしたことで、地面に引き寄せられることもなく一瞬で視界が上へ上へと移り変わり、やがて山すらをも越える高度へと到達する。
「よし、そろそろいいか」
視界を遮るものがない高度へと到達した俺は、上昇を止めるため、緩やかに落ちていく程度に重力を調節する。
「さて、何か見えるといいんだが…………おっ」
空中で身体を捻りながら【千里眼】スキルを用いて辺りを見回すと、森を抜けた先に都市があるのが目に入った。
ここからかなり距離はあるが、それでもわかるぐらいに、都市の中央には威風堂々とした巨大な城がそびえ立っている。
「っ、あの城は……!」
その城を目にした瞬間、幼いころの記憶が呼び覚まされた。
たった一度見たことがあるだけだが、鮮烈な体験だったので今でもはっきりと覚えている。
城を囲むようにそびえ立つ三つの塔……確か、二つの騎士団と魔法師団の拠点となっている塔だったか。あんな特徴的な城があるのは、おそらく世界にひとつだけだ。
あれは間違いなくアムダルシア城。そして、それがあるということは、あそこがアムダルシア王国の王都アニマだ。
「……行ってみるか」
俺にとって苦い記憶しかない場所だったが、わざわざ避けて通る必要もないだろう。とりあえずの目的地を定めた俺は、一直線にアニマへと向かうことにした。
しかし、この距離だと歩いていくのは骨が折れる。せっかくこの高度まで飛んだことだし、このまま空を駆けるとするか。
「リフレクトシールド、リフレクトシールド」
【重力魔法】での重力操作はそのままに、斜め四十五度ぐらいに傾けたリフレクトシールドを新たに空中で生成し、それを足場として進んでいく。
そうすることで、鳥が空を飛ぶのと同じぐらいのスピードで空中を移動することができるのだ。
この移動方法なら普通に森の中を移動するよりよっぽど早い。問題があるとしたら、魔法の連続使用による魔力の負担だろう。
ただまあ、【魔力消費軽減】や【魔力回復速度上昇】などの常時発動型スキルがあるので、少なくとも森を抜けるまではなんとかもつだろうという計算だ。
「各魔法の魔力消費量の把握も今後の課題だな」
――そんなことを口にしながら、俺は空を走っていた。