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プリズム・リズム・マネタリズム

作者: 阿部千代

 適度に冷たい風が頬を撫でる。そんな季節だ。阿部千代は今日も生きている。明日もちゃんと生きる心づもりだ。種々様々なジレンマを抱えつつ、それでも生きねば、そう誓う阿部千代だ。おれの言いたいことはそうは多くない。なめんなよ、ヨロシク。つまりは、この二語に収斂されていくのだった。なめんなよ、ヨロシク。


 誰も気にしていないと思うが、おれ自身もさして気にしていないのだが、おれは昨日文章を書かなかった。二日酔い、というやつである。幸い強烈な頭痛を伴う深刻なもの、ではなかった。なかったが、満足に脳を働かすことのできる状態でもなかった。文章を書く以前の問題で、立ち上がることすら億劫な身体の怠さと戦うこともせず、ただただ、ううとかああとか唸って一日の大半をいたずらに消費していた。

 おれは普段、若干ワンパターンなきらいはあるものの、美味しいお料理を手ずからこさえているわけだが、もちろん昨日はそんなことは無理で、昼はどん兵衛をすすり、夜にはラーメンをすする、ジャンクな食生活だった。ラーメン、最高にうまかった。たまにはこんな日があってもいい、自分にそう言い訳をする阿部ちゃんなのであった。


 しかしながらだ。どん兵衛271円。これには驚いた。トゥー・エクスペンシヴ。

 物価上昇などの話は聞き及んでいたし、昨今の情勢を鑑みるとさもありなん、といった感じであったが、その生々しい実態を眼前につきつけられると、やはり阿部ちゃんでさえ驚愕するのだ。

 なにを今更、という向きもあるだろう。だがおれは普段スーパーで買い物をするときに、商品の値段をいちいち気にしたりしないのである。会計時に合計金額を提示されて、はいそうですか、と素直に財布から金を出す。高いとか安いとかあまり考えないのだ。レシートもいちいち見返したりしない。金に感心が薄いというのだろうか、いやお金自体は人一倍大好きなんだが、仮にレジの人が間違えて商品を二度打ちしていたとしても、それはそれで、なん百円か多めに払っていたとしても、まあいいじゃん、と自分に言い聞かせるだけなのだから、確認したってしょうがないのである。なんかスーパーのポイントカードみたいなものは、家人の強い要望により作成してあるが、ポイントがどれくらい貯まっているのかもよくわからないまま貯めっぱなしにしてある。使え、と命令されなければ、ポイントを使う機会も訪れないのだろう。

 無論、支払う金が少ない方がいいに決まっている。だがおれが見るに、ちょっと金にこだわり過ぎなんじゃないか、といった感じの人間の方が人口比率的に高いように思えるので、おれくらいのスタンスのやつがもう少し多い方が、世の中的にバランスがとれて良いのではないか、と自己肯定する次第である。

 そんなおれが、どん兵衛271円には驚いたし、いくらなんでもそりゃないぜと思った。一体どういう理屈なのだろうか。


 どういった理屈なのかはわからないよ。単純にびっくりしたって話だからね。そりゃ少し考えれば、もっともらしい理屈を捻り出すことも不可能ではないだろうが、それはやめておく。二日酔いの余波がまだおれの脳に多大な影響を与えている。あんまりものごとを深く考えたくないのだ。いまは感情の赴くまま、思考の表層部分から湧き出る庶民的なものを文章として記したい。

 物価上昇を身体的感覚でもって実感した阿部ちゃんがここにいる。こりゃ確かにおおごとだ。更にはあの手この手で貧乏人から金をむしり取ろうと画策するお上の連中がいる。ここ最近、連中に遠慮がなくなってきたと感じる。いままでクズどもに甘い顔をしすぎたとでも言いたいのだろうか。持たざる者の実質賃金は下がる一方で、持つ者との差は圧倒的だ。おまえらちょっとこっちにも寄こせよ、とでも言おうものなら、乞食だ左翼だ自己責任だとやかましい。別にいいじゃねえかよ。実際、金がねえんだから。いいから寄こせっつうの。


 お金。金か。お金。金なあ。

 実際のところ、金というものは日々の生活における重要因子のひとつであり、こいつの有無はかなり人生を左右する。金が全てだ、そう断言してしまう連中の気持ちもわからいではない。だがそういう連中が当たり前の存在となった社会は人心が荒れ果ててしまうと、阿部ちゃんはそう思うのだが、実際はそうでもないのだろうか。なんやかんやで上手く回っちゃうものなんだろうか。阿部ちゃんの心の目をもってすると、この社会はぶっ壊れ始めててもう手遅れかもしんないよ、って感じるんだが、そうでもないのだろうか。なんやかんやでみんなハッピッピーなんだろうか。貧しい者がさらに貧しくなるように仕向けるのは、日本という国家にとっても決して良い選択肢とは言えないと思うのだが、そうでもないのだろうか。貧乏人が貧乏なのは自己責任であり競争原理にのっとって極めて妥当な結果なのだから敗北者は飢えて死んだ方が世の中の平均値を上げるからして明るい社会をつくってゆくには当然の犠牲なんだろうか。


 ときにはこういったぺらっぺらの貧乏くさい文章を書くのも悪くない。では良いのか? と問われれば、そういうわけでもない、と答えてみせよう。良いも悪いもないんだよ。いや、あるんだよ。良いも悪いもあるんだ。良いも悪いも内包しているのが、人間というものではありませんか。相反しているのだ。相反しまくっているのだ。あらゆる事象が内面で相反して、ぶつかって、反発して、すれ違ったり巡りあったり、ときには手を組んだり、またときには殴り合ったりする運動こそが生きるということではありませんか。


 だから阿部ちゃんはこう言うのだ。なめんなよ、ヨロシク。と。

 これはヤンキー、暴走族、ツッパリ的な文脈から軽い気持ちで頂戴してきた言葉であるが、よくよく考えてみるとおれの気分にぴったり当てはまる素敵な言葉だったので、ここ最近の文章では挨拶代わりに使用している。

 なめんなよ、これはおれの日常生活における口癖でもあり、おれはやられっぱなしじゃ済まさないぜ、という気分の表れである。おれが生き残る上での原動力となっている精神だ。どれだけずたぼろにやられちまっても、勝てる見込みが一切なくても、ファイティングポーズをとれないくらい疲労困憊していても、なめんなよ、こう一言呟くだけで、なんかこう、最後の一線は守り切ったって感じがしませんか。

 ヨロシク。これはおれの友愛精神の発露であり、なんだかんだ言ったっておれは誰とでも仲良くする準備は出来てるぜ、という気分の表れである。前の妻の不倫相手とすら、最終的には一緒に飲んで仲良くなってしまったおれである。細かいことはどうでもいいんだよ。こいつ、いいやつだなと単純にそう思ったら、ヨロシク、この一言で始まる何かがある。そうは思いませんか。


 いい言葉なんだよ。なめんなよ、ヨロシク。流行らせたっていいぜ。おれの言葉は著作権フリーだ。そういうわけだ。あばよ。

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