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人魚な王子  作者: 人魚な王子
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第3話

「奏には言わないでって言ったのに!」

「は? もう終わった話だろ。お前はちゃんと目的を果たして人間になれた。文句があるなら、直接奏に言えよ。奏もお前の話を聞きたがってたぞ」


 岸田くんの腕に、僕は簡単に押し退けられる。

土の上に転がった僕を、彼は醜いモノでも見るような目で見ると、落とした鞄を拾った。


「お前、やっぱ最悪だな。あぁ、便利なカナデチャンが来てくれたぞ」


 顔を上げる。

その奏は、本当に僕の前に立っていた。


「違う。僕はいずみのことなんか好きじゃないし、いずみだって僕のことを好きじゃない。だから大丈夫。奏とは違う!」


 地面に這いつくばった僕を、岸田くんは笑った。


「あはは。やっぱバカだなこいつ」


 岸田くんは奏の肩を掴むと、そこに顔を近づけた。

奏の唇に、岸田くんの唇が触れる。

その瞬間、僕の心臓が悲鳴を上げた。


「宮野にフラれたんだろ? お前、俺のこと好きだったよな。アイツやめて、やっぱ俺と付き合う?」

「私をおもちゃにしないで」


 彼女はまるで、道ばたで誰かとぶつかっただけみたいに、岸田くんに触れられた唇を手の甲でぬぐった。


「だってさ。宮野。分かったか」

「なんで奏にキスしたの?」


 岸田くんはフッと微笑むと、地面に倒れたままの僕の前にしゃがんだ。


「お前だってしてただろ。人間になったんだから、もう真実のキスとか関係ねぇしな。人間ってな、本気のキスじゃなくても、そういうの、出来るんだぜ」


 彼は更衣室のドアの向こうに消えた。

重い扉のバタンと閉まる音に、僕の体はビクリとなる。

だけどこうなったのは、音のせいだけじゃない。

奏の黒く澄んだ目が、じっと僕を見下ろす。


「……。宮野くんがさ、私を助けてくれたってのは、本当なの?」


 僕はくらくらする頭でぎゅっと目を閉じる。

ずっと想い描いていた陸での暮らしが、こんな風に終わるとは思わなかった。


「そうだよ。奏」


 追いかけてきた奏。

僕の運命の人。

僕は君の、その僕にそっくりなくるくるした短い黒い髪に、自分自身の姿を重ねただけだったのかもしれない。


「その……。宮野くんが、人魚って……」

「うん。だから、奏に会いに来た。僕は、陸の暮らしに憧れたんだ」


 そう。今なら分かる。

僕は彼女を愛したんじゃなくて、海での生活に飽きていただけだったんだ。

永い永い時を、このまま独り暗い海の底で過ごすより、僕は彼女と一緒に明るい日の差す地上で、生きたいと願ったんだ。


「……。それで、宮野くんの願いは叶ったから、もう終わったんだ」

「まぁ、そういうことかもね」


 いずれにしても、彼女に知られてしまった以上、僕は終わりだ。

明るい陸の太陽が、僕と彼女の頭上に輝く。

僕は彼女に手を伸ばす。

彼女に触れたい。

だけど彼女は、その手をパシリと叩き落とした。


「最低って、言いたいけど、それが命の恩人に対して言うことではないとは、思ってる」

「うん」

「だけど、最低」


 奏が怒っている。

そりゃそうだよね。

僕だって残念だ。

だけど初めて彼女にキスをした時から、僕にはこうなることが分かっていたのかもしれない。

やっぱり人魚が人間になろうなんて、無理な話だったんだ。


「ありがとう。楽しかったよ。僕はまだ、プールに行ってもいい?」


 これからどうしよう。

死ぬのは怖くない。

もう十分生きてきた。

残りの時間は、嫌われてたっていいから、できれば彼女の近くで過ごしたい。


「それは……。私の決めることじゃないから。どうせ大会が終われば、私たち3年は引退するし」

「奏も、もう泳がなくなるの?」

「うん。大会が終わったら、そこでお終い」


 だったら少しでも長く、人魚みたいに泳いでいる彼女の姿を見ていたい。


「じゃあ僕も、大会まで泳ぐよ」


 彼女は顔を背ける。

眉を寄せ、唇をかみしめたその横顔は、とても苦しそうに見えた。

僕は奏に、そんな顔をさせるために海を出たんじゃない。


「助けてくれたことには、ちゃんとお礼は言いたい。ありがとう。感謝してる。だけど、それ以外のことは許してない。だから……」

「今まで通りにしてて。普通に。岸田くんと奏が、そうだったみたいに」

「なにそれ。そんなの無理。出来れば顔も見たくない」

「奏がそう言うなら、僕はもうここには来ない」

「それはダメ。言い過ぎ」


 僕は人間じゃないから、人間の気持ちは分からない。

だから何をやっても上手くいかないし、奏の気持ちも分からない。


「奏はどうしたいのか教えて。奏の言う通りにする」

「学校にはちゃんと来て。部活も出て。大会も真面目に泳いで。優勝して」

「それが、奏の願い?」


 彼女がうなずく。

泣き出してしまった彼女を、僕は今すぐにでも抱きしめたいけど、昨日まで簡単に出来ていたことが、もう今日には出来ない。


「約束する」


 僕は自分の小指を差し出した。

僕から奏にする、初めての約束。

彼女はその指に、自分から指を絡めてくれた。

そのことを僕は、きっと海の泡になっても忘れない。

彼女の細く小さな指が、僕から離れた。


「じゃ、さようなら」

「さようなら」


 その『さようなら』は、付き合うのをやめるってことだよね。

それはもう、僕のことを好きにはならないってことだよね。

彼女のスカートの裾が、女子更衣室の扉の向こうに消えた。

あぁ、そうか。

やっと分かった。

僕はようやく、大事なことに気がついた。

奏は僕を好きだったけど、僕が本当に彼女のことを好きじゃなかったから、この魔法は解けなかったんだ。


 鱗のない肌を、強い日差しが焼き尽くす。

僕は人魚のままだ。

自分が変われていないことくらい、自分で分かる。

奏にだけは知られてはいけなかったのに。

僕にはもう、どこにも居場所はない。

全身から噴き出した汗が、ぽたりと地面に垂れて吸い込まれる。

地上に出てから初めて、僕は海に帰りたいと思った。



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