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人魚な王子  作者: 人魚な王子
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第2話

 陸の上を靴を履いて歩くのは、海の中を泳ぐのとは全然違って、とっても新鮮な感覚だった。

水と違ってフワフワしていて、自分の体が軽くなったのか重くなっているのかもよく分からない。

周囲には沢山の人や動物がいて、空にはあまり見たことのない鳥が飛んでいて、時々海に流れてくる本や、人魚づてに話しでしか知らなかった桜の花の、本物に咲いているところを生まれて初めて見た。

何もかもが初めて見るものや聞く音ばかりで、臭いなんかも全然違ってて、この世界も案外にぎやかで綺麗なところだったんだなって、そう思った。


「君が転校生? 随分薄着だね。寒くないの? 帰国子女だって? 」


 案内された部屋で待っていると、担任っていう名前の先生がやってきて、僕にそう言った。


「はい、そうです。寒くはないです」

「そう。分からないことがあったら、なんでも聞いてね」

「はい!」


 いよいよ人間生活の始まりだ。

手に入れたばかりの新しい心臓が、ドキドキと高鳴る。

見るもの全てが新鮮で不思議なものばかりだった。

高校という場所に作られた、大きな建物の中を歩く。

人間ってのは、こんなにも大きくてまっすぐなものを、上手く作るもんなんだな。

廊下って呼ばれてる、不思議な洞窟を通るのも初めてだ。

だけどここはちょっと、どこもかしこも真っ直ぐでつるつるしすぎだよね。

ごつごつした海の洞窟とは大違いだ。

人間ってのはきっと、こういう真っ直ぐでつるつるした感じが好きなんだろうな。

辺りをきょろきょろ見ながら歩いていたら、先生は突然扉の一つをガラリと開け、廊下の脇に規則正しく並ぶ四角い横穴に入っていく。

なんだろう。

あまりにもきれいに並びすぎているのも、どうかと思う。

それがちょっと怖くて、おどおどしながら僕も中に入ると、そこにはやっぱりちゃんと規則正しく並んだ人間が、沢山座っていた。

僕が足を踏み入れたとたん、彼らの視線が一斉に集まる。

びっしり並んだ、もうすぐ幼生の生まれてくる直前のイカの卵か、ゴンズイの群れみたいだ。


「あー、みんなに転入生を紹介する」


 僕の新しい肺が、息を止めた。

自分はいま本当に、人の姿をしてるかな? 

ちゃんと人間になれてんのかな。

ここにいる人たちから、アイツなんかヘンだぞって、思われてないかな。

僕の体にはもう、ヒレもなければウロコもない。

きっともう、今までのように海も上手に泳げない。

だけどここで生きていくって、決めたんだ。

もうあの暗い水底には、決して戻らない。


「宮野正輝です。よろしくお願いします」


 はやる胸の鼓動を押さえながら、教室の中をじっくりと見渡す。

ゴンズイの群れが、ようやく人の顔に見えてきた。

均等に並んだ机と、そこに大人しく座っている一人一人の顔を、ゆっくりと確認していく。

ちゃんと探さなくちゃ。

僕の希望。

僕の光り。

僕に生きる意味をくれた人。

立たされていた壇上から、一歩前に踏み出す。

みんな同じ服を着て、同じような格好をしているから、あんまり見分けがつかない。

微妙な顔の形と目鼻の位置、髪型だけが頼りだ。

並んだ机と人の隙間をゆっくり進む。

1人の女の子が、ごそごそと顔を上げた。

ちょっとクセのあるくるくるした短い黒髪と黒い目。

僕とそっくりな人間の女の子。


「あぁ、やっと会えたね。元気にしてた?」


 懐かしい彼女の顔が、こっちを見上げる。

間違いない、この人だ。

僕の運命の人。


「好きです。結婚してください」


 指先で彼女の前髪に触れ、頬に触れる。

体を曲げ、その唇にキスをしようとした瞬間、左頬に激痛が走った。


「痛ったぁーい! 何で叩くのさぁ!」

「当たり前でしょう!」


 真っ赤になった彼女が、ぷりぷりに怒っている。


「いきなりやって来て、なんなの?」


 教室にいた他の人間たちが、一斉に笑った。

僕は痛む頬を押さえる。

あぁ、そうだった。

彼女は僕のこと、覚えてないんだった。


「だって、キスしないとダメな仕組みなんだもん!」

「なにが? てゆーか、なんで!」


 痛い。酷い。

彼女を見つめる。

真実のキスを彼女としなければ、僕は本当の人間になることは出来ない。

僕が海から出た日から1年という期限を過ぎれば、僕は海の泡となって消える。

だけどそれは、彼女には絶対に言ってはいけない秘密。


「どうしてもなの!」


 もう一度彼女にキスしようとしたら、今度は体ごとドンと突き飛ばされた。

床に尻もちをつく。


「もう! なんで突き飛ばすのさ! やめてよ!」

「それはこっちのセリフ!」


 痛むおしりをなでながら立ち上がる。

このおしり、まだそんなに慣れてないのに。

もっと大切にしたかったのに。

泣きそうな僕に、教室の人間はみんな笑っている。

先生が言った。


「なんだよ、お前ら知り合いだったのか」

「はい。そうです」

「は? ぜんっぜん知りません! 全く見ず知らずの他人です!」


 なんだそれ。なんかめっちゃ悔しいし。

僕は痛む頬をおさえたまま、泣きそうな気分で彼女を見下ろす。


「なんでそんなこと言うの!」

「だって、そうなんだもん!」


 記憶がないって、本当に面倒くさい。


「じゃあ奏。おまえが面倒みてやれ」


 先生という人間が指示を出すと、本当にここの人たちは、それに従わなくてはならない仕組みらしい。

彼女はまだぷりぷり怒っていたけど、僕のことをあっさり引き受けた。


「名前、海野奏っていうんだ」

「あんたの席は、あそこだってよ」


 彼女が指さした窓ぎわに、誰も座っていない机と椅子が置いてあった。

僕はとてもうれしくなって、満足してそこに座る。

初めて人間の世界に用意された、自分の場所だ。

そこに腰を下ろすと、すぐに彼女に手を振る。

それなのに、冷たくプイと横顔を向けられた。

教室のみんなはずっと笑っていて、それでもみんなが僕を見て楽しそうにしてくれているから、よかった。

人魚だって、バレずに紛れ込むことに成功したみたい。


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