表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人魚な王子  作者: 人魚な王子
30/62

第5話

「放せ! 僕は奏を追いかけなくちゃいけないんだ!」


 殴りたくはないけど、殴らずにはいられない。

彼女をそのままにしておくなんて、そんなことは出来ない。

思い切って振り上げた拳は、だけど簡単に押さえ込まれてしまった。


「なぁ宮野。お前、人魚だろ。俺は去年の冬、海岸で溺れた奏を浜に残して、脱げた靴を履かせてまた海に戻るのを見た」


 体の中で、ボコリと血の泡立つ音が聞こえた。

僕の体に残る人魚としての血だ。

心臓が止まる。

あの時彼女の足からポロリと外れた小さな殻みたいなものが、スニーカーという靴であることを、僕はもう知っている。


「お前が助けた後で、奏を助けたのが俺だ。お前がうちの学校に転校してきた時は、死ぬほどびっくりした」

「見てたの?」


 抵抗しようと腕を動かしても、がっちりと掴んだ岸田くんの手は僕を放してくれない。


「見てたよ。お前が凄い勢いで泳ぐから、水面がさーっと一直線に盛り上がって、それでなんだろって見てたら、勢いよく浜辺に飛び上がった。奏と一緒に」


 振り上げた拳から、力が抜ける。

もう立っているだけの力も残っていない。

僕はその場にガクリと膝を落とした。


「お願い。そのことは誰にも言わないで。じゃないと僕は……」

「だから、奏にまとわりついてんだろ?」

「なんで知ってるの!」

「有名な話しだろ。人魚っていえばさ。たいがいはみんな知ってるよ」


 どれだけ正体を隠しても、隠しきれるものじゃないって、海のみんなも言っていた。

本当のことって、嘘はつけないよって。


「他に、僕の正体を知ってる人は?」

「いずみが知ってる」


 いずみ? いずみか。

そういえばここに来た最初の頃、他の人に比べても、ちょっと僕に意地悪なような気がしてたんだ。

そうか。そういうことだったんだ。


「バカだな僕は。そんなことも知らずにいたんだ」


 岸田くんといずみが知ってるっていうのなら、僕にもう逃げ場はない。


「じゃあ、僕がどうしてここに来たかも知ってるの?」

「人間になりたいってやつ?」

「そう。そうだよ。じゃないと僕は、海の泡になって消えるんだ」


 海の泡になるのは怖くない。

いつだって彼らは僕らのそばにあったし、いつかはみんなそうなる。

暗い海に現れては浮かぶ透明な泡は、優しかった長老の魂で、美しい女王の欠片だ。

だけど僕が何よりも恐ろしいと思うのは、このまま自分が何にもなれずに終わってしまうこと。


「僕は、奏と一緒に生きていかなくちゃいけないんだ。勝手にそう決めたのは、僕だけど」

「俺にはよく分かんねぇけど……。まぁ、お前がそう言うんなら、そうなんだろうな」

「頼みがある。このことを、彼女に知られたらいけないんだ。じゃないと僕は、もう絶対に人間にはなれない」


 岸田くんを見上げる。

僕の運命は、もう僕一人の力でどうにかなるものではなくなってしまった。


「まぁ、邪魔をする気はないけどさ。協力は出来ないぞ」

「だから奏は、さっき泣いたの? 奏は僕より、岸田くんの方が好きってこと?」

「知らねぇって!」


 もしかしたら彼は、そのために奏の『好き』を断ったんだろうか。

だとしたら、奏が泣いた原因は、僕にもある。


「分かったよ。もういい。黙っていてくれるだけで十分だ。ありがとう」


 震える膝を押さえ、何とか立ち上がる。

自分の体が、もう自分のものではなくなってしまったみたいだ。

たった一つの望みを叶えることが、こんなにも難しい。

自分だけの意志では、自由に動けない。


「俺がお前に協力っていうか、それを黙っててやるのは、別に脅しでもなんでもなくて、俺といずみが、お前に感謝してるからだ。特にいずみは……。あのまま奏にもしものことがあったらって思うと、今でも怖くて仕方がないって言ってる。俺だってそうだ」


 そんな僕に、岸田くんはとても優しい声で言った。


「なぁ、宮野。俺からも頼みがあるんだ」


 彼の茶色の目は、意地悪でもなんでもなく、とても綺麗に澄んだ目をしていた。


「奏以外のやつらにも、泳ぎを教えてくれないか。学校全体で、この夏を勝ちたい。だからその、お願いっていうか、なんていうか……」


 僕はすっかり日の落ちたプール前の広場で、背の高い彼を仰ぎ見る。

ここへ来たころにはよく見ていた外灯に、ようやく灯りがついた。

そんなこと、もう僕に選択肢は残されていないじゃないか。


「うん。いいよ。約束する。ちゃんとみんなに泳ぎ方を教えるよ」

「本当か! 助かるよ。ありがとう」


 岸田くんはすごく喜んでくれて、僕はそれににこりと微笑む。

彼と別れた日の沈む陸の街を、僕は使い慣れない足で歩き始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ