7 最後がいちばん楽しかった
塔子
病院に入院して、また、毎日のようになっちゃんがそばにいてくれる。誰か会いたいという人がいたら、午前中は断っている。それと午後は夕方まで。
高遠君は他の人とバッティングしないように、午前中か夜、面会時間ぎりぎりのときにやってくる。
「人生は80年って言うのにな。」
「うん。」
「早すぎるよ。」
「うん、まぁ、そうなんだけどさ。でもね、わたしこれでも運はいいほうだよ。」
「こんな早くに病気なっといて?」
「だって、わたし、今までに4度死にかけて、生きのびてるんだよ。」
「え?」
彼、一瞬無表情になった。
「事故にあって一回、自殺未遂で二回、この前の病気で一回。」
「ああ……」
「だから、もう、しょうがないって。今回は。」
彼はため息ついた。
「お前、ほんっと、理解できない。なんでこんな時までそんなさばさばしてるの?」
「ん?そう?」
「あれだ。死んだら会えるからだろ。」
「は?」
「一番目の旦那。」
しばらくぽかんとした。
「はぁ?」
何を言い出すんだ。この人は。
「楽しみなんだろ。」
「そんなわけないじゃない。ほんっと、馬鹿なんだから。」
じとっとした顔で見てる。
「俺ばっか嫉妬して、ばかみたい。」
「わたしは、嫉妬するような女じゃないからしょうがないじゃない。」
「いや、嫉妬してた。」
「いつ?」
「元旦那と別れた後」
「……」
ええっとそれは、二番目の旦那のことだな。
「あ~あ~。つまらないな。」
ベッドに頭のっけてる。のっけて拗ねてる。この人、ほんと何歳なんだろう?
「ねぇ、ラッキー、やっぱり俺にちょうだいよ。」
「なんで?」
「お前のいない毎日なんて耐えられない。ラッキーも同じだろうから、慰め合うんだよ。」
本気なのか冗談なのか分からない顔をしている。
「だめ。」
「なんで?」
「玲子さんに悪いから」
「……」
この人、わたしに見せないようにしてるけど、玲子さんに気を使ってる。傷つけないように気を付けている。もちろんできるだけだけど。
「ラッキーは大地君のとこにいて、あなたがときどき会いに行く。そのくらいの距離感がいいのよ。」
もう一度ベッドに伏せてしまった。その髪に触れた。わたしの前だと子供みたいになってしまう人の髪に。
「ねぇ、わたしが早く死んだらさ。今度は玲子さんのこと旅行に連れてってあげなよ。」
むくっと起き上がった。
「お前はほんとに変わらないな。」
「なにが?」
「今の言葉はお前がいなくなった後、何度も何度も思い出して、悲しくなることば。」
「……」
「玲子にはお前の代わりはできない。あいつにそれなりに優しい気持ちはあるけど、あいつと旅行に行ってもね。お前と一緒に行ったときのような気持ちにはならないよ。」
そう言ってまた伏せてしまった。
ベッドに置かれた手に手を重ねた。
「ごめん。」
「慣れてるからいいよ。」
「わたし、きっと人生のね、最後が一番楽しかったよ。」
彼が顔をあげた。
「あなたがいなければ、ただの寂しい終わりだったと思う。」
「ほんと?」
「うん。」
「俺とこういう仲にならなかったら、塔子はどんな生活してたんだろうな?」
「どうだろ?」
ちょっと考える。
「タケコさんと同棲してたりして。」
はははははと彼が声を出して笑った。
「すげえ、リアルに想像できる。2人で住んでるところ。」
「2人と一匹ね。」
ラッキーもいる。そこには。
「それで、それでも2人で暮らしているとこにしつこく高遠君が来てるの。」
「それも、すげえやだけど、想像できるわ。」
「で、四人で、こたつ入ってミカンでも食べてたんじゃない。あ、三人と一匹か。」
笑った。2人でしばらく笑った。
その笑顔を見ながら、続けて言った。
「ねぇ、約束して。」
「何を?」
「わたしが死んでも、ちゃんと生きてね。」
「……」
返事がない。彼の手を握った。片手を両手で。
「わたしはちゃんと生きたよ。だから、あなたも生きて。」
「自信ない。」
泣きそうな顔している人に向けて、笑顔で言った。
「わたしのときよりいいよ。あなたは。わたしのときなんて、一瞬でいなくなっちゃったから。あなたはお別れを言う時間があるでしょ?」
彼は目を閉じた。閉じたままで言った。
「これだけは言える。お前以外に俺には誰もいないから。」
「未来は分からないじゃない?」
「もう若くないしな。」
そう言って目を開けて少し笑った。
「別の人を好きになって立ち直るってこともできないしな……。何を支えにして生きていけばいいんだ?」
「じゃあ、こうしよう。」
わたしはいいことを思いついた。
「定期的にNESTの様子を見に行って……」
「見に行って?」
「その様子をお墓まで報告に来て。」
「なんだそりゃ?」
「仕事だよ。」
もう一度小さく笑った。
「お花を忘れずにね。」
「お線香もか?」
「そう。」
彼がわたしの髪をなでた。
「そしたら幽霊の姿で出てきてくれる?」
「へ?」
ばかねぇ、と言おうと思って彼の顔見る。高遠君は悲しそうな顔をしていた。
「死後の世界がどうなってるかわからない。約束できないな。」
「嘘でもいいから、出てくるって約束して。」
この人が心配だ。胸が痛んだ。
「わかった。最低でも一回は出てくるって約束する。」
そう言っても高遠君は笑いませんでした。
「ねぇ、お願い。ちゃんと生きて。」
「……あの時みたい。」
「ん?」
「母さんも、病気の自分のことほっておいて、俺の心配ばっかしてた。」
「……」
もう一度彼の手を握った。
覚悟はできているはずで、少しずつ周りの人ともお別れを済ましてきていて、それなのに、二度目の病気が見つかってから初めて、死にたくないと思ってしまった。
「いつか、こういう日が来るってのは分かってたよね。」
「……」
「だから、いっぱい旅行したよね。」
頭の中にいろいろな思い出が広がった。
「おいしい物食べて、珍しい物見て、あなたとばかな話いっぱいして……」
「うん。」
「楽しかった。人生で生きてきて一番、あなたと一緒になってからが一番楽しかったよ。」
さっき言った言葉をもう一度繰り返す。
「ありがとう。」
高遠君の目から涙が流れてしまった。両目から二粒、頬を伝った。
「わたしの人生で、悲しいこといっぱいあったけど、最後の最後に楽しかったって言えるのはあなたのおかげ。ありがとう。ありがとう、高遠君。」
わたしが消えてしまった後に、彼はやっぱり泣くのだろうと思う。悲しいのだろうと思う。それはどうしようもないことで……。ただ、そこにある救いはわたしが幸せに感謝しながら死んでいったということだけではないか、だから、そのことが彼の記憶に強く残ってほしい。
わたしは笑いました。わたしにできるかぎりの笑顔で。忘れないでほしい。わたしが笑いながら死んでいったということを。