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旅のおわりとはじまり  作者: 汪海妹
2/9

2 オーロラの君













   千夏












   「わたしは、もう一晩おばあちゃんと一緒にいる。小野田の家には明日の夕飯までにはいくようにするから。」

みんなで、お節をつついているときに言う。

「お義母さん、こんなこと言ってますけど……。」

お母さんが、おばあちゃんの顔色をうかがう。

「いいわよ。別に。千夏1人ぐらい。」

「やったぁ。」


お母さんはこの展開に内心では安心しているはずだ。今までに何度となく繰り返されてきた、お母さんとわたしの間の暗黙の了解とでもいうべきお芝居。母は、わたしを祖母のそばに置きたいのだ。なぜなら、誰かがそばにいなければ、祖母には犬しかいない。

我々はいつも日本と香港で離れていて、会えるのは盆暮れ正月ぐらいしかないのだ。


祖母の一人暮らし用のマンションには、ゲストルームが一部屋とベッドが一つあるだけ。ゲストルームの床に布団敷いて、ぎゅうぎゅうとくっつきあって寝る。我が家の正月の恒例行事。

だけど、この狭い部屋でぎゅうぎゅうと何日も滞在し続けるのは困難。だから、いつも途中で、お母さんの実家、小野田の家に移る。そうすると、にぎやかだったのがいきなり静かになる。

そういうのがお母さんは忍びないのだ。


とはいえ、祖母は強い人なので、あからさまに寂しいだろうからとべったりされるのは好きではない。だから、さりげなく誰かが傍に残る。そして、それはいつの頃からかわたしの役目になっていた。

わたしはこの役目を母が望むからやっているわけではない。わたしは単純に祖母が好きなのである。少し変わっているこの人が。


祖父といろいろあって、というか、祖父は祖母と別れて他の女の人と再婚した人です。その人との間にも子供がいる。小さい頃はぼんやりとしか分からなかった大人の事情。大きくなってよく考えると、とんでもないことで。でも、わたしは祖父を嫌いにはなれなかった。どうしてもそんなひどいことをする人には思えなかった。そして、祖母は、そんな風に傷つけられたにも関わらず、あっけらかんとしていた。

わたしの知っている祖母はいつも1人でしっかりと仕事をして、明るくてさばさばとしていて、素敵な女性です。男に捨てられたみじめな女ではない。だから、わたしは祖父を嫌いになるのを止めました。おばあちゃんはきっと許してくれると思うし、それにね、夫婦が別れるというのは、やっぱりその当事者たちの問題なのかなと思うのです。わたしは孫だけれど、わたしが裏切られたのではない。裏切られた祖母が許しているのだから、じゃあ、わたしはそこで悩む必要はないのかなと、ある時から思うようになった。


「ね、おばあちゃん。去年はどっか旅行に行った?また、写真見せて。」

最近は、2人きりになるといつもする恒例の行事がある。退職してからの、祖母の毎日。ときどき、公民館で中学生の子達に英語やそのほかの勉強教える以外、ふらりと旅行に行っている。国内だったり、ときどきは海外だったり。

とても素敵な写真を撮っていて、それを見せてもらうのが好きだった。


一番素敵だったのは、オーロラの写真。本当にきれい。羨ましい。絶対にいつかわたしもこれ、見に行く。と言ったら、祖母はニッコリ笑って言った。いつか時間を自由に使える年の大人になったら、自分へのご褒美にいきなさいって。

大人の女性になって、自立して、自分へのご褒美として時計とかアクセサリーとか買うのもいいけど、この空の宝石を見に行くのもいいな。遠い未来への憧れができました。

祖母はにこにこしてた。


誰と行ったの?おばあちゃん。というのは禁句。


聞かないのがとても不自然ですが、暗黙の了解でわたしは毎回それを聞かない。だけど、お母さんに聞いて知ってます。

おばあちゃんには恋人がいるんです。

どういう素性の人なのかお母さんに尋ねたとき、お母さんってさ、わかりやすいんだよ。


うーんとと言いました。

それから、ええっとと言いました。

ああ、もういいよと答えました。


きっとだから、まぁなにか大人の事情がここにもあるのかもしれません。

おばあちゃん、やるじゃない。

中学生のわたしとしては、反対にそう思ったわけで。

で、まぁ、情けとして、聞かない。本人にも、お母さんにも。

ついでに言うと、お父さんとはこういう話、しません。


おばあちゃんの旅のアルバムには、その大人の事情の相手は見事に映っていません。景色とか、食べ物とか、あとは、祖母が一人で映ってる。その顔が孫に見せる顔と少し違います。


いつかおばあちゃんみたいにわたしも、自分へのご褒美としてオーロラを自由な時間を使って見に行きたいです。その時、好きな人と一緒にそれを見られたら、どんなに幸せだろう?形に残らないきれいなものを好きな人と見る。それは指輪を贈られるよりもしかしたら、もっと心に響くかもしれない。だって、指輪を贈る手間と一緒にあんな遠いところまでいって、いつみられるか分からない物をゆっくりと待つ手間、どっちが大変だろう?そんなものにつきあってくれる人がいること、それ自体が本当に幸せなことだと思うんです。


そして、図らずも、わたしはそのオーロラの君とバッティングしてしまった。


小野田家にみんなが行ってしまい、わたしだけが1人残って一泊多く祖母の家に泊まった翌日。お昼ご飯の後に、祖母は郵便局に用事があると言って1人でかけました。わたしは祖母の家でラッキーと一緒にお留守番をしていた。


チャイムが鳴って、出た。


おばあちゃん、鍵、忘れた?それにしても早いなと思いながら。

がちゃりとあけると、小奇麗な格好をした男の人が立っていた。祖母と同年代の人。


「え?」


狼狽しました。表札見直して、もう一度わたしの顔を見て、


「ああ、千夏ちゃんか。わからなかった。」


片手で口元おさえながら、普通に驚いた後に、やばいと言った。


「何がですか?」

「いや。みなさんもういないと思ってた。みなさんいるときには来るなと言われてたのに。」

「へ?」

「僕に会ったことは塔子には言わないでください。千夏ちゃん。」

「あの……」

「ん?」

「なんで、わたしの名前知ってるんですか?」

「ああ、大昔に会ってるんだけど、覚えてないよね。」


そう言って笑った。

なんというのかな?その笑顔を見たときに、うまく言えないんですけど、この人本当に祖母のことが好きなんだなぁって思ったんですよ。

わたしに対して笑いかけているんですけど、その笑顔がこんなに柔らかいのは、わたしが祖母の孫だからで。好きな人の家族に対しては、やっぱり人は同じような好きだという気持ちがほとんど会ったことがなくても沸く物だと思うから。

そして、好奇心というか興味がわいた。どんな人なの?この人。オーロラの君。


「帰んないでください。」

「え?いや、困る。なんで?」

「暇だから。」


コートのはじっこつかまえた。


「いや、ほんとに怒られるんです。帰ります。」

「でも、このまま帰っちゃったら、知らない人が来たって言うし、結局同じですよ。会っちゃったんだから、もういいじゃないですか。」


じっと見られた。

「顔も似てるけど性格も似てるな。千夏ちゃん。」

「え?誰に?」

「おばあちゃん。」


部屋にひきずりこんだ。ラッキーがしっぽ振る。やっぱり、ラッキーとも顔見知りだ。このおじさん。


「これ、お土産。」

「あ、ケーキだ!」

中覗いた。

「おじさんの分がないね。」

「俺は食べないからいいの。ケーキ一つだけ買うのってちょっと気まずいから二つ買っただけ。あとでおばあちゃんと食べて。」

まだ、帰る気でいるな。この人。

「すぐ帰ってくるからみんなで食べようよ。」

「ねぇ、千夏ちゃん。本当にまずいんだけど。」

「でも、ケーキ残ってたらどうせわたしと顔合わせちゃったってばれるじゃん。」

「……」


ソファーに座らせてお茶をいれた。やっと観念したのか、コート脱いだ。ラッキーが寄っていく。頭なでている。お茶を入れて、テーブルに並べてからわたしも座った。

事情聴取の時間は祖母が郵便局から戻ってくるまでに限られている。


「ね、わたしっておばあちゃんとそんな似てますか?」

「髪が違うけど、顔立ちは塔子が若い頃とそっくりだよ。」

「2人はいつから知り合いなの?」

「……」

おじさん、お茶を飲んでいる。

「中学生?」

「……いや、高校生。」

「え~!」

びっくりした。そんな昔からの知り合いなんだとは思ってなかった。

「じゃあ、お爺ちゃんとおじさんどっちがおばあちゃんと先に知り合ったの?」

「……」

「もしかして、2人で取り合ったの?」

頭の中で様々な仮説が立って、伸びていく。すさまじい勢いで。

「あの、おばあちゃんに聞いたらいいんじゃないかな?」

「なんで?」

「何を言ってよくて、何を言ったら悪いのかがよくわからないし。」

「でも、おばあちゃんにはなんか聞きづらい。」

「なんで?家族でしょ?」

「家族だからだよ。」


がちゃり。おんおん。

がーん。いいとこだったのに。ぱたぱたと音がして、リビングのドアが開く。


「え?」

「よお」


この時の祖母の顔。おじさんに悪いことをしたと一瞬で悟った。


「なに、やってるの?」

「え、いや、これには事情が……」

「わたしが引き留めたんだよ。だって、おばあちゃんのお友達でしょ?」


おじさんがわたしの顔をパッと見る。

話合わせな、おじちゃん。もちろんそんな友達だなんて思ってないけどさ。

祖母がじっとわたしを見る。

おばあちゃん、千夏はそんな大人の事情なんてまだ全然分からない女子中学生です。この人はおばあちゃんのお友達だと思ってますよ。にこにこ。


「なんか変なことされなかった?千夏ちゃん。」

「え?」

一瞬ぽかんとした。


「お前、その言い方はさすがにないだろ。ほとんど面識ない子の前でさ。そういうやつだと思われるだろ?」

おばあちゃんおじさんの言うこと無視して続ける。

「1人の家に知らない人あげたらだめよ。」

「いや、ラッキーいるし。というか、おばあちゃんのお友達でしょ?」

「うん。まぁ、そうだけど。」


にらみ合う2人。ああ、やばい。ごめんなさい。


「ほら、ケーキ買ってきてくれたんだよ。おばあちゃん。怒らないで。みんなで食べよ。わたしが無理言ってあがってもらったんだから。」

「無理?」

「ええっと……」


事情聴取したくてとも言えないし。


「まぁ、いいじゃない。細かいことは。」


にこにこ。孫娘スマイルです。折れた。折れたよ。おばあちゃん。


その後、微妙にぎくしゃくしている2人の間であたりさわりのないおしゃべりをしながら、香港ってこんなとこなんです、来たことありますか?そんな話して……。

おじさんは香港に来たことあった。それに、他にもいろいろなアジアの国に行ったことがあるみたい。


「すごいですね。そういうお仕事なんですか?」

「んっと……」

「金持ちの道楽息子なのよ。」


思わず2人でおばあちゃんの顔を見る。


「なに?」

何も言えないおじさんの代わりにわたしがフォローを入れた。

「おばあちゃん、何もそんな言い方しなくてもいいじゃない。」

「え?」

「悪かったな。金持ちの道楽息子で。」

「別に悪いとは言ってないじゃない。事実を言ったまでで。」

もはやフォローのしようがない……。

「千夏ちゃん、一部の人にしかない特権を持ってる大人を人生の参考にしちゃだめよ。」

祖母がまじめな顔でわたしを諭す。

「誰が参考にならない大人なんだ?」

「別にあなたが参考にならない大人なのは、あなたのせいじゃないじゃない。」


なんか、もっと違う物を予想してたんだけど。こう、ロマンチックにオーロラ見に行ったりしてるから……。


「オーロラ待ってる間もそうやって2人で喧嘩してたの?」


2人でこっち見た。それからちょっと恥ずかしそうにした。祖母は、恥ずかしそうにしたけれど、2人で旅行に行ったことを否定はしなかった。嘘をつきたくなかったんだと思う。


「喧嘩、してるわけじゃないんだけどね。昔っからこうなんだよな。」


そう言っておじさんが笑った。

けんかするほど仲がいいという言葉をふと思い出した。その時。


おじさんはわたしたちが2人でケーキを食べるのを横で眺めて、お茶を飲み終わると席を立った。

「じゃあ、今日はごめんなさい。」

そう言ってコート着て帰ろうとするのをつかまえた。

「なに?千夏ちゃん。」

「おじさん、車で来たの?」

「うん。そうだけど。」

「じゃあ、わたしを送って行って。」

「え?」

困っておばあちゃんのこと見てる。


「いいよね。おばあちゃん。」

「わたしが送ってくわよ。」

「でも、ラッキーがさみしいよ。」

「……」

おばあちゃんも困っている。あまりしつこくダメというのもどうかと思ってるのかもしれない。

「ね?折角おばあちゃんのお友達に会えたんだからさ。」

結局は強引に押し切った。


「で、どこに行けばいいの?」

わたしが住所を教えるとおじさんは車を出す。

「そういえば、お名前なんて言うんですか?」

「高遠です。」

「ね、高遠さん。それで?おじいちゃんとおばあちゃんのこと、取り合ったの?」

運転しながら、ちらっとわたしに視線を走らした後で、ため息ついた。高遠さん。


「千夏ちゃんは、おばあちゃんの前と今と、どっちが本当の千夏ちゃんなの?」

「中学生ぐらいになるとね、親の前とそれ以外ではみんな違う顔を持っているものだよ。」

「……なんかショックだな。」

「高遠さんは?子供とか孫とかいないの?」

「それを聞いてどうするの?」

おっと、失敗失敗。

「ごめんなさい。やっぱり今の質問は取り下げます。で?聞かせてくださいよ。高校生の頃の話。」

もう一度ため息をついた後に、高遠さんは口を開いた。

「高校生のときは何もありませんでした。同級生だっただけ。」

「おばあちゃんってどんな高校生だったの?」

そう言うと、高遠さんは前を向いたままでふっと目を細めた。

「学校で評判の美人だったよ。」

「高遠さん、仲良かったの?」

「一生懸命話しかけて、相手にしてもらえなかったな。」

「じゃあ、いつから相手にしてもらってるの?」

ちょうど信号待ちで車が停まった。高遠さんがこっちを向く。

「そんなことなんで聞くの?」

「ただの、好奇心。」

だまってじっと見られてる。

「今後の参考に……」

「千夏ちゃんは、今、中学生なんだっけ?」

「なんで急にわたしの話?」

「俺ばっかり話すのも不公平でしょ?」

「え~!」

それからは、のらりくらりとかわされてしまった。ちえっ。


「着いたよ。」

「あ、すみません。ありがとうございます。」

車を下りる前に最後に言った。

「この家の隣の家、あるでしょ?」

「え?ああ、うん。」

「おじいちゃんとおばあちゃんの家だったの。離婚して売っちゃったけど。」

「え?」

高遠さんはちょっとぽかんとして、窓からその家を見た。

「うちのお父さんとお母さんってね。隣同志だったんですよ。昔。」


それじゃあ、と言って車をおりた。外は寒い。寒い中、高遠さんの運転する車が見えなくなるまで見送った後、小野田家に入る。


「ただいまぁ。」

「あ、千夏ちゃん。」


奥のほうがにぎやか。小野田のおばあちゃんの声が聞こえた。久しぶり。急いで、靴を脱いで、家にあがる。もう一人の祖母に顔を見せるために。




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