第四話
第四話
結局、少年とはその日一日言葉を交わさなかった。
加えて夕食にも顔を出さなかった。
本当に、何を考えているのかわからない人だ。
時刻はもう十二時を過ぎているが、寝付けない。
きっと刺激不足というやつだろう。
断って仕事をサボっているわけではない。
ただすべての業務が単調なのであって、こなしてしまえば瞬く間に終わる。
かと言って掃除などを突き詰めたところで、一、二時間稼げるかどうか。
言ってしまえば暇なのだ。
まだ二日しかたっていないのにこの有様とは、これからどうすればいいのか。
結論が見えない議題に頭を抱える。
布団を敷いて寝る準備をする。電気を消すと、窓の下から黄金色の光が射した。
「始さん、まだ仕事をしているのか」
今朝の罪悪感を布団にもっていく。
「ふふふ、私は早寝ですよ。九時には床についています」
昨日の罪悪感をぶつけてみたが、的外れだったようだ。
「そのようなことで、駆け下りてきたのですか」
朝から息切れしている俺を、面白がる始さん。
「先生ですね。その様子だと、昨夜は遅くに寝られたのでしょう。真之さん、様子を見に行ってくれませんか」
「わかりました」
「もしも寝ていたら、そのままにしてください。こういう日は少し時間を遅らせますから」
俺は軽く相槌を打ち、台所を出る。
まてよ。
『もしも寝ていたら』とは。
いやそんなことはない。
夜更かしどころか徹夜をするなど。
いくつもある座敷を抜け、椿の障子に手をかける。
襖の奥には墨のにおいが充満した、習字紙だらけの空間が広がっていた。
中央には少年が畳に手を付け、筆を動かしている。
襖を全開にし、空気を入れ替える。
座敷を渦巻いていた墨の匂いが、全身に纏わりつく。
「先生、朝ですよ」
はっきり声を出しても、少年は筆を止めることはない。
足元に広がる和紙の海を、一枚一枚つ積み上げる。
ようやく少年の横にたどり着くことができた。
「先生」
耳元で声を出すが、筆は波を打つことをやめない。
「先生」
「先生っ」
しびれを切らして、筆を持つ右手をつかんだ。
「あっ、」
ぎょっとした様に、少年が見上げる。
「すいません。朝食の時間です」
まっすぐで艶のある黒髪が、少年の耳元を揺らす。
「朝餉は食べました」
その言葉に、すべてが繋がった。
つまりこの少年は、昨日の朝以降何も口にしていないのだ。
昨夜の明かりのことも加え、恐らく一睡もしていないのではないのだろうか。
「先生が食べたのは昨日の朝食です。もしかして、昨日の朝からずっと字を書いていたのですか」
消え入るような少年の声を、さらにかき消すかのように響いた。
「多分」
人形のような唇が、わずかに動く。
手をつかんだところが汗ばんだ。
軽く謝罪をし、手を放す。
「とりあえず食事にしましょう。そして寝てください」
こくりと、うなずく。
俺が立ち上がるのに続くよう、少年がゆっくりと膝を上げる。
その瞬間、少年の体がふらりと傾いた。
「うわっ」
咄嗟に少年の腰をつかむ。
男にしては軽すぎる重さに、幼さを感じた。
「あり、がとう」
「体調がよろしくないのですか」
首を横に振った。
「ではいきましょう」
習字紙の海を抜け、俺と少年は台所に向かった。
「ああやっと来た。先生、昨夜は遅かったようですねぇ」
台所横の座敷の机に、器が置かれる。
始さんの問いに答えるように、少年はうなずいた。
その後こちらを振り向き、少し目を合わせた。
言うなってことか。




