第一話
第一話
薄桃色の樹木を通る。
俺はタクシーに乗りながら、悠々とした時間を持て余していた。
桜はすでに春の訪れを綻んでいるというのに、道の隅には雪が残っていた。
「ここはもう、桜が咲いているんですね」
「いや、これは桃の花ですよ。お兄さん、海外生活が長かったからって、桜を忘れるのかい」
運転手のしわがれた声に、また居心地の悪さを覚える。俺はつい一か月前まで、国外にいた。帰るタイミングが掴めず、ずるずると今日まで長引いてしまった。
従って、これが約五年ぶりの帰国となる。
「あと、十分ほどで着きますよ」
タラタラとした話し方に、心が落ち着かない。
タクシーは塀の高い石壁で覆われた、大きな屋敷に停まった。さながら武家屋敷といったところだろうか。
「着きました。こちらです」
まるで物語のような情景に、見とれてしまう。
礼を言い、急いでドアを開ける。対して運転手は、話し方の通りにゆっくりと重い腰をあげる。
運転手が後ろから荷物を取り出すとき、屋敷のドアから老婆が現れた。
「お待ちしておりました。さあさあお疲れでしょう、上がってください」
運転手と同じような話し方に、また居心地が悪くなる。
「遠野真之です。お世話になります」
「家政婦の始です、よろしくお願いします。と言っても、あと一週間でやめてしまうんですけどね」
枯葉のような色の着物をまとった人だ。いかにも老人といった井出達だ。
「では家主のもとに向かいましょう」
そう言うと、始さんはゆっくりと屋敷の方に足を進めた。
いくつもある襖を開け、部屋に入る。部屋の端には、薄水色の着物を着た人が座っていた。
始さんが声をかけると、これまたゆっくりと、こちらを振り向く。
子供だ。
「先生。こちらの方が、新しくお世話をしてくださる方ですよ。前に話したでしょう」
始さんの話し方に合わせるかのように、少年は体を向ける。
「遠野実之と申します。あなた様のお手伝いにと、旦那様より仰せつかっております」
正座をし、深々と会釈をする。
「椿井静です」
さわやかな風が横切ったかのように、ささやく声がした。
地につけた頭を上げ、声の主を見る。
視界に移る残り雪にも負けない、白い肌。裾から出る細い腕。まっすぐで艶のある黒い髪が、人となりを表していた。まるで人形の様に、眉一つ動かない。本当に人間なのか、先ほどの声はこの少年から発されたものなのか、疑った。
「宜しくお願い致します」
心を見透かしたように、呟いた。
「こちらこそよろしくお願いします」
静寂がこの部屋を包む。
「では、お部屋を案内しますね。お昼はもう召し上がれたのですか」
真の通った声が静寂を切った。緊張が戻る。
少年に軽く会釈をし、始さんと共に、部屋を出る。