3-2
◇ ◇ ◇
毎日のように通い慣れたさくら坂。
いつもはまっすぐに道を進むけれど、今日は記憶を頼りに角を曲がる。右手に持ったコンビニのレジ袋が制服のスカートに当たってカサリと鳴る。
もう一度角を曲がり、目的の場所を見つけた雫はまっすぐにそこに歩み寄った。
「さーくーらーさーまー!」
赤い鳥居をくぐると、小さな祠に向かって呼び掛ける。不意に空気がふわりと揺れた気がした。
「なにか用かのう?」
さっきまでなにもなかった参道に忽然と現れたのは赤い着物を着た綺麗な女の子だ。黒く艶やかな髪の毛は腰までのストレートロング。初めて会った日にとても綺麗だと感じた瞳は、今日も虹色に煌めいて見えた。
今日、雫はさくらに会えると確信をもってここへ来たわけではなかった。だから、呼びかけてこうして現れてくれたことにホッとした。
「うん。さくら様が言うとおり、侑くんの恋愛成就のお手伝いをしようと思うんだけど、友達から聞いた『お互いのことをもっと知る』くらいしかアドバイスができないの。こんなので平気かな?」
「よきかな、よきかな」
さくらは十歳にも満たないようにしか見えない見た目に反し、まるで昔話に出てくるおばあちゃんのような話し方をする。その見た目とのギャップに、思わず笑みを漏らした。
「本当はもっと協力できたらいいのだけど」
「人の縁など、なるようになるものじゃ」
なるようになる、その方向性を変えたくて皆がさくらのところに来るんだと思うんだけど? という言葉はすんでのところで呑み込んだ。
「困ったときは、誰かに相談するとよい」
さくらは付け加えるように、そう言った。
誰かに相談、と聞いて最初に思い浮かんだのは親友の夏帆ちゃんの顔だ。
でも、夏帆ちゃんは侑希のことを知っているので、万が一にもその相談している当事者が侑希だとばれたら? と思うと、なかなか相談しにくい。
「よいか雫。人生とは偶然が積み重なっているように見えても、多くはその者の行動に裏打ちされた結果から成り立っている。多くの偶然は、その者がそれを引き寄せるように行動するから起こるのじゃ。それを引き寄せる努力を辞めた者には、どんなに願っても縁は結ばれない」
雫は首を傾げる。哲学じみた言葉は、わかるようでわからない。
さくらはそれ以上話すつもりはないようで、すっくと立ち上がるとこちらへと歩み寄った。そして雫の持つレジ袋をまじまじと眺めた。
「以後のお供え物は、田中精肉店のメンチカツ希望じゃ」
「田中精肉店のメンチカツ?」
きょとんとして聞き返す。
田中精肉店とは、さくら坂駅前商店街にある昔ながらの小さな精肉店だ。生肉と共に、ミートボールやコロッケ、メンチカツもバラで売っている。
頼めばお店で揚げてくれるので、その場で揚げたてが食べられるのだ。ジューシーで美味しいと評判で、学校帰りのさくら坂高校の生徒もよく利用している。
「……おいなりさんじゃないの?」
「いなり寿司もよいが、メンチカツはなおよし」
今持っているレジ袋にはコンビニで買ったいなり寿司が入っている。なぜか、神様といえばいなり寿司が好きなのかと安易に思って買ってしまった。つまり、稲荷神社と勘違いした。
「じゃあ、次回はメンチカツにするよ」
そこまで言って、雫は言葉を切る。
「さくら様はいつもここにいるの? 時々出歩いているよね?」
初めてここに来た翌日、学校でさくらを見かけた。ちょうど侑希が近くにいるときだったので、見られたのではないかと心臓が縮こまる思いだった。
すとんと座って澄まし顔のさくらは、虹色の瞳でこちらを見ると、わずかに目を細めた。
「時折出かけるが、呼べば聞こえる。──祭りの夜は宴会じゃ」
「祭り?」
「夜空の花を愛でながら、友人の神々と酒を酌み交わす」
『夜空の花』ということは、花火だろうか。
この辺りでは八月の頭に、約五千発の花火を打ち上げる比較的大きな花火大会がある。当日は河川敷を中心にずらりと出店が並び、多くの人が訪れる。
「我も機嫌が上がるから、沢山の縁が結ばれる」
「へえ……」
縁結びって、神様の機嫌のよさで決まっちゃうの? と、ちょっとした衝撃。でも、今日さくらと話して、とりあえず自分のやっている方向性が大きく間違ってはいないようだとわかってホッとした。
「また来ますね」
「辛口の日本酒もいいのう」
さくらが誰に言うでもなく呟くのが聞こえたけれど、聞こえないふりをしてやり過ごす。
残念ながら、未成年の雫にお酒は買えないのだ。それに、さくらはこんな子供の姿しているのに、お酒なんか飲んでいたら警察に補導されちゃいますよ。