1-2
◇ ◇ ◇
お互いに部活がない日はいつも夏帆ちゃんと帰るけれど、今日は一人だった。夏帆ちゃんは晴れて彼氏となった松本くんと一緒に帰るらしい。
少し図書室で勉強してからの帰り道。
いつもなら帰宅途中の生徒がちらほらと歩いている駅までの坂道は、今日に限ってなぜだか人っ子一人いない。とぼとぼとその坂道を登っていた雫は、ふと視界に映った鮮やかな赤に気付いて足を止めた。
「なんだろう。着物……子供?」
そこにいたのは、とってもきれいな、着物を着た女の子だった。
七五三のときに着させてもらった華やかな衣装を身に纏い、こちらを見て笑っている。赤い生地にはピンク色の花──桜が染め付けてあり、金色の帯は素人目にも豪華な刺繡が全面を覆っていた。
けれど、雫が一番目を奪われたのはその女の子の表情だった。
こっちに来いとでも言いたげに微笑み、こちらを見つめる瞳は太陽の光の加減の問題だろうか──見たことがないような虹色をしていた。見える範囲に親は見当たらず、一人でいるように見える。
女の子は雫から視線を逸らすと、クルリと背を向ける。そして、タッ、タッ、と走り始めた。
「あ。待って!」
その後をついて行ったのは、ほんの気まぐれだった。
季節外れの七五三の衣装を着た、とても綺麗な女の子。なぜか話してみたいような気がして、路地をくるりと曲がったその子に続いて雫も角を曲がる。
「あれ?」
ひっそりと静まり返った細い小路で、雫はおかしいなと首を傾げる。そこに先ほどの女の子はいなかった。かわりに目に入ったのは、小さな祠とその前に置かれたお賽銭箱。
「神社……かな?」
もう三ヶ月もこの近くの道を通学していたのに、こんなところに神社があったなんて全然気が付かなかった。
小路の入り口には赤い鳥居がある。そして、二メートルほど奥まったところに、一メートル四方くらいの小さな祠があった。木製でかなりの年季が入っていそうに見えるけれど、手入れはしっかりとされているようで、その古さは返って厳かな雰囲気を感じさせた。
鳥居と祠の間、参道脇には小さな石板が立っており、説明書きがしたためられていた。
「えっと……、さくら坂神社は宝永元年に建立され、縁結びの神様として永く地域の住民に親しまれ──」
その石板の文字を目で追ってゆく。どうやら、『さくら坂神社』というのがこの神社の名前で、縁結びの神様のようだ。宝永元年が西暦何年に相当するのかは知らないけれど、凄く歴史がありそうだ。
もう一度祠に視線を移すと、お賽銭箱と祠の間には未開封のペットボトルのお茶が置かれていた。埃も被っておらず真新しいので、今日お供え物として置かれたものだろう。
「縁結びかぁ」
ふと、今日の昼間、幸せそうにはにかんだ夏帆の笑顔が脳裏に過る。好きな人ができたら、自分もあんなふうに幸せそうに笑うようになるのだろうか。ちょっと、想像がつかない。
──恋は……してみたいような、してみたくないような。
中学のときには、すでに彼氏がいる友達が何人かいた。
その子達によると、恋は楽しいことがたくさんあるけれど、それと同じくらい切ないこともあるとか。少し興味はあるけれど、それを知るのはなんだか怖いような気もする。
雫はそこで少し考えた。
『縁結び』はなにも恋には限らない。縁結びの神社であれば、人と人、大学や会社など、ありとあらゆる縁を結んでくれるはずだ。
──よし。お願いしてみようかな。
鞄からゴソゴソとお財布を出し、小銭入れの中身を確認すると、ちょうどタイミングよく五円玉が入っていた。
縁結びの神様に五円玉。うん、なんか幸先いいな、と雫は口元を綻ばせる。
それをお賽銭箱に入れるとカシャンと金属が当たるような高い音がした。
パンと手を叩いて両手を顔の前で合わせて目を閉じる。
──どうか、この先に素敵なご縁が待っていますように! できれば、恋も……。
只今高校一年生の夏真っ盛り。これから楽しいことが沢山あるといいな、と思う。そして贅沢をいうならば、自分もいつか夏帆ちゃんみたいに素敵な恋をしてみたいと思った。
◇ ◇ ◇
「……く、し……く。起きるのじゃ」
「……うん」
「しず……。雫! 起きるのじゃ!」
「はいぃっ!」
やばい、今日って学校の朝活動の日だっけ!? と思わず飛び起きて、ぴしっと背筋を伸ばす。
そこで雫は、目の前のものに目を瞬かせた。いるはずがない人がいたのだ。
「昼間の女の子?」
「我は女の子ではない。さくらじゃ」
「桜?」
ベッドの上で体を起こした雫の目の前、ちょうど布団でいうと足の上のあたりには、今日の昼間見た綺麗な女の子が座っていた。虹色の瞳でこちらを見つめている。
「桜の木の精なの?」
「否。縁結びの神じゃ。名をさくらという」
「神様!」
思わず驚きの声を上げる。縁結びの神様が女の子の姿かたちをしているなんて、知らなかった。雫の想像では、もっと妖艶な天女様みたいな人が──。
「全部聞こえとるぞ」
「あ、すみません」
なんと、神様は考えていることが読めるらしい。
──さすが神様。恐れ入ります。
さくらはなんとか誤魔化そうとへらりと笑う雫を見つめ、ほうっと息を吐いた。
「お主は今日、我に願いを告げたな? それを叶える手助けをしてやろう」
「え? 本当!?」
雫は大きく身を乗り出した。
今日の願ったことは……『素敵なご縁がありますように』だったはずだ。ついでに素敵な恋も!
たったの五円でそれを叶えてくれるなんて、なんて太っ腹。さすがは神様だ。
指を交互にして両手を組んだ雫の前で、さくらはストンとベッドから降りると、人差し指を一本差し出してこちらを見た。
「ただし、条件がある」
「? 条件?」
「本日、もう一人我の元に願いを告げにきた者がおる。その者の縁結びの手伝いをせよ」
「縁結びの手伝い? 私が?」
「さようじゃ。それを成就させた暁には、そなたの願いは叶うじゃろう」
願いが叶うのは嬉しいのだけれど、縁結びの手伝い?
──それって何をするの?
眉を寄せた雫の眼前に、さくらの真っ白な手が迫る。その瞬間ぐわんと景色がゆがむのを感じ、雫はきつく目を閉じた。
──お、落ちるー!!
頭を守ろうと両手で庇うように覆う。けれど、痛みはいつまでもこず、足の裏に地面の感触を感じる。雫は恐る恐る目を開け、辺りを見渡した。
「あれ。ここって……」
向かって右側には赤い鳥居、左側にはお賽銭箱と小さな祠、そして、正面には文字が書かれた石板。気がつけば、雫は今日の昼間に行ったさくら坂神社にいた。
わけがわからずに立ち尽くしていると、タッ、タッと軽やかな足音が聞こえた。パッと振り返り、鳥居の方から現れた人物を見た雫は目を見開いた。
そこには、侑希がいたのだ。雫の姿が見えないのか、侑希はまっすぐに祠の前まで来ると、鞄を下ろしてがざごそと中を漁った。そして、財布を取り出すと五円玉を取り出す。
カシャン、と金属の鳴る微かな音と、パンっと手を叩く音。侑希が手を合わせて目を閉じた瞬間、頭の中に声が響いた。
『どうか、あの子と両想いになれますように』
脳内に直接響くような声は、間違いなく侑希の声。最近は殆ど会話をすることもなくなったし、以前よりもずっと低くなったけれど、幼稚園からずっと一緒なのだ。聞き間違えるはずはない。
侑希は目を開けると祠に向かってぺこりとお辞儀する。そして足元に置かれた鞄を持ち上げようとして動きを止めた。何をしているのだろうと思ったら、鞄の中からペットボトルを取り出して祠の前にちょこんと置いた。雫が今日見た、あのペットボトルだ。きっと、お供え物のつもりなのだろう。
そして、今度こそ鞄を持ち上げると振り返ることなくまっすぐにさくら坂神社を後にした。