22-1.「Karma Police」
スタッフの表情から冗談ではないと悟ったシイナは、責め立てるように質問を続ける。
「フルタくんは今病院よ? それにたとえ連絡が付いたとしても何を話すって言うのよ」
「それは……ちょっと私に言われても。でも、フルタさんの連絡先知ってるのもシイナさんぐらいしか……」
若い男性スタッフが潤んだ目でシイナの圧に堪えていると、プルルルと彼のポケットが揺れた。そこから携帯電話を取り出すと「はい。はい……」と電話に対応した。
「あの、警察の方から電話が……」
シイナは強張った顔で「貸して」と言いながら奪うように、電話を受け取った。
「代わりました。RAR-FMチーフプロデューサーの椎名と申します。はい……」
通話をする彼女の眉間の皺がたちまち深くなっていく。
「そんな、無理ですよ! 第一、フルタは体調不良で今も入院しているので、そもそも局にも来れるか分からないですし……いや、私が呼んでも来るかも……」
「私がフルタを呼んでみるよ」
声を挙げたのはハルカだった。
「え」
私とシイナと男性スタッフの声が重なった。
「私が呼んだら、生死の淵を彷徨ってったってきっと来るよ」
シイナが「少しすみません」と言ってから電話の通話口を手で塞ぐ。
「ハルカ!あなた何言って……」
「呼んでくるから」
シイナの声も聞かないまま、ハルカ自分の携帯電話を持ってスタジオを出て行った。
「ハルカ!」
シイナは続けてそう叫んだものの、ハルカの背中は追わずに頭を抱えて
それから、通話を再開した。
「もしもし……手配はしてみます。でも、先ほど申し上げたとおり、フルタ本人が来られるかは分からないです。はい……はい分かりました」
そう言って、通話を終えた。
「はぁ……なんてことよ」
シイナは、大きくため息をついて、顔をバチンと叩いた。
「社長に連絡して。それから、車椅子が入る空きスタジオは……505しかないか。じゃあここに通信機材と音声スタッフ……ミヤモトさん空いてるはずだから呼んできて。あと、余計な混乱招かないように情報の伝達は最低限にして」
「は、はい!」
彼女はすぐにモードを切り替えて、テキパキと指示を出した。
「フクチくんは、ハルカが帰ってきたら502スタジオに行って、いつでも放送できる準備をしておいて。時間になったらミヤモトさんもくると思うから」
「……僕もギリギリまでここにいていいですか」
私がそう返すと、彼女は少し困惑したような顔で聞き返してきた。
「何を言っているの? ふざけている場合じゃないのよ」
しかし、私は食い下がった。何の根拠もないが、今はこの場所にいるべきだと思った。
「今日の台本なら、僕もハルカも一言一句逃さず頭に入っています。お願いします」
シイナさんは、私の目をじっと見つめた。
「……好きにしなさい」
彼女は半ば呆れるように、ため息をついた。
暫くすると、スタジオにはスタッフが沢山の機材と椅子が運び込まれた。その搬入作業にはミヤモトの姿もあった。シイナの指示のもと、手際良く立て籠もり犯との通話準備が進んだ。
「失礼します」
ノックの後、ガチャリと扉が開いて恰幅の良い男達が3人入って来た。服装から彼らが警官であることが見てとれた。
「先ほどよりお電話でご連絡させていただいております〇〇県警のイシカワと申します」
男が警察手帳を広げると、その持ち主と同じ険しい顔が横に並んだ。
「RAR-FMのシイナです。よろしくお願いします」
「この度は無理な要求にご対応いただき、誠にありがとうございます」
「……ご対応、できるかは分かりません。ご覧の通り準備を進め、フルタも入院先の病院から向かっていますが、彼は暫く前から腎臓をやっていて現在も体調は良くないので、ご期待に沿えるかは」
「えぇ、承知しています。全てこの通話を頼りに作戦を立てているわけでもありませんので。ただ、犯人もかなり緊張し激昂している状態ですので、可能な要求は応え、人質を救出する隙を作れればと考えています」
「そんなこと言われましてもね……」
イシカワと名乗る男の後方にいた別の警官の胸元にある通信機器がガガ……と鳴ると、その男は「失礼」と言って通話を始めた。
「ハルカ、フルタ君いつ着くって?」
その間を見て、シイナがハルカに聞いた。
「さっきフルタに付き添ってくれてるイシイさんから電話あって、道が混んでるから四十分ぐらい掛かりそうって」
「四十分ね……」
シイナは腕時計を一瞥した後、イシカワに話かけた。
「とりあえず、事件について最低限の情報を共有していただいてもいいでしょうか」
イシカワは「はい」と頷いてから、私とハルカを訝しげな顔で見つめた。
「ところで、関係のない方には出て行っていただきたいのですが、この青年達は……」
屈強な男は部屋の隅に並んでいた私とハルカを指して言った
「……彼らはうちのスタッフです。今フルタと連絡を取っているのも彼らなので、ここに置かせてください」
「わ、分かりました」
シイナが軽く目配せをしたので、私とハルカは頷いた。
イシカワはもう一人の警官に指示を出して、スタジオの机にパソコンを広げさせ、大型のモニターに画面を映しだした。
「こちらが今回の事件の概要と時系列、犯人の情報となります。事件現場は〇〇県〇〇市〇〇の〇〇丁目〇〇。犯人はこの家の主人で元暴力団員組のサガワマコト。現在、人質となっているのは、サガワの元妻。息子と娘各一名も人質となっていましたが自力で脱出し保護されています。なお、息子の話によると、サガワは拳銃を少なくとも一丁保有しているほか、爆発物も所持している可能性があることから、警察も救出が難航している状態となっています」
「この資料、フルタに渡しても?」
シイナが尋ねる。
「もちろん大丈夫です」
「フクチくん、この情報イシイくんに共有しておいて」
「分かりました。送ります」
私は局の携帯で画面を撮影し、イシイ宛てに送る。その作業の途中、横でハルカが何かに驚いていることに気がついた。
「この住所と名前……」
「名前……? え……」
事件現場の情報を再確認して、私はおそらくハルカと同じ発見をした。
「そして、先ほど犯人と名乗る男よりRAR-FM様の方に電話があり、フルタと通話をさせろいう要求があったということです」
「うちのスタッフが電話を受けておいてあれですけど、イタズラ電話って可能性はないんしょうか? 無理やりフルタと話をしたい変なファンってことは」
「先ほど、電話を受けたマツオカ様よりその電話の番号を教えていただきましたが、サガワ本人の携帯番号である確認が取れました」
「……なるほどね」
先ほどの男性スタッフの青ざめた顔が浮かぶ。そう言われるとマツオカという社員証を掛けていた記憶があった。
シイナが速記のような速さでメモを取ると、重たい空気にボールペンの走る音が響く。そこにドタドタという足音が傾れ込んだ。
「あの! 再度犯人より連絡がありました!」
足音の主は、また汗をだらだらとかいたマツオカだった。
「『フルタと早く話をさせろ。待たせるようなら人質を撃つ』って……」
「また勝手なことを……!」
イシカワが苛立ちを噛み潰すように頭を押さえながら言った。
その時、私の横で、白く華奢な手が真っ直ぐに挙った。
「私が、時間を稼ぎます」
それは、ハルカの手だった。
シイナもイシカワも含め、スタジオ内の大人達は全員が言葉を失い、戸惑いによる沈黙が広がった。
それから少しして、シイナが反応した。
「バカ! 冗談言ってる場合じゃないのよ!」
「本気だよ」
「本気なら尚更よ!」
見たことのない二人の口論を宥めるように、イシカワが割って入った。
「時間を稼ぐって一体、君は?」
「この子はただのラジオパーソナリティで……」
「私はフルタハルカ。犯人が通話を要求しているフルタの娘です」
警察官達の困惑は、一層深まったように感じられた。
「しかし、ハルカさん。犯人が会話を要求しているのはあくまでフルタであって」
「私の苗字もフルタですよ」
「言葉遊びしてるんじゃないわよ」
「でも、ハルカなら、もしかしたら犯人は応じるかもしれません」
激昂する大人達の中に、私は火の輪を潜る気持ちで飛び込んだ。当然、シイナや警官達は再度目を瞠って驚いた。
「ちょっと! フクチ君まで何言ってるの?」
「いや、この人……多分ですけど『R−MIX』のリスナーです」
「え……」
「さっき、名前と住所を見て気づきましたが、ほぼ毎週、メール送ってくれている人です」
シイナは焦るようにして、警察の資料をもう一度見直す。
「た、確かに見たことあるような……」
「おそらく、元々はフルタさんのリスナーだった人だと思いますが、ハルカに代わってからも変わらず番組を聞いてメールを送ってくれていることから、ハルカにも好感を持っている可能性は高いです」
「でも、人質だっているのよ! 貴方達に人の命を預けることができるわけないでしょ!?」
シイナはハルカや私たちを守るために声を荒げてくれている。ハルカもそれを理解しているから、簡単な反論はしないで唇を噛んでいる。
警官達は唖然とした様子で言葉に困っているのが見て取れる。やがて、本部と通信を取っていた警官がイシカワに対し「警部」と判断を仰いだ。目を瞑って大きな息を吐くイシカワのこめかみには、大粒の汗が光っていた。
「ハルカさん、シイナさん。可能であれば、私達はハルカさんにフルタさんが到着するまでの通話をお願いしたいと思います」
イシカワが、ハルカの目を真っ直ぐ見て言った。
「……な、こんな子に責任を負わせるなんて!」
「責任は全て、警察が、私が負います。会話の内容も全てこちらで指示を出します。なので、どうか、よろしくお願いいたします」
イシカワが頭を下げ、警察官とは思えないような低く、柔らかなトーンの声色で言った。
シイナは、ハルカと私を見つめた。その目は、結婚式で娘を送り出す父親のように、手放したくないものを、あえて送り出す人だけが持つまなざしに感じた。
「分かりました……」
それは、降参の合図のようだった。
「ありがとうございます。それでは、ハルカさん。まず絶対に避けていただきたい言葉や話の内容について説明します。まず一つ目は……」
スタジオは、ハルカが立てこもり犯と通話する為の準備で、慌ただしく動き始めた。




