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ヘルツを彼女に合わせたら  作者: 高津 すぐり
第三章
23/24

21.「Do I Wanna Know?」

「……は」

 私は暫く言葉の意味をうまく受け止められなかった。一瞬冗談かとも思ったが、彼女の言葉の端々には真面目な緊張があって本気さが滲んでいる。

 ハルカは深呼吸を挟んだあと、私を置きざりにして冷たく淡々と言う。

「言った通りよ」

 その口調には強い落胆も苦悩もない。

「じゃあ、私は用があるから詳しいことはまた来週」

 そのまま立ち尽くす私を置いて、ハルカは去っていった。

 私は、暫くその場に突っ立っていた。

 テントの布がはためく音や、人の話す声が遠くに聞こえる。そのどれもが自分の世界から隔絶されているように感じた。


 〇〇〇


 気分の晴れないまま年が明けた。

 ハルカから番組の終了を告げられた翌週、土曜日の早い時間。私の足は放送前の事前打ち合わせのため、スタジオに向かっていた。

 地下鉄の駅から階段を上り、オフィスビルと百貨店の隙間を縫うように歩く。その道程すらもう幾ばくかしか用のない事実が頭を過って、一歩ごとに足が重くなっていった。

「『R−MIX』は、三月、今年度をもって終了します」

 年末のライブ自体は、局イベント全体のハイライトともなるほどの成功を収めた。にもかかわらず、年末年始を私の頭でリフレインするのは、その後に聞いたハルカの言葉ばかりだった。

 ただ、番組の終了は今に始まった話ではない。下半期再編のタイミングで、スポンサー契約と同時に番組が打ち切られている可能性も十分にあった。しかし、そこから「R-MIX」は躍進を続けた。新たな企画を生み出して新規層を取り入れ、ラジットのランキング常連にもなった。眠っていたタテヤマを呼び起こして再び晴れ舞台で歌わせた。そして、この番組で、このメンバーでやりたいことも見えてきた。その矢先の打ち切り。私は、この一年の自分の行動が無に帰したかのような虚無感を覚えていた。

 そして、何よりも第一の当事者であるハルカが、素知らぬ顔でその現実を受け入れた様子であったことが、私には納得できなかった。自分と彼女の考えの近さを知っているから、その分だけ彼女は自分が感じているやりきれなさや悔しさを共有してくれると思っていた。その期待と現実の隔たりが、不満となって膨らんでいた。

 

 RAR-FMの局ビルに着くと、ビル内の雰囲気が普段より重たく感じた。私の心情だけでなく、フロアの中央にあるカフェが年始休業で閉められており、照明や人の声が限られていることが原因のようだった。

 五〇五スタジオの前に着くと、初めてここを訪れた時と同じぐらい扉が厚く重たいものに感じた。年末年始はほとんど一人で過ごし、親とすらも食事のタイミングぐらいでしか会話をしなかったこともあって、この扉を開けたらまたハルカに会うのだと思うと足がすくんだ。それでも、ノブに手を掛けた。

「……おはようございます」

 スタジオには既にハルカとシイナが揃っていた。ハルカは何食わぬ顔で台本を広げ、シイナは慌ただしそうに鞄に荷物を詰めている。

「おはよう」

「あら、おはよう」

 スタジオでは珍しく角に置かれていたテレビが点いており、地元の注目スポットを紹介する当たり障りのない情報番組が流れている。

「フクチくん、ごめんなさい。すぐ打ち合わせしたいところなんだけど、ちょっと午前に一個急ぎの用ができたから、少し待ってもらえるかしら」

 シイナが急ぎ足の口調で言う。

「……わ、わかりました」

「じゃあ、二人とも今日の内容の確認と、ハルカは台本の読み上げ時間、もう一回記録をお願いね。行ってきます!」

「行ってらっしゃあい」

 親子のように流れる会話を行ったあと、シイナは鞄を抱えて小走りで部屋を去っていった。

 二人の表情や言葉には、番組が終わることに対する失望も悲哀も何も感じられなかった。

 

 静かな部屋で、私はハルカの対角線上に座った。

 シイナの指示通り、ノートパソコンを広げ文書ソフトの台本を立ち上げて頭から読み返そうとした。しかし、自分で書いたはずの文章が目を滑るばかりで頭に入ってこない。

「ねぇ」

 ハルカの声がした。彼女を見るとまんまるとした目が合った。

「集中できていないようだけど」

 いつものような悪態を聞いた瞬間、血が逆流して感情の堰が壊れるような感覚に襲われた。

()()()()()言われて、集中できるわけないだろ!」

 私は自分でも思ってもみなかった大きさで声を張り上げた。そして、それを皮切りに感情の塊は次々と喉の奥から外側に向けて吐き出されていく。

「なんだよ! 番組が終了するって! ここ最近はずっと右肩上がりで良くなっているだろ。なんでもかんでも上手くいったわけじゃないけど、でも、ようやく実になりだしてるのに!」

 溢れ出した情動が言葉を追い越して、歯切れの悪い怒りが私の口から拙く出ている。

「このタイミングで番組の打ち切りはあまりにも理不尽だろ!」

 ハルカは私の言葉を受け止めるように頷きながら聞いている。私が言いたいことを言い終わったのを確認してから、やっと口を開いた。

「……ホウオウビールのスポンサー契約が三月で正式に終わる。シイナさんや局の人達も、継続できないか交渉してくれたり、代わりの企業を探してくれたりしたけど、今までどおり宣伝色を抑えて自由にやらせてくれるようなところは見つからなかった。局とかその会社のホウオウビールへの筋もあるしね」

 ハルカの発する一言一句が、合理的で正しい。どんどん自分が幼く思えてくる。その事実が受け止められなく、私は抗い続けた。

「でも、じゃあ、どうしてキミはそんなに落ち着いているんだよ。キミとキミの父親の番組だろ? こんな理不尽な終わり方でいいのかよ!」

 ハルカは、少し微笑むと、哀れんでいるような目で私を見て言った。

「貴方は、番組が終わって欲しくないと思ってくれてるの?」

「……は」

 私はまた言葉を失った。ハルカはそんな私から目を離さず続けた。

「私だって終わってほしくない。この番組が大好きだし、まだやり残したことがある。でも、色んな人が、この番組のために動いてくれた。それでもダメだった。それが結果なら今は受け入れるしかない。そうでしょ」

「でも、結局終わるなら、僕たちがやってきたことは何だったんだよ!」

「全てのものはいつか終わる。でも、番組が終わっても、記憶は残る。そして、その記憶を繋ぎ止めてくれる音楽も残る。いつだって()()できる」

「……そんなの」

 私は反論の一言すら言えないまま、言葉尻を詰まらせるばかりだった。

 そんな私を見かねてか、ハルカは徐にゆっくりと立ち上がった。

「私は本当に感謝している。シイナさん、ミヤモトさん、イシイさん、カナタ、マナカ、タテヤマ……番組に関わってくれた全ての人たちに。そして、もちろん貴方にも。だから、ちゃんと最後まで付き合ってほしい。『R−MIX』の最期を」

 私は何も言い返すことができなかった。ただ、彼女の言葉の一つ一つが胸に突き刺さり、その痛みを受け止めるので精いっぱいだった。

「……ちょっと席外すわ。シイナさんが戻ってきたら、すぐ帰るって伝えて」

 彼女は、机の上の携帯をポケットにしまうと、私の返事を待つこともなく部屋を出ていった。


 私は一人取り残された部屋で、ハルカの言った言葉を何度も頭の中で繰り返していた。そして、その度に彼女の強い意志が私の中に流れ込んでくるのを感じた。しかし同時に、そのことが余計に私を惨めにさせた。自分の稚拙さとみっともなさが浮き彫りになるようだった。

「はぁ」と大きなため息が出た後、私はそのまま台本を広げた机に突っ伏した。そしてそのまま暫く動けなかった。

「速報です……市内で拳銃と……るものを持った男が……家族からの通報で今もなお……」

 つけっぱなしになっているテレビのニュース番組の音が、際立って大きく聞こえた。中継先の黒重たい曇天の空を何台かのヘリコプターが飛んでいた。

 コンコンと素早く扉を叩く音がして、私はすぐに姿勢を正した。

「戻りましたよ……ってあれハルカは?」

 帰ってきたのはシイナの方だった。彼女は鞄を置いてそのまま台本を片手に対面に座った。

「……ちょっと席外して、すぐ戻るらしいです」

「あら、そう」

 シイナもハルカ同様、何の動揺も見せていない。ハルカの話から推測するに、シイナは番組が終了するという既定事項を前から把握していて、それに抗うために最大限の尽力をした。その経緯があっての終了だから、ある程度受け入れられているのだろう。

「わ。立てこもり事件だって。物騒ねぇ」

 テレビに目を向けながらシイナが呟く。私はさっき出した自分の声が震えそうだったことに気づいて、「そうですね」と短く返す。

 シイナはリモコンを手に取ってテレビの電源を切る。すると、私の目を真っ直ぐ見ながら言う。

「フクチ君」

 私はシイナに向き直る。彼女の目は何かを見透かすようで、その目に見られると私の考えていることが全部丸裸にされるような気がした。それでも、彼女から目を離すことができなかった。

 シイナは続ける。

「君に伝えなければならないことがあるの」

「……番組が終わることですか」

 私がそう言うと、シイナの目は皿のように大きく開いた。

「あぁ。もうハルカから聞いていたのね」

「はい」

「そっか……」

 シイナは両手を机の前に立ち、ゆっくりと両手を置いた。

 節の浮いた手は力なく広がり、背筋をまっすぐに保ったまま、深く頭を垂れる。

「ごめんなさい。次の再編で『R−MIX』は完結する。番組の人気とか、本当にそういう話ではないの。()()()()()()で。局と私の不徳よ」

 その声には、言い訳も怒りもなく、ただ悔しさと申し訳なさだけが滲んでいた。

 ついさっきまで、虚勢を張って怒鳴るような怒りがあったはずなのに、もはやそんな感情はもてなかった。

「やめてください」

 寧ろ、こんなに優しくて強い人に謝罪をさせてしまっていることが、私の胸を締め付けた。

 シイナはバッと顔を上げると、真面目な顔で言った。

「貴方達は間違いなく素晴らしかった。この仕事について長いけれど、どんな番組より、どんな時間よりも刺激的だったわ。自分の番組のことを褒めるのもおこがましいけど、スタッフの誰もがそれまでにない達成感を感じていた。少なくとも私はそうだった。外からの評価だって、期待以上だったわ」

 シイナの口調からは嘘や慰めは全く感じられなかった。私はそれを聞いて、自分の中にも込み上げてくるものを感じた。それを押し殺すために目を瞑った。

「だから、最後まで力を貸してほしい。お願い」

 ハルカの影が重なる。

「ハルカにも、同じことを言われました」

 シイナがまた一瞬目を大きくしてから、ふふと笑った。それに釣られて自分の口角も上がった。

「……あの子、私が全部伝えるって言ったのに。あの責任感は私に似たのか父親に似たのか」

 私は彼女の言った「父親」というワードが意識の網に掛かって、思わずシイナに尋ねる。

「そういえば、フルタさんも終わることは知っているんですか」

 シイナは、少し間を置いた後、首を縦に振って答えた。

「えぇ。私が伝えたわ。『そうか』とだけ言っていたわ」

「……そうですか」

 シイナは少しだけ声のトーンを落として「実はね」と切り出した。

「ホウオウビールのカメダっておっさん覚えてるかしら。あのガタイだけは良いくせ性格の悪い浅黒の」

 カメダの特徴的な高笑いと一緒に、スポンサー打ち切りの話し合いにハルカと忍び込んだ記憶がフラッシュバックする。

「はい」

「あいつさ、今年度の上半期、九月でスポンサー降りようとしてたじゃない。あれ、なんで三月まで引き延ばしたと思う?」

「……いえ」

「フルタくんがさ、頭下げたらしいんだよ。直接、あいつらのとこに出向いて」

「え」

「もう少しだけ様子を見てくれって。らしくもない。ま、ハルカの能力やマナカくんたちの曲が、あの時点で最低限はあったことも、もちろん条件ではあったと思うけどね」

 私の記憶の中の、放送外(オフライン)のフルタの姿は、横暴で、不機嫌で、ハルカのことを目の敵にして、彼女に容赦のない難詰をしているものだった。そんな彼が、誰かのために、(ハルカ)のために頭を下げているイメージを描くことができなかった。

 しかし、交渉をまともに取り合うつもりのなかったカメダが不自然なほど簡単に手のひらを返したことも、業界の重鎮であるフルタからの懇願があったからと考えると、合点がいく部分はあった。

「……そう、だったんですか」

「でも、あの人の予見通り、それからの半年でハルカも君もしっかり育った。主人を失くした番組も、少し持ち直した。この局にとっても大きな意味をもつ半年だった」

 シイナは少しスタジオを見渡してから、どこか懐かしむような顔をした。

「私は、本当に楽しい時間だったよ」

「……僕も、楽しかったです」

 彼女は、ふふと笑った。

「あ、さっきの話。ハルカには内緒ね。今更、機嫌損なわれも困るし」

 シイナの笑い皺がさらに少し深くなった。

「ただいま!」

 ハルカの声と一緒に重たい扉が開いた。

「ハルカ、どこ行ってたのよ!」

「へへ、ちょっとね」

 私はハルカに自分の表情を悟られるのが恥ずかしくて、彼女の顔を盗み見ようとしたが、その一瞬で目が合ってしまった。その目元は、室内にいるはずなのに僅かに火照っていて、私の顔を捉えた後で少し細くなった。

「作家大先生、今日も頼むわよ」

「……ラジオスター様もな」

 シイナは全てを察したようにまたふふと笑って言った。

「さぁ、打ち合わせをするよ。四半世紀続いたこの番組の最後のパーソナリティはハルカ、最後の作家はフクチだ。この番組の最後が輝かしいものになるかどうかが君達に懸かっている。頼むわよ」

 ハルカはまた物分かりのいい子供みたいに「もちろん」と返事する。

 

 その時、また重たい扉が勢いよく開いた。目線を向けると何度か見たことのある顔のスタッフが顔を尋常でなはい様子で青ざめていた。

「シイナさ……はぁ……大変す、あのっ……事件っ」

「どうしたのよ。落ち着いて話しなさい」

 シイナが駆け寄って落ち着かせようと話しかける。

「あのっ……立てこもり犯がフルタさんと話したいって」

「え?」

「あの、あの、さっき局に電話があって、今ニュースになってる立てこもり犯が、フルタさんと話がしたいって要求が来たんですけどどうすれば!」

「は……なに言って……」

 さっきまで毅然と振る舞っていたシイナの表情に、冷や汗だけが裏切るように浮かんでいた。

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