20.「Teenagers」
良くも悪くも場を荒らしたマナカは、スタッフの苦い顔も気にしていない様子で帰ってきた。
「じゃあ、ハルカちゃんは舞台袖で呼び込み待機!」
ADが声を掛ける。
「はい!」
ハルカは威勢よく返事をした後、ラジオ前と同様に、鯨みたいな深い呼吸をする。それから、カナタと軽くハグをして励ましの言葉を掛け合うと、彼女は反対側の私を見つけた。
すると、無言でシワが入って書き殴られた台本を渡してきた。
「……正直、僕はこんな台本で大丈夫かと、今でも思ってる」
私は今更怖気づいて、必要のないことを口走る。
「でも、これは間違いなく貴方から溢れ出てきたものでしょ?」
「……そうだな」
「そして、私も賛同している。今更、何を恐れる必要があるの」
「あぁ。……今日は子供が泣かないといいな」
「ほんとに、憎まれ口だけなら私より達者だと思うよ」
彼女は肩を落としてため息を吐く。
「リベンジするんだろう?」
「えぇ。泣き声がしたって銃声がしたってやり切るわよ」
「それは流石に避難誘導しろよ」
彼女と出会った時から、彼女の声を初めて聞いた時から感じていたその図太さは、もう手のつけられないものになった。私は、鉄が叩かれてこの鋼が出来上がるのを間近で見ていたのだ。
ステージからは、拍手と総合進行の声が聞こえる。演目が再開したようだった。
「それでは続きまして、RAR-FMで最も長い歴史を持つ、あの番組からゲストに来てもらいましょう!」
私が無言で拳を突き出すと、彼女も無言で拳を合わせた。
「勝ってくる」
ハルカが言う。
「気をつけて」
私が返す。
「土曜日お昼の顔、『R-MIX』からハルカさんです!」
舞台袖からハルカはステージへと走った。その背中だけで十分だった。
「よろしくお願いします!」
威勢の良い挨拶をしながらハルカが壇上に上がると、会場から疎らな拍手が起こった。彼女は観客席をくるっと見渡して微笑む。
「『R-MIX』を担当していますハルカです! 皆さん『RAR-FM シティサウンドフェス』楽しんでますか!」
会場を煽ると、再度控えめな拍手が起こる。
「ありがとうございます! 今日は……もうさっき少し出ていたんですけど、このイベントのパフォーマーとして、『RAR-FM』に縁のあるアーティストをゲストにお呼びしました!」
スタンディングエリアも机が並べられたテントの中も、最低限の通路のみが残った状態で観客に埋められていた。彼らはタテヤマリュウと、リハーサルで沸かせた若いバンドの出番を待ち望んでいる。
「ですが、その前に少しだけお話しさせてください」
彼女がそう言うと、ロックの口になっている客席に、音のない戸惑いが漂った。もちろん、こうなることはハルカも私も想定済みだった。
「私が担当している『R-MIX』という番組は、RAR-FMの開局から30年続く番組です。と言っても、私に代わって1年も経っていないんですけどね」
客席からは「早くタテヤマを出せ」という圧力を感じる。きっとハルカも肌で感じ取っていたが、それでも、可能な限りの人に言葉を届けるため、堂々と話を続けた。
「私は、番組を担当させていただいたこの1年で、ラジオにおける私なりの使命を見つけました。その使命は『繋ぐ』ことです」
今回、ハルカと私がライブ前に組み込んだのは、観客と楽しめるコーナーでもこれから出てくるミュージシャンの詳細な説明でもなく、ただの「声明発表」だった。理由は単純で、これが私たちの今一番したいことだった。
「一つは、『音楽と人』を繋ぐことです。この世界には、素晴らしい音楽が溢れています。だから、きっとまだ出逢えていないだけの、皆さんの求める音楽があります。そんな音楽を少しでも多く届けることが私の使命です。だから、今のヒットチャートだけではなく、何年も前の音源を引っ張ってきたり、地域のインディーズバンドを呼び込んだりしています。……まぁ、だからスポンサーもつきにくいんですけど」
先ほどの威勢の良さから一転、落ち着いていて力強い声のトーン。聞き手の心を撫でるように温和な話し方にも関わらず、その裏に妙な威厳を感じた。
「もう一つは、『人と人』を繋ぐことです。ラジオをきっかけに、地域のミュージシャンやイベンターを引き合わせたり、同じ音楽や同じ番組を愛する人を結びつけて、その人やリスナーさんの世界を広げる。このイベントもその手段の一つです」
今日のハルカがもつ威厳の影に、彼女の父の存在を感じた。それは単に遺伝的なものや才能によるものではなく、偉大なフルタという壁を彼女が常に意識して、彼に近づこうと、また、同時に彼から離れようと苦しんだ結果、獲得したものだと思った。
「そして、最後は、『時代と時代』を繋げることです。先ほども言ったとおり、R-MIXは今年で30年になります。この30年で、音楽を聴く手段も、流行りの音楽も、メディアのかたちも大きく変わりました。当然です。技術が進歩すれば、人の需要が変われば、求められるものも変化していきます」
丁寧に言葉を重ねる。ハルカの瞳には憂いのような表情が混ざっていた。
「その変化の中で置いていかれるものもあります。ロックもラジオもよく槍玉に挙げられます。その二つに拘ってるメディアなんてあったら、もう目も当てられないんですけど」
クスクスと漏れるような笑い声が聞こえる。何割かの聴衆も知らず知らずのうち、ヘルツを合わせるようにハルカと同じ喜怒哀楽で、彼女の言葉を拾おうとしている。
「でも、置いていかれたもの達は、無価値になったわけでも、無くなったわけでもありません。過去の産物は全部『今』に地続きで繋がっているんです。人にとって過去の出来事や思い出が、現在のその人を形成しているように、今の音楽も人も世界も、過去の全てがあったからこの姿をしているんです。それを『歴史』と呼ぶんです。だから、私はこの番組で過去の音楽と今の音楽を記録として残して、その証明をしたい!」
演説にも似た声明は発表は、よりエモーショナルになって抑揚が増えていった。
「だから、今回は、そんな『繋ぐ』ことを体現しているような二組のミュージシャンにライブをオファーしました!」
固唾を飲んでいた前方の客が手を挙げて拍手する。器用な口笛が聞こえる。
「ただ、ただ、気をつけてほしいのは、彼らは決して過去の思い出として輝きたいわけではなく、今の世界でもう一度テッペンに立って、ギラギラと輝こうとしています。では、出てきてもらいましょう! 本物のロックンローラー、タテヤマリュウ! バックバンド、グラスホッパー!」
ハルカは腹から叫んだ。既に彼女と波長を合わせた会場は、叫びに呼応して歓声をあげた。PAが手を挙げて合図を出す。ステージライトが明滅する。
私は拍手してマナカ達を送り出す。その後ろを、一人の男が大股でゆっくりと歩いていった。
自分の役割を終えたハルカは、舞台袖に帰ってくると成功に浸る素振りもなくステージの方を向き直した。
グラスホッパーはすぐに各々の楽器を構え、再度サウンドチェックに入る。センターのタテヤマは、ぶっきらぼうなまま観客の中心をじっと見つめている。ざわつきが徐々に収まっていく。観客の視線は彼に収斂し、次の一挙一同に期待していた。楽隊は、手早く音の確認を終わると、目配せして演奏を始めた。タテヤマの最盛期、スーパーノヴァ時代の一曲だった。
聴衆からすれば、聞き慣れている人気曲な分、ミスもズレも目立ちやすいはずだったが、バンドは呼吸するタイミングすら一致しているように感じた。楽しくて、自由で、攻撃的なのに統制が取れたロックのバンドだった。タテヤマも最早バンドのことを気にかける様子は微塵もなく、彼らの作るメロディーに乗って体を軽く揺らしている。
イントロが終わりかけると、タテヤマは腕を後ろで組んでマイクに近づく。すうっと大きく息を吸い込む。そして、吠えるように歌いだした。
彼の声は、若い頃の柔らかさや伸びを失った代わりに、渋みやザラつきを獲得して、独特の粘りが際立っていた。スタジオで歌ったときよりは声に張りもあり、順調に復帰への歩みを進めているのが伝わった。
かつては、何万人という収容人数の舞台で戦ってきた彼が、せいぜい400人いるかどうかの地方局のイベントで、体の底から全力で歌い上げている。その姿だけで、胸に熱く迫るものがあった。
歌はサビに向かって、より力強さと熱量を増していく。
――削る業と日々の間 逃げるように道を選んだ
後ろで組んだタテヤマの腕に力がこもって震えている。
――捨てるには出来すぎているんだ 行け 焚べた薪が燃える限り 命の限り
観客が一節一節に反応し、彼の歌声に合わせて揺れる。テントの下で食事を取っていた人々も、その手を止めてタテヤマ達のパフォーマンスに釘付けになっている。
間奏に入ると、タテヤマがタンバリンを振ってマナカに「前に出ろ」というジェスチャーを送った。背を押されたマナカは、タテヤマの前に出てギターのネックを持ち直す。ギターソロが始まった。マナカはさっきまでの全に溶けた様子から一変、歯を見せて六弦を掻き鳴らした。原曲とは異なったタメや歪みを混ぜながら、枠からは飛び出ないように注意を払っているように感じる。その音からは、原曲の持つスーパーノヴァの完成度とマナカの洒脱の両方が滲み出ていた。ソロパートが終わると、マナカはタテヤマの隣に戻り、彼と視線を交わしふっと笑った後、礼をした。会場からも大きな拍手が鳴り響いていた。
バンドはセットリストの予定通り、スーパーノヴァ時代の2曲とタテヤマのソロ曲から2曲を披露した。
野晒しの会場は既にタテヤマ達のホームグラウンドに変わっていた。手前の砂被り席の観客がもつ熱気がじわじわと遠方まで伝い、会場の端まで届いているように思えた。
4曲目が終わった後、終曲となる5曲目に入る前にタテヤマはマイクに近づいた。
「……タテヤマリュウ、グラスホッパー、R−MIX。今日はありがとう」
自分、バンド、舞台袖のハルカを人差し指で指しながら彼が言うと、少し間が空いてから大きな拍手と歓声が上がった。そして、その歓声の中でボソッと呟いた。
「音楽は続いていく」
グラスホッパーの面々は気を引き締め直すように楽器を構えた。彼らもこの楽しさの中にいることは間違いなかった。
スネアのリムショットとバスドラムが刻むリズムに、ハイハットのオープンクローズが加わった。8小節の後、ギターとボーカルが同時に合流する。
最後の曲が始まる。スーパーノヴァ時代のメジャーデビュー曲だった。この曲で歌っていることは、ただ一つ。
「この世界には苦しみ以上に生きる価値があり、今日も何事もなく朝起きられことが、何より幸せである」こと。
真っ直ぐで歪みのないメッセージは、同じように屈託のないタテヤマの声で拡張され広がっていく。
曲が進むに連れ、タテヤマとともに口を動かす観客が増えて、大合唱となった。
今、バンドが繋がっている。会場が繋がっている。世界が繋がっている。
自分が生まれるよりもずっと前の時代の曲が、私の書いた台本を、私の考え方を肯定してくれている。気づけば、私の喉元は震え、涙が滲んでいた。局所的でも、限定的でも、彼らの音楽が、確実に世界を変えている。その変化が良い方にか悪い方にかなど、今は評価できない。それでも、この歌が地球の隅から隅まで届けば良いと思った。
曲の最後、フレーズに合わせてタテヤマは拳を高く掲げた。そして、マイクに顔を近づけて言った。
「……ありがとう」
彼はそう叫んで、ステージから私たちと反対側の袖へと帰っていった。
グラスホッパーも、肩を組みながら深々と頭を下げ「ありがとうございました!」と言うと、タテヤマの背中を追うように消えていった。
会場の熱気も冷めやらぬ中、ハルカは袖で目元を拭ってから、入れ替わりで登壇した。
「ありがとうございました! タテヤマリュウ&グラスホッパー! この後も引き続きイベントをお楽しみください! R−MIXでした!」
盛大な拍手が鳴り響く。この場に言葉はもう必要がないことを分かっていたから、彼女はただ深々とお辞儀をした。
拍手が止むと、会場の照明がゆっくりと明るくなり、観客は三々五々散り始めた。
テントに帰ると、疲弊し切ったバンドの面々がパイプ椅子に背もたれぐったりとのびていた。その表情には、マラソンを走り終えた選手のような達成感と安堵が溢れていた。
「お疲れ様」
私はマナカ含め、バンドメンバーを労って言った。マナカは白い歯をニッと見せて汗だらけの右手を差し伸べてきた。
「どうだった?」
「俺の感想なんて必要ないだろ?」
「俺はフクチの感想が聞きたい」
「……じゃあ、最高だった。間違いなく、クソ最高だった」
私はその手を握りしめて、行き場のない感情を放出するように手を震わした。
「カナタ!」
ドタドタと音がしてハルカがテントに飛び込んできた。その勢いのままカナタに抱きつくと、きつく抱え込んだ。
「カナタ! もう……ヤバい! ヤバかった!」
カナタは少し苦しそうに笑ってから、ハルカの頭をポンと優しく叩いた。それから暫く固結びしたように強く抱き合っていた。
私は、テントの奥でマネージャーと思しき男と会話をしているタテヤマを見つけた。その会話の切れ目を見つけて、タテヤマの前に行った。
「タテヤマさん。今日は、ありがとうございました」
男は無反応だった。
「本当に、感動しました。僕は、僕らの伝えたかった考えが正しいものだと、タテヤマさんの歌を聞いて感じることができました」
タテヤマは私を見ると、一瞬驚いたような顔をしたがすぐに視線と表情を戻した。
「自惚れるな」
冷たく小さい声は、観客の声も漏れ入るテントの中でよく響いた。
「お前達は金を積んで俺に仕事を持ってきた。そして俺は仕事を真っ当した。誰にも文句を言わせない出来で」
「……えぇ。それで、大勢の人の胸を打ちました」
「大勢? あの人数で? 俺を呼ぶには、ゼロが二つ足りねぇよ」
タテヤマは右手の親指と人差し指を順番に折り畳む。
「じゃあ、今度はもっと大きいイベントでオファーさせてください」
「……せいぜいあのクソ番組が潰れねぇよう踠くんだな。クソガキ」
タテヤマは重たげに立ち上がって、マネージャーに促される方に大股で歩いていった。私はその足音が聞こえなくなるまで深く頭を下げた。
バンドの待機場所に戻ると、役目を終えた彼らの楽器が運び出され、マナカ達は口々に感想を言いながら片付けをしていた。ハルカは何かを探すようにキョロキョロと周囲を見渡している。
「フクチ。タテヤマさんどこにいるか知らない?」
「さっき帰っていったよ」
「はぁ? 私まだ挨拶してないんだけど。なんで貴方止めなかったの?」
「僕は言いたいことが言えて、聞きたいことが聞けたから」
私の回答の後、全く同じトーンの「はぁ?」がもう一度聞こえた。
「まぁ、いいわ。グラスホッパーの活躍に免じて許してあげる」
ハルカが得意げな顔で微笑む。つられて私も微笑む。
バンドの面々は打ち上げ先をどこにするかで活発な口論を始めている。
日が暮れる。テントの間を風が走って、12月の寒さを思い出す。誰かの「うぅ、さむっ」と言う声が聞こえた。
その時、ハルカは何か懐かしむような顔で言った。
「でも、本当に良かった。最後のイベントがこんなに……想像以上のものになって」
私は反射的に「あぁ」と返す。
それから、ハルカの発した言葉の一部に引っかかって、彼女の言葉を頭の中でもう一度再生する。
ハルカほど言葉のニュアンスや伝わり方を気にする人間はそういない。だからこそ、今たった鳥肌がただの寒さによるものか嫌な予感によるものか確認をした。
「……最後っていうのは、今年最後のってことか?」
暫く、彼女からの回答はなかった。17時を知らせる市内放送が鳴る。日も丁度沈みかけている。
ハルカは、鼻で少し大きな息をしてから、私の顔を見ずに言った。
「『R−MIX』は、3月、今年度をもって終了します」




