19.「Ain’t It Fun」
「おい、ギター! ストロークの時にピックを深く当てすぎだ! 音が燻んでんだろ。耳腐ってんのか?」
普段は静謐なスタジオで、癇走った怒号が響いていた。
「鍵盤、お前がやってんのはジャズか? クラシックか? そんなに静かにピアノを弾きたいなら教会にでも行ってこい! リズム隊、このバンドの足一番引っ張ってんのはてめぇらだ。自分の音だけに集中しすぎだ! 8分の裏のノリをちゃんと合わせろ!」
白昼夢のような光景だった。
私とハルカの横にはタテヤマリュウがいて、スタジオのブース内ではマナカ達がセッションをしている。時折、タテヤマがブースに通じるマイクの電源を付け、恫喝するように語気を荒げる。不思議なのは、彼の口から汚い言葉が発させられるたび、バンドの奏でる音は洗練されていく。私は、ガラス越しのその光景をただ眺めていた。
十二月に入り、ライブイベント「RAR-FM シティサウンドフェス」まで、あと二週間を切った。会議を重ねて企画の内容が決まり、簡単な進行台本も既に出来上がっていた。『R-MIX』枠でのパフォーマンスは、タテヤマリュウのスペシャルライブ。そして、そのバックバンドはマナカ、カナタ達のバンド「グラスホッパー」に一任された。
フェスまで二週間前というタイミングで、グラスホッパーの合わせ練習に初めてタテヤマが顔を出した。彼は前にスタジオに訪れた時よりずっと血色が良く、整った髪と髭が彼と彼を取り巻く環境の大きな変化を示唆していた。
私の中で予想外なことが二点あった。一つは、タテヤマがフェスへの出演を承諾したこと。もう一つは、彼がアマチュア、それも高校生バンドの演奏で歌うことを承諾したこと。キャスティングに伴う金銭的な問題はもとより、彼のプライドがそれを許すとは思えなかった。
「なぁ、言ったよな? 俺が満足できるレベルに達しなかったらこんなガキどもじゃなくて、俺のツアーのバンドを使うって」
タテヤマは、目線をバンドに向けたままハルカに対してそう言った。
「はい」
ハルカは、タテヤマに気圧されながらも強い目でブースの中を見つめて言った。タテヤマは、足を組み直して彼女を睨んだ。
「それで、二週間前でこの体たらくだ。それでも、俺をこのアマチュアバックバンドでやらせようとしてんのか?」
「はい」
ハルカは、再度肯定した。タテヤマの目がギンと強まる。その威圧感がこちらに向かって放たれるような錯覚がして、私は思わず目を伏せた。
ブースの中のマナカ達は、またドラムに視線を集めて曲の始まり、アタックから合わせようと試みる。汗まみれになりながらも、どうにかタテヤマと自分達を納得させられる音が出るよう、彼らは必死に食らいついていた。
タテヤマは、そんなマナカ達を一瞥すると、組んでいた足で机をドンと蹴りつけた。
「クソ!」
彼は立ち上がると、ハルカに人差し指を向けた。
「あいつらに言っておけ、あと二週間。死ぬまで弾き続けろって」
吐き捨てるように言って、タテヤマはスタジオを出て行った。
「音合わせ」という名目だったが、この1時間、彼が歌うことはおろかブース内に入ることもなかった。それでも、演奏を続けるバンドの音を聞き続け、指示を出していた。
ブースに残されたバンドが一曲終えたところで、カナタが力尽きたようにゆっくりと床にしゃがみ込んだ。
「カナタ!」
ハルカは突進するような勢いでブースへの扉を開ける。サウナかと思うような熱気が溢れる。
「カナタ! 大丈夫!?」
「ハルカちゃんごめん。ちょっとだけ休憩するね……」
そう言って作り笑いをすると、ハルカの肩を借りながらスタジオのソファまで歩き、横になった。他のメンバーも楽器を外して床にしゃがみ込み、肩で息をしている。
「マナカ、大丈夫か?」
ブースの中に入り聞くと、マナカは声もなく首を縦に振った。ここまで困憊している彼を見るもは初めてだった。
タテヤマと彼らに声を掛けたのはハルカだが、そもそもの提案をして彼らを巻き込んだのは私だ。だから、今の状況に負い目を抱くのも当然だった。重たい空気の中で、私は告解をするように謝罪の言葉を言おうとした。その時だった。
「なぁフクチ……ありがとうな」
「は?」
「プロのロックミュージシャンに自分の演奏聞いてもらって、アドバイスまでしてくれてるんだぜ。こんなに最高なことってないだろ?」
無理も偽りもない表情でマナカは言った。
「お前にどう見えてるか分からないけど、俺たちはこうなること分かってて……いや、ここまでタテヤマの口が悪いとは思わなかったけど……でも、不相応なのも厳しいことも承知で引き受けてるし、それで今、めちゃくちゃ幸せなんだ」
なんとなく、タテヤマが彼らの演奏の中で歌うことを認めた理由が分かった気がした。
マナカは体を重たそうに立ち上げて、拳で私の胸を軽く叩いた。
「だからさ、信じててくれよ」
私が発そうとしていた謝辞は、既に私自身が飲み込んで消化していて、発した熱で目頭が堪らなく熱くなった。
「ああ……信じてるよ。ずっとな」
マナカはニッと白い歯を見せた。ドラムは両手でスティックを上げ、ベースはボーンと短音で応えた。
「お待たせ。やろう!」
スタジオから、ミネラルウォーターを片手に持ったカナタが帰ってきた。
「無理は……や、無理はしても死なないように!」
ハルカの声がして、バンドは各々の楽器を構え直した。
彼らの音は削られながら瑞々しく光っていった。
〇〇〇
イベント会場は、街を南北に貫く大通りの中心にある芝生広場だった。小春日和となった昼下がりの広場には、家族連れやカップルのほか、特定のラジオ番組やアーティストを目当てにしている人々が集まっていた。
この会場は、ちょうど半年前、殿ラジを着てハルカの語らいを響かせたあのイベントと同じ場所だった。
ステージ裏の仮設テントの中に控室が設けられ、タテヤマとグラスホッパーの面々はそこで出番を待たされていた。彼らに会話は無く、各々が心を落ち着かせるように楽器を触っている。
「……ライブハウスだとあんなに堂々と演奏しているのに、緊張するものなのか」
「当たり前だろ! あのタテヤマと演奏するんだぞ。それに」
マナカは首を回し、数百人の観客が集まるステージの方を見た。
「今日は、いつもロックを聴かない人達にも届けるんだ」
彼の言葉を聞いて、私はハルカの言葉を思い出した。彼女のロックンロール・ラジオもロックが好きな人にだけ向けたものではない。それは彼女の矜持であり、『R-MIX』の信念でもあった。それからマナカは、エレキギターの赤いボディを優しく撫でた。
ハルカはステージ袖で、演奏しているジャズバンドと観客の様子を眺めている。穏やかで心地よいミディアムテンポの曲が、会場の需要を満たしている。
タテヤマはパイプ椅子に据わって机に足を掛け、無気力そうに虚空を見つめていた。
その様子を見ていると、その目線が私に向く。私は目が合ってすぐその目を逸らそうとしたが、考え直してから、もう一度彼の目を見た。
「あの」
「あ?」
会話を終わらせたがっている高圧的な声で、私は萎縮する。
「……どうして、またオファーを受けていただけたんですか?」
腹に落ちていなかった一つの疑問を、私は平静を装って質問した。
タテヤマは無言のまま、机に置いていたコーヒーの紙コップを持ち上げる。長い間の中で、ステージの方からジャズバンドの演奏が際立って聞こえる。
「……お前は、ロックって何だと思う」
突拍子のないタテヤマからの質問で私の体は固まった。それを知ってか知らずか、タテヤマは続けた。
「大声で叫ぶのがロックか? ギターとベースとドラムがあればロックか? それとも反体制的なことを掲げているのがロックか?」
彼の言葉は、独り言の語り出しのようで、答えを求めるものではないように感じた。だから、私はじっと言葉を待った。
「俺は、偽りのない感情の爆発がロックだと思う。それはビートルズみたいな喜びでも、ピストルズみたいな怒りでも、ニルヴァーナみたいな悲しみでも、クイーンみたいな楽しさだっていい」
タテヤマは何か思い返すように、語り聞かせるように言った。
「だから、ハルカはロックだと思う。ずっと何かに怒って、『ナメられてたまるか』とファイティングポーズを取っている」
彼の目は鉄のように重く、光が一抹も交じらなかった。彼が放つ言葉は圧を感じたが、それとは裏腹に体の底まで届く温かみもあった。
「反吐が出そうなぐらいクソ生意気だが、ガキはそう在るべきだ」
「……だから、オファーを引き受けてくれたんですか」
私の返しに彼は鼻で笑う。
「勘違いすんな。俺は、お前らがガキでクソ生意気だって言っただけだ」
彼はそう言うと、また足を組み直して目を瞑った。
「次のステージは、十五時から! 『帰ってきたロックスター』タテヤマリュウさんのスペシャルステージになります!」
ジャズバンドの演奏が終わると、拍手とイベントの総合MCの明るい声が聞こえてきた。ステージから忙しく楽器が運び出され、代わりにマナカたちの楽器が登壇していく。それと同時に、局で何度か姿を見た記憶のあるADが控えテントに顔を出した。
「バンドの君たち、リハーサル始めて。ハルカちゃんは予定通り、十五時前に呼び込みがあってトークね」
「はい!」
ハルカと他のバンドメンバーたちの気合が入った返事が重なる。カナタはハルカと長いハイタッチをして、マナカはふぅと息を吐いて立ち上がる。
「行ってくるわ」
彼の顔は緊張が垣間見えたものの、揺るぎない強さのようなものがあった。
「頑張れ」
彼らの背中に捻りのない言葉を送った。
バンドの登壇に合わせ、私もステージ袖に移動した。
移動観客席は前半分が立ち見になっていて、後ろ半分はテント下に椅子と机が設営され、屋台やキャンピングカーの飲食物を楽しみながらステージを見れるようになっていた。
開始予定時間の十五時まであと二十分あるが、ステージ目前のスペースはタテヤマ目当てと思われる観客で八割ほど埋まっていた。その前のステージに無名の高校生達が現れたところで、『R-MIX』のファンと思われる数人の拍手が広場の横を通る車の音に消されるだけだった。
四人の楽隊は、後でタテヤマが入る中央を空けて左右で二列に分かれた。それぞれが楽器を準備し、前列のマナカとカナタが後列のリズム隊を見ると、四人は目を合わせこくりと頷いた。
ドラムがスティックを持った右手を挙げる。それに応えるように観客席の真ん中に位置するPAも手を挙げる。「ドン!」という低いバスドラムの音が心臓に響く。その音を繰り返すうち、観客の目線がステージに集めり始める。スネアドラム、ハイハット、タム、シンバルと各パーツの確認作業が終わると、ドラムは軽やかに8ビートでリズムを刻み出した。ジャズのスウィングと比べてもあまりにシンプルで明朗なビート。
そのリズムに合わせてベースが弦を弾きだした。何小節か弾き続けるうち、PAの調整が進み、脾腹を伝う音に艶が出始める。ベースの低音は、ドラムのビートに寄り添うように、それでいてリードするように走っていた。
リズム隊が出来上がると肝腎のメロディ楽器、マナカのギターとカナタのキーボードも加わって、四人のバンドサウンドが完成した。円を作って演奏される彼らのセッションは、一匹の生き物のように自然で、完璧で、確かだった。彼らの表情は、大舞台を前にしたシリアスさとこの状況を楽しもうとする無邪気さが混在したものだった。これは、ここ一月の特訓でタテヤマが彼らに求めていたものだと感じた。
セッションが一旦止むと、バンドはそのまま『スーパー・ノヴァ』の曲を奏で出した。厚くて安定感のある演奏。目を瞑れば、誰一人としてこの演奏が高校生バンドのものであるとは思わないだろう。サビに入ったところで、観客席最前列のタテヤマファンが疎に歌い始めた。マナカは、それまで背を向けていた観客席の方を向いて笑みをこぼした。往年のタテヤマファン達が、見ず知らずの高校生達の演奏を認めたように思えた。
サビが終わり間奏に入ると、マナカのギターが高音から低音までを目まぐるしく行き来する。彼の指と耳は4本の弦を同時に操り、その一音ずつに魂を込めているように感じた。間奏が終わったタイミングで、PAが両手を振って演奏が終わった。リハーサルが終わっただけにも関わらず、観客席からは盛んな拍手と歓声が聞こえた。マナカは満足げな顔をして、中央に置かれたマイクに走った。
「タテヤマリュウとのライブ、このあと十五時からあります! 是非見てってください!」
予定にないマナカの奇行。苦い顔をするスタッフ達。センターマイクには電源が入っていなかったが、名も知らぬ少年の声に手前の観客がもう一度沸いた。袖では、ハルカがケタケタ笑ってそれを見ていた。




