7.スタートライン
灰色だった世界に色が戻っていく。
意識が引っ張られるような感覚でふと我にかえると、目の前の少年が目に入った。だが、その右腕が未だ怪我したままだと言う事実には思わず目を細めてしまう。
「これが、全部だ」
長々と、自らの過去を語った歩はそのまま俯いた。博臣と、顔を合わせづらかったから。
「俺が、俺のせいでシオンは死んだ。俺が臆病で無力だったからシオンを死なせた。なのに今も俺は、臆病なままだ」
博臣は、歩を見た。体が成長しても、心が成長しない。今、まさに博臣が考えていた悩みと酷似していた。
臆病な自分を変えたい歩と、周りの変化に置いていかれるのが怖い博臣。二人は相反しつつもやはり似ていたのだ。
「薄情なやつだよ。今までサッカーを避けてたのは、同じことを繰り返したくないからじゃない。そこに自分が関わりたくなかったからだ。それだけじゃない。俺はシオンの事を忘れたかったんだ。嫌な記憶を忘れたかった、自分を守りたかったんだ」
歩の言葉には、自らをも潰しそうな重圧があった。だから、博臣は耐えきれなくなって口を開いた。
「じゃあ、歩はどうするのが正解って思ったの?」
予想していなかった博臣の言葉に、歩は言葉をつまらせる。正解、などと一括りにできる問題では無い気がしたから、博臣もそれがわかっているはずだと思ったから。
だが歩は、同時にこうも思った。博臣が待っている答えは、きっと正解などでは無いのだと。
「俺は待ってたんだ。ずっと、機会を。お前がまたサッカーしようって誘ってくれるのを。強引に引っ張ってくれるのを待ってたんだ」
博臣は口を開かない。
「正解なんてわかんねぇけど、でも、逃げちゃ駄目だったんだ。俺は、これ以上誰も傷つけたくないって思ってたのに……」
「ねぇ、歩?」
やっと、本音が聞けた。
「サッカーはさ、全然危険なものじゃないよ」
全部、豊の言う通りだった。
「忘れちゃったの? 小学生の時の約束」
確かに、みんな少し大人になって考え方は変わってしまったかもしれない。
「俺はね、ずっと……」
でも、サッカーが好きな気持ちはきっと。
「歩と、サッカーがしたかったんだよ」
博臣も、やっと言えた本心に内心ほっとする。豊の言う通りに正直に話すことができた。
「確かに、変な先輩もいるかもしれない。理不尽な暴力も、目を塞ぎたくなるようなトラブルも起こるかもしれない。でもさ、歩」
博臣は、歩の手を取った。今までそらされていた歩の視線が博臣へと向く。
「今度は、俺がいる」
風が吹き、博臣の髪を揺らす。博臣の真っ直ぐな瞳に見つめられると、何故か目がそらせなくなってしまう。その感覚がどこかむず痒くて歩は唇を噛んだ。
「俺がいるよ歩。お前が抱える哀しみ、苦しみ、全部俺が受け止めてあげる。これから訪れる不安や恐怖から守ってあげるから。だから歩、一緒にサッカーやろう! お前のいないサッカー部なんて鶏肉の無い親子丼と一緒だよ!」
溢れて来る感情を堪えている時に来た唐突なたとえ話に歩は思わず吹いた。鶏肉の無い親子丼なんて、ただの卵かけご飯だ。
「でも、卵かけご飯並みには美味しいんだな」
「今までもそれなりに楽しかったしな。でもやっぱり、お前がいなきゃ親子丼は完成しない。このままじゃあどこまで行っても卵かけご飯だ」
つまりは、俺が鶏肉って事かよ。歩はそう思い苦笑した。けれどそんな事を考えている歩には、もう不安や恐怖といった感情は見当たらなかった。
「しょうがねぇな」
歩は立ち上がり空を見上げる。少ない灯りが邪魔をして星はあまり見当たらないが、それでも頑張って主張する星に手を伸ばす。
シオンは立派だった。いち早く如月がいじめられている事に気づき、それを助けるべく迅速に行動を起こした。その結果に起こってしまったのがあんな事件だが、それでもシオンの顔に後悔の色は無かった。むしろいつまでも後悔しているのは歩だ。
手を降ろす。
「俺よりちっさいやつにそんだけ言われてんのに、いつまでもうじうじ悩んでられるか」
「それじゃあ!」
歩の言葉に、博臣は立ち上がる。
「あぁ、入ってやるよサッカー部。またお前が先輩にいじめられるかもしれねぇだろ?だったら助けてやんねぇとな」
思えば部活に入るか入らないかの話で随分とかかってしまったものだ。そんな感慨に浸りながら博臣の顔を見る。すると、博臣は泣いていた。
「お、おい何泣いてんだよ!」
「だって……歩が部活に……もう一生できないのかと思って……」
歩も、その涙につられそうになりながらも、博臣を優しく抱きしめた。
「泣いてんじゃねぇよ。俺の事、守るんだろ?」
こうして、始まりの物語は幕を閉じた。二人は何を成したのか、何を手にいれ、何を失ったのか。彼らの行動は果たして正しかったのか、間違っていたのか。それは誰にもわからない。ただ、一つだけ言えるとすれば、これは二人にとって紛れもないハッピーエンドだということだ。
二人はようやく、同じラインに立つことができた。この始まりの物語は、まだ始まりではない。彼らの物語は彼らがようやく立つことのできた、このスタートラインから始まってゆくのだ。
ここから先は、この始まりの物語の終わりの物語だ。また、次の物語の序章とも言える。彼らの物語には終わりが無い。強いて終わりと言える時があるとすれば、それは彼らの命が燃え尽きた時だ。
「んで、燃え尽きたと」
突然不穏な事を言い出した豊の頭を歩ははたいた。
「痛い」
「悪いのはお前だろうが。今の話で何で燃え尽きるとかって話になんだよ」
「冗談だよ、全く。お前と博臣は本当に冗談が通じなくて困る」
それが冗談だと言うのは歩にだってわかっていた。だが、その事に関しては特に触れず話を進める。更にそれを全て察した上で、豊は不敵に笑った。
「それで、やっぱり部活入ることにしたんだ」
「うんうん、良かった良かった。やっぱ歩は博臣といる時が一番輝いてるからね。せいぜい、ちゃんと守られてやれよ」
「あと、一つ聞きたいことがある」
携帯を取り出し、ある画面を豊に見せつける。そこには、博臣との連絡の履歴が載っていた。
「博臣に連絡先教えたのはお前だな」
すると、ばつが悪そうに視線をそらし窓の外を眺め出す豊。その様子に呆れつつも、歩はゆっくりと頭を下げた。
「迷惑かけたな豊。本当ありがとう」
「え、ちょ、やめろって歩。いきなり何やってんの!」
無理矢理頭を上げさせられ、歩は豊と視線を合わせる。珍しく困ったような顔をしている豊に歩は思わず苦笑する。
「お前がそんな顔するなんて珍しいな」
「当たり前だろ?歩が謝るなんて、超天変地異でも起きたんじゃないかと思ったよ」
そこまで言うか普通。歩は豊を睨んだ。
「まあでも」
豊は歩の短い髪をなぞるように手を頭に置き、ゆっくりと撫でた。
「よくできました」
最初こそ驚きで固まっていた歩だったが、状況を理解すると顔を真っ赤にして豊へと拳を飛ばした。豊はそれを華麗に避けるとその手に紙パックのコーヒーを取り一口飲んだ。
「ば、馬鹿にしやがって!」
「ははは、貴様ごときに私を倒せると思ったか」
だが、突然背後から頭を叩かれ豊は思わず振り返る。
「寒川、楽しそうなのは良いことだが今が授業中だと言うことを忘れるな」
目の前には、鵠沼がいた。怠そうな態度と言葉遣いが特徴的な国語の先生だ。豊は叩かれた頭をおさえながら、あはは、と薄く笑い席についた。
周りからも微かに笑い声が聞こえてくる。確かに、授業中だということを忘れていた。豊はため息混じりに歩の方を見る。その表情が妙に嬉しそうなのにも少しだけ苛立ち、仕方なく前を向く。
「幸せなやつらだ」
だからせめて、そう悪態をつき、豊は授業へと集中した。
博臣の怪我を見た光太郎は目を丸くした。普段切れ目なあの光太郎がだ。いや、そんな事はどうでも良いのだが。
「博臣、その怪我どうしたんだよ」
あまり心配をかける訳にもいかない。博臣は、はにかみながら応えた。
「部活で先輩と喧嘩になっちゃって」
だが、博臣のその笑顔は何の意味も無かったようだ。光太郎は珍しく付けている眼鏡を軽く持ち上げてから焦ったように手をあたふたと動かす。
「そんな包帯までして、大丈夫には見えないぞ。あ、病院にはちゃんと行ったんだろうな。万が一折れてたりなんかしたら大変だからそこら辺もちゃんと見てもらわないと。いや、動かせてるから骨折は無いのか、だとしても一度診察を」
「いや、病院には行ったし、本当に大丈夫だから……」
そこでようやく、自分が焦っていた事に気づいたのか一度深呼吸を始めた。高校に入ってからは光太郎の知らなかった部分がよく見える。
「まあ、それなら大丈夫だな。一人で騒ぎ立てて悪かったな」
いつもの光太郎に戻り、博臣は少しだけ安心した。思えば、こうして話すのも久しぶりな気がする。そんな事を考えていると、その喜びを隠さずにはいられなかった。
それが光太郎にも伝わったのだろう。光太郎も博臣へと微笑んだ。
「博臣」
だが、その表情もすぐに元のクールな光太郎へと戻ってしまう。その事を少し寂しく思ったが、その顔が懐かしいとも思い、博臣は何も言わなかった。
「この前は、部活の時あんな感じになっちゃってごめんな。自分ばっかで博臣の気持ちなんて何も考えてなかった。あれは俺が悪かった、本当にごめん」
突然の謝罪の言葉に博臣は口ごもった。まさか向こうから謝ってくるなんて、思ってもいなかったからだ。
「全然、気にしないでよ。せっかく気を使って言葉をかけてくれたのに、俺がはっきりしなかったのもいけなかった。ごめん」
その言葉に安心したのか、光太郎は胸を撫で下ろし息をついた。どうやら、光太郎もあの件については色々悩んでいたらしい。何となく親近感を覚え博臣は笑顔を作った。
「そうか。そう言ってくれると嬉しいよ」
光太郎も笑顔になる。
これで光太郎とのわだかまりも消えた。
また歩と光太郎とサッカーができる。そう思うと、博臣はその笑顔を消すことは出来なかった。
「けどな、博臣。俺、部活にはもう戻らないことに決めたんだ」
「は?」
だから、その光太郎の言葉に博臣は驚きを隠せなかった。
「元々、親から言われてたんだ。サッカーは中学までにして、高校では勉学に励みなさいって。約束してたしさ、最初は親の言うことなんか気にせずサッカーやろうと思ってたんだけど、ほら、俺って二組じゃん。一組になれなかったんだよ。それに、もう一回やめたようなもんだしさ、今ならやめやすいというか」
引き留めたかった。我が儘を言いたかった。光太郎と一緒にサッカー出来ないなんて嫌だ。もっと光太郎とサッカーしたい。そう言いたかった。だけど、言えなかった。光太郎は勉強が好きな訳じゃない。にも関わらず、その勉強を頑張ると言っているのだ。そんな光太郎を引き留めることなど、博臣にはできなかった。
「決めたの?」
「あぁ、もう決めたんだ」
せっかくとか、どうしてとか、そんな言葉は飲み込む。
「そっか」
光太郎はそんな博臣の表情を見て目をつむりたくなったがそれでも博臣を見続けた。博臣が光太郎とサッカーしたいというのは本当の気持ちだろう。その気持ちを踏みにじってまで自分の考えを通そうとしているのだ。最後まで、彼を見続けるのが礼儀だと、そう思った。
でもやっぱり少しくらいは、引き留めてほしかった。
「部活以外で」
「ん、どうした?」
「本当は一緒に部活したいけど、部活以外でならサッカーしても良いんでしょ?」
「あぁ」
「じゃあ、またサッカーやろうね」
博臣の目尻には涙がたまっていた。
「博臣、お前……。お別れとかって訳じゃないんだから。クラスでいつでも会えるし、休みの日だっていくらでもサッカー出来るだろうが」
「……うん」
光太郎は指で博臣の涙をすくい笑ってみせる。
これほどまでに自分を必要としてくれる人がいる。それを思うだけで光太郎は過去の自分をぶん殴りたくなった。そう、博臣は光太郎を必要としていてくれるのだ。それ以上には何も要らなかった。
「ありがとう、博臣」
光太郎はそう言って博臣の頭を撫でた。
リズムよくボールを蹴る音がグラウンドに響く。
「健介さん」
リフティングをしながら、朱音は隣にいる小村崎に声をかける。小村崎の名前が健介だということは、一年の中でも朱音しか知らない。
「何だ、朱音」
隣で、健介もリフティングをしながら朱音に応答する。
「何故今日は先輩があなたしかいないんですか?」
「きくっちーは入部手続きの手伝い、秀太は博臣と事情聴衆、佐川は退部。おわかり?」
「堂島先輩って秀太って名前だったんだ」
先日、朱音はすでに、菊地から博臣と佐川の件について聞かされていた。菊地が見たときにはすでに右手以外に酷い外傷は見当たらなかったとの事だが、堂島の証言によると発見当時は相当酷い事になっていたらしい。発見当時って言うと遺体に聞こえるが、決して死んではいない。
「ん、今入部手続きの手伝いって言いました?誰か入部するんですか?」
「おー、何か博臣の親友かなんかで、あゆ、あゆ……。何だっけな」
「鮎?」
「確かそんな感じのやつが入るらしい」
「世の中にはすごい名前のやつがいるもんですね」
「そうか?」
すると、準備の当番だった大我と英斗が戻ってくる。
「小村崎さん、準備終わりました!」
「声が大きいよ大我」
どうやら二人は仲が良いらしい。普段はどこを見ているかもわからないような英斗が大我に小突いている。その光景を見ているだけでどこか不思議な気持ちになった。
「して、小村崎さん、今日のメニューどうしましょう」
「え、俺が決めるの?」
「当たり前でしょう、今日は先輩小村崎さんしかいないんだから」
小村崎は迷ったように腕を組み、思い付いたように大我を指差す。
「よし、今日の練習は中止だ!」
「アホ」
後ろから強烈なチョップをくらい、その場に突っ伏す小村崎。その背後には、菊地と歩がいた。どうやら入部手続きは済んだらしい。
だが、歩が入部する事を知らなかった大我は驚きの声をあげた。
「歩!? お前、何故ここに!?」
「何言ってるの大我? ここに歩はいないよ?」
だが、英斗が間の抜けた声を発しながらため息をはいた。
「馬鹿英斗、あいつが歩だ」
高校に来てから歩に一度も会っていなかった英斗は彼の変化に驚愕した。こうなると英斗はしばらくの間、動かなくなる。
「俺もサッカー部に入部することにした。これからよろしくな、大我」
「おぉ、それは大歓迎なんだが、この事は博臣は知ってんのか?あいつこの事を知ったら嬉しさのあまり発狂してあげくの果てには死ぬんじゃないか?」
博臣の事をなんだと思ってるんだ。そう思ったが歩は何も言わなかった。菊地が何かを言いたそうにこちらを見ていたから察したのだ。
「遅くなったな、一年。小村崎だけじゃ不安だったから急いだんだが、正解だったみたいだ」
「ちょっと失礼じゃないですか?ゴホッゴホッ」
風邪だろうか、小村崎は突然咳き込み始めた。
だが、菊地はそんな小村崎をスルーし歩の紹介に入った。
「少し遅いが新入部員だ。知ってるやつも多いだろうが一応自己紹介をしてもらう」
「瀬戸歩です。宮田博臣に誘われてこの部活に入ろうと思いました。これからよろしくお願いします」
式島高校サッカー部、彼らの物語はここから始まる。
はじめまして、日向奏です。
色々と言いたいことはあるんですけれども、まずはお礼を言わせてください。
この作品に興味を持っていただき、また、最後まで読んでくれた方は最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
最後まで、と言ってもこの作品はまた違った形で続いていくので、最後では無いんですけれども。それでも、面白いかもわからない、この凄い長い小説を読んでくれた事には感謝しかありません。
読みにくかったですよね、本当にすみません。
私も、この「小説家になろう」に投稿するにあたって、まだわりかし不慣れな所もありまして、最初は一つの部分がやたらと長かったりと色々と不備な点があったと思います。そこは、本当に申し訳ありません。
小説の方も文章力が乏しく、誤字も結構目立つと思われます。
そういう所も、作品を展開していくうちで、少しずつ直していけたら良いな、と思いつつ日々書いていますので、応援していただけたら幸いです。
長々と申し訳ないです。
では改めまして、この度は最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
感想(評価や指摘)の方も書いてくださると、とても助かります。
それでは、またスタートラインを越えた先で会いましょう。
日向 奏