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スタートライン  作者: 日向 奏
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1.雪は降らなかった

 その瞬間は、思いの外呆気なく訪れた。

 神奈川県の公立高校受験、合格発表日。博臣と光太郎は受験票を片手に志望校、神奈川県立式島高等学校へと足を踏み入れた。時計を確認すると合格発表三十分前。来たのは良いものの、少し早めに到着してしまったようだ。

 高校の周りは広大な田畑に囲まれていて、どこを向いても景色が変わらない。とは言っても、ここ平塚市の全てが田畑なのかと言うとそういう訳でもない。式島高校、通称式高のある平塚市の北側は田畑が多く建物の数が少ない。のに対し、南側は住宅街で埋め尽くされており、大型ショッピングモールさえ幾つか存在しているのだ。つまり、あと十分程度でも南に自転車を走らせれば田畑以外のものも自ずと見えてくるのだ。

 だが、平塚には駅が一つ、南側にしか無いため、北側にあるこの高校に電車で通うのは困難極まりなかった。

 歩いていると、前方から他の中学校の生徒の姿がちらほら見え始める。それは不安からか、博臣は思わず口を漏らした。


「時間、間違えたりしてないよな」


 光太郎は、合格発表案内と書かれた用紙を取りだし、その事項を無言で指差す。そこには合格発表開始時間九時、と書かれており、現時刻の約三十分後を指していた。

時計は携帯で確認しているのでさすがに間違ってはいないだろう。


「まあ、早く着くに越したことは無いって事だろ。俺たちも、他のやつらも」


 光太郎はそこでようやく声を発すると、紙を鞄の中へとしまう。

 どうやら全て見透かされていたらしい。

 式島高校、通称式高は偏差値四十三の普通科高校だ。進学校でもキャリア教育に力を入れている訳でも無い普通の高校。だが、二人は同じ目的のもとこの高校を選んでいた。


「今日、九時から雪が降るってさ」


 緊張しているのか、俯き気味の光太郎が突拍子も無くそんなことを言う。

 確かに、今朝ニュースで関東にも雪が降るとかどうとか言っていた気がする。どうでも良かったのでスルーしてきたが、まさかその話題を掘り起こされるとは。


「へぇ、そうなんだ」


 光太郎、八代光太郎は俗に言うクールなやつだ。いかなる時も感情に流されず何でも一歩引いたところから客観的に物事を考え、色んな思考を元に答えを出す事ができる。だから、緊張をほぐすために必死に話題を作ろうとする光太郎は何だか見ていて新鮮だった。


「神奈川で雪が降ったらニュースもんだよな」


 言葉を紡ぐように、博臣は呟いた。

 北風は神奈川まで雪を運んではくれない。日本海側から来る雲は、大陸に入ってからアルプス山脈までの間に雪をすべて落としてきてしまうからだ。それ故に、二人は、生まれてから一度も雪を見たことが無かった。


「そういえば、前にもこんなことがあったっけ」


 博臣は思い出したようにぱっと顔を上げ、また今度は顎に手を置き何かを考えるように、うーん、と唸った。

 だから、補足するように光太郎が答えた。


「覚えてるよ、小学六年の時の最後のサッカーの日だろ?」


 そう、それは小学校六年生の、最後のサッカークラブでの活動の日の事。その日も天気予報で午後から雪が降ると言っていた。

 忘れてない。忘れるはずがなかった。

 三年前の三月。二人は、当時所属していたサッカークラブの練習試合に行っていた。メンバーは十一人。サッカーをするにはギリギリの人数だったが、博臣からすれば十分の人数だった。チームメイト全員が試合に出れる事が嬉しかったから。


「ねぇ博臣」


 試合会場に向かう車の中、後部座席に座り窓の外を見ていた博臣は助手席からの声に前へ視線を向けた。


「どした、歩」


 助手席の少年、瀬戸歩は視線が合うと少しだけ頬を染めて俯いた。歩は前に言っていた、人と話す事が苦手で緊張してしまうらしい。だから、その時も特に気にすることも無く博臣は歩の次の言葉を待った。


「今日で、僕たちお別れだね」


 お別れなんて大袈裟な。

 博臣は、一瞬そう思ったがすぐに思い出した。歩は、小学校卒業後に兵庫の方へ転校してしまうのだ。彼の言うお別れは、本当の意味でのお別れだった。


「お、お別れって、そんな言い方するなよ」


「でも僕、引っ越しちゃうし……」


「これで終わりじゃないだろ!」


 歩を含む同じ車に乗っていた四人全員の視線が博臣に集中する。


「確かに、お前は遠くに行っちゃうかもしれない。でも、それで終わりじゃないだろ!歩のお父さんの仕事が終われば、またこっちに帰ってこれるんだろ?」


「そ、それはそうだけど……」


「じゃあ、またサッカーやろうよ!」


 あまりに夢中になって話してる博臣を隣に座っていた英斗が制止する。具体的に言うと、博臣の右の頬を軽く平手打ちした。


「落ち着いて博臣」


 言われて自分が一人で熱くなっている事に気がついた。そのまま雰囲気に押し黙らされてしまい、思わず歩を見るとその姿に目を奪われた。博臣の言葉を聞いた歩が静かに泣いていたのだ。

 そのときは、それ以上に言葉をかけることはしなかった。何事も無かったかのように車は四人を試合会場へと運び、練習試合の相手には二点差をつけて勝利した。

 そのあと、一人でボールを蹴っていた博臣は、歩に手招きされグラウンドの端まで移動した。

 博臣は最初、触れてほしくない話題を振られ怒っているのかと思っていた。けれどその考えとは裏腹に、歩は少し恥ずかしそうに俯き、笑顔で小指を差し出した。


「さっきは嬉しかった。またサッカーしようね。約束」


 迷わず、その小指を自分の小指で結ぶ。

歩が、自分と同じ考えをしてくれていることが何よりも嬉しかったから。

 その後、十一人全員で集まって話をした。たとえ小学校を離ればらばらになっても、またみんなでサッカーをしよう、と。博臣や歩たちを繋いでいた友情はサッカーがあってのものだったから。


「なぁ、歩」


「なに、博臣」


 歩は笑顔で応答する。その瞳に先ほどのような寂しさは一切感じられなかった。だから、博臣は精一杯の笑顔でこう言った。

「式島高校で待ってる、みんなでな」

 唐突に出された高校と言う単語に一同は皆驚愕の表情を見せる。

 式島高校、全国大会でも通用するくらいの強豪サッカー部のある高校で、本気でプロを目指してる人は地方からも来るくらいに人気のある高校だ。

 もちろん、高校の事なんてわからない。こんな約束忘れてしまうかもしれないし、忘れていなかったとしても、守るほどのものとは思わないかもしれない。でも、それでも言わずにはいられなかった。


「式島高校って、お前、あそこがどれだけの強豪校かわかって言ってるんだろうな」


 背の高い少年、光太郎がやれやれと言った調子で口を挟む。


「それに話の流れ的に僕たちも約束に含まれてるっぽい?」


 いつもの軽々しい調子で口を開くのは英斗だ。


「良いだろ別に。もう一回、あの高校でこの十一人でサッカーがしたいんだよ」


 二人に小突いたあと、歩と向き直る。きっとこの約束があれば、遠く離れてしまったとしても大丈夫になる。この約束がみんなを繋ぐ鍵になる。


「良いだろ、歩」


 歩は少しだけ照れたようにはにかみ、空を見上げてゆっくりと目を閉じた。


「ありがとう、博臣」


 歩に誘導されるかのように、博臣も空を見上げた。灰色の雲が空一面を覆ってしまい、本来ならば今すぐにでも雨が降ってきそうだ。だが……


「雪、結局降らなかったな」


 小学六年生の冬。博臣たちは、結局雪を見ること無く、その年を終えた。


「あ、あった」


 自分の番号と合格者一覧の掲示板の番号を照らし合わせて確認する。二、三度見たがどうやら間違いはなさそうだ。


「ふぅ、まあ俺が落ちるわけ無いか」


 光太郎の方も確認はすんだらしく、額の汗を拭い受験票を鞄にしまった。成績優秀者の光太郎からしたら合格なんて当たり前だろうが、それでも緊張はしていたらしい。


「心配性だな」


「自信満々だったのに落ちたなんて言ったら笑えないだろ。心配はいくらしても受かれば笑えるんだから」


「それもそうか」


「そんなことより寒くないか。風邪引く前に早く帰ろうぜ」


「待てよ、これから入学手続きとか色々あるんだろ。頭は良いのに、たまにどっか抜けてるよな光太郎は」


 校舎に入ると、受付の人に封筒を渡された。入学するための手続きの用紙で、入学してから各々提出するらしい。軽い説明を受けてから受け取り、鞄に放り込んだ。

 それ以外には特にすべき事も無いみたいなので、二人は帰宅へ進路を向けた。


「なーんか、呆気なかったな」


 空一面を覆っている大きな雲を見上げながら博臣は心の呟きを漏らした。市立の中学校に通っていた博臣にとって、受験ははじめての出来事だった。だが偏差値の低さからか、受験に対しあまり緊張感を持てなかったのだ。


「どういう意味だ?」


「いや、合格発表って言うともっとドキドキするもんだと思ってたからさ」


「俺はしたけどな」


 お前はビビりすぎなんだよ。

 今度は口に出さずに腹の内にしまいこむ。光太郎はこう見えてわりと繊細な部分があるのだ。下手な言い方をすると傷を抉りかねない。


「それは見ればわかったよ」


「博臣はそこら辺度胸あるよな。どんな窮地に立たされようとどっしり構えてると言うかさ、しっかりしてるというか」


「はは、何だそれ」


「まあ単純というか、馬鹿なだけなんだと思うけどな」


「ひっでぇ、もっと言い方ないのかよ」


 門を出てすぐ、左に曲がり住宅街に出るまで歩き続ける。その間も二人はいつものように会話を弾ませた。その間に一度でも会話がつまることなんて無かった。


「合格はしたけど、雪は降らなかったな」


 その会話の一つ、思い出したように光太郎が空を見上げた。


「言っただろ?雪が降ったらニュースもんだって。ニュースもんの出来事が、そんな簡単に起きてたまるかよ」


 先行く博臣を見て、光太郎が薄く笑う。


「それもそうだな」


 バス停まではまだ少し距離がある。

 ようやく、彼らの物語は幕を開ける。

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