002,ベテルニクス商会
「オーナ様の提案はありがたいのですが、私はこの世界についてよく知りません。助けて頂いてこのようなことを聞くのも恐縮なのですが――」
オーナ嬢にいくつか質問すると、彼女は嫌な顔ひとつせずに答えてくれた。
その結果、どうやら就職に関して日本ほど住居の有無は関係ないようである。
もちろん、あることに越したことはないが、普通は聞いてこないそうだ。
そもそも、日本と違って、専門職でもない限り、健康であれば問題がないらしい。
エントリーシートなんてものは当然なく、履歴書も紹介状以外では必要とするところのほうが少ない。
しかも、ここフッドフォール王国を有するアレド大陸全土にはギルド制という相互扶助組織による労働者支援制度が確立しており、職を探すものはまず各ギルドに登録するところから始まるのだそうだ。
業種別にたくさんのギルドがあり、登録すれば適正に応じて職を斡旋してくれる。
登録料が必要にはなるが、これで職探しは問題ないといえるだろう。
ただ、それは当面の問題の解決にしかならない。
先立つものがなければ何もできないのは、この世界でも同じそうだし。
だが、オレは帰りたい。
この世界に骨を埋めるつもりは毛頭ないのだ。
もし、地球に戻れた場合、スマホがないのは困る。
この世界にきたときと同じ場所に戻れるならまだしも、地球のどことも知れない場所に放り出されたりしたら、さすがに大変だ。
だが、スマホがあればなんとかなる気がする。
充電をたまたましていなかったので、太陽光充電ができる小さなパネル型充電器をジャージの上から二の腕につけていたのもラッキーだった。
これで充電に関しては気にしなくてもいい。
興味本位でいれた翻訳アプリを使えば、外国でも会話に困ることはないはずだ。
最終手段のボディランゲージもあるし。
だが、金のために貴族に売り払ってしまったら、取り戻すことなど不可能だろう。
だから、スマホは売れない。
「では、このジャージは買い取らせていただきますね」
「ありがとうございます。それに代わりの服を売っていただけて助かりました」
「いえ、さすがに裸では私も困ってしまいますし」
「それもそうですね、すみません」
この世界の通貨すら知らないオレを騙すのは簡単だろう。
だが、オーナ嬢は決してそのようなことはしなかった、と思う。
ジャージは、彼女たちの服をみてなんとなくそうではないかと思っていたが、かなりの高級品として扱われた。
オーナ嬢たちの衣服は、化学繊維など使われていなさそうなものばかりで、仕立ては良いがそれだけだ。
ジャージは伸縮性に富み、速乾性で肌触りもよく着心地もいい。
この数日でだいぶ汚れてしまったが、洗濯すれば問題ないレベルだ。
少々臭っていたが、オーナ嬢が何かの道具を取り出すと、瞬く間に綺麗になってしまった。
「そ、それは一体……」
「クス。これが魔道具です。アーティファクトほどの価値はありませんし、市販されているものですから誰でも買えるものですが、とても便利な道具です」
「これが……。綺麗になったということは洗濯などをしてくれる魔道具ということでしょうか?」
「ええ、そうです。本当にご存知ないのですね」
「初めてみました。すごい……」
オーナ嬢が「使ってみますか?」と渡してくれた魔道具は正式名称は清掃の魔道具といい、先端に石がついた棒、というのが見た目そのままの感想だ。
使い方は、棒を持ってイメージするだけらしい。
清掃の魔道具なら、綺麗になったところをイメージする。
数日の徒歩移動で、風呂にも入れていないオレは今かなり汚い。
オーナ嬢たちは嫌な顔をしていないので、まだ臭うほどではないが、毎日風呂に入るのが当たり前の日本人としてはそろそろきつい頃合いだ。
清掃の魔道具は、人間に使っても問題ないそうなので、綺麗になった自分をイメージしてみる。
すると、先程オーナ嬢が使用したのと同じ様に、棒の先端についた石が発光し、対象となったものの汚れを落としていく。
汚れは小さな塊となって集まり、ポロっと地面に落ちる。
風呂に入ったような気持ちよさも、歯磨きをしたような清涼感もないが、確かに綺麗になったと感じる。
若干だが感じていた汗臭さもなくなり、薄汚れていた手も綺麗なものだ。
「すごい……」
「もしよろしければそれは差し上げましょうか?」
「い、いいんですか!? 市販されていると言っていましたが、こんなすごいものさぞかし値が張るのでは?」
「いいえ。清掃の魔道具などの簡単な魔道具は、魔法使いたちがお小遣い稼ぎで作るものですから、一般人にも手の届きやすい価格になっているのですよ。その中でも高いほうではありますし」
「そうなのですか……。本当に頂いてもよろしいのですか?」
「ええ。正直なところ、あなたとは今後もいいお付き合いができたらと思っています。言うなればそれは私からの友好の印でしょうか。大したものではありませんが」
「あ、ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」
おそらくアーティファクトだと思っているスマホを持っているからだろう。
別の世界から迷い込んだなどという、怪しすぎる頭のおかしな話をする男に、これほどよくしてくれるのは。
彼女からしても、一財産となるようなものが手に入れば大きな利益となるだろうし。
それを力づくで奪わないだけでも、オレにとってはありがたいことだ。
まあ、売る気はないんだけど。
ちなみに、服はジャージしか持っていないのだからそれを売ってしまえばパンツ一丁だ。
下に着ていたTシャツは綿Tだったので売らなかった。
代わりに売ってもらった服は、ゴワゴワで着心地は悪いが、我慢出来ないほどではない。
ゴムもベルトもなく、紐で縛ってサイズを調整するズボンなど、戸惑いまくったが。
それと、靴も売ったのだが、街についてから現物を渡す契約にした。
代わりの靴がとてもではないが、ひどい履き心地だったのだ。
だが、オーナ嬢曰く、しっかりと合ったものを作ってもらえば問題ないそうだ。
むしろ、オレの靴はこのまま履いていたら狙われるとまで忠告された。
理由も、ジャージと同様、非常に珍しいものであり、見るものがみればその価値に気づくからだ。
日本で販売されているような靴と、この世界の靴では使われている技術が違いすぎるようで、ただのランニングシューズがアーティファクトとはいかないまでも相当な高級品なのだそうだ。
靴のせいで命が狙われるのは勘弁ということで、街についたらすぐにオーナ嬢が懇意にしている靴屋で仕立ててもらえることになった。
もちろん、ランニングシューズはオーナ嬢が買い取り、さらに仕立てる靴代は彼女がもってくれるそうだ。
ジャージと靴を売ったおかげで、街まで乗せてもらえる上にかなりの資金を手に入れることができた。
本当にオーナ嬢たちと出会えてよかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
オーナ嬢たちと出会った大草原から五日ほど馬車で走ると、周囲を石の壁で囲まれた街、ギテールに到着した。
このギテールは、ベテルニクス商会の本店がある彼女たちの拠点だそうだ。
ベテルニクス商会は、かなり大きな商会らしく、門で荷物検査などの順番を待っている人たちを尻目に、颯爽とその横を通過して順番を飛ばしていた。
順番を待っている人たちからは文句のひとつもでない。
それだけでベテルニクス商会が、どれほどのものかがわかるというものだろう。
正直これだけでもそのすごさ圧倒されてしまっていたが、本店の大きさにもまた驚かされた。
石畳で綺麗に整備された大通りに面した巨大な建物。
それがベテルニクス商会の本店だ。
大通りに立ち並ぶ一般的な家屋数軒分の広さがあり、他の家屋が最大で二階建てまでなのに対して、ベテルニクス商会の本店は三階建てだ。
そのせいもあって、高さと広さでとてつもない存在感をもっている。
本店の正面には広い駐車スペースが確保されていて、何台もの馬車が止まっており、幾人もの人間が忙しなく動いている。
そんな中をオーナ嬢が乗った馬車は悠然と進み、店の裏手に回っていく。
すでに何人もの商会の人間と思しきものたちが集まり、馬車の誘導などを行なっている。
……どうやらオレは、とんでもない人に助けられたようだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
あれよあれよという間に、十日が過ぎた。
ベテルニクス商会の本店に到着してからは、賓客として扱われた。
オーナ嬢の父親であるベテルニクス商会長ドルザール氏を紹介され、毎日晩餐に誘われたりもした。
靴についてもオーナ嬢が懇意にしている靴屋を本店に呼び、さっそくオレにぴったり合うものを作らせた。
わずか三日で完成したのには驚いたが、履き心地はかなりよいものだし、見た目もよいロングブーツだ。
これで靴のせいで命を狙われるということはないだろう。
ちなみに、サンダルも何足かおまけでもらえた。
商会の従業員などは、皆サンダルを履いているし、街でもサンダル履きの人が多かった。
ブーツなどは、日常履きにはしないらしい。
ただ、あったほうがいいのは確実なので、ありがたくもらっておく。
十日の間に、オーナ嬢とドルザール氏は毎日のようにオレの元へ訪れて、ジャージや靴に関しての質問をしていった。
特にジャージに使われているファスナーや縫製についてはかなり質問されてしまった。
残念ながらすべて答えられるほど知識がなかったので、簡単な説明だけしかできなかったが、それでも彼らは満足していたようだ。
ただ、ファスナーに関しては細かすぎて模倣するのにも時間がかかりそうだ、と残念がっていた。
靴に関しても、使われているクッションなど、とにかくこの世界で広く普及している靴とは違いすぎるため、質問には事欠かなかった。
だが、こちらも同じくオレに知識がなさすぎたので、ほとんど応えることができなかった。
それでも、彼らにとっては未知の技術のオンパレードだったため、拙い知識でも十分役に立ったらしい。
そして粗方オレへの質問が終わったのが、商会到着から十日後の今日だ。
ドルザール氏からは商会で働かないかと何度も誘われていたが、この十日で集めた情報もあり、申し訳ないがお断りさせてもらった。
非常に残念がっていたが、オレが向かう先にはベテルニクス商会の支店があるため、何かあればそちらを頼ってほしいと懇願されたので了承しておいた。
彼からすれば、未知の技術をもった品を持った自称異世界人を手放したくはなかったのだろうが、この十日に及ぶ質疑応答で、オレに知識がほとんどないことを見抜いてもいた。
小説や漫画なら、現代知識で大儲けといったところだろうが、生憎とオレが考えつくようなことはすでに似たようなものがあるみたいなのだ。
たとえば、将棋に似たような大衆向け玩具があるので、リバーシや将棋は二番煎じだろう。
売れないわけではないが、大儲けとはいかないと思うし、既得権益もあるのであまりお勧めできないと言われた。
魔法使いがお小遣い稼ぎで一般人向けの魔道具を作っているので、一般家庭の生活水準も低くない。
街には光が溢れ、井戸から水を汲まずとも魔道具の水道がある。
下水処理も大掛かりな魔道具のおかげで、水洗トイレまであるのだ。
通りを行き交う光景は中世ヨーロッパを彷彿とさせるが、車やテレビ、ネットなどがないだけで、現代日本の生活レベルと比べてもそこまで酷くはないのだ。
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