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019,マヨネーズ



「ソウジ様! お怪我はありませんか!?」


 まったりと執事長のモリスが淹れてくれた、リラックスできる紅茶を楽しんでいると、突然扉を蹴破り突撃してきたのは、ミーナ嬢だった。

 屋敷に戻ってきてからまだ三十分も経っていない。

 あの男に殺されかけてからでも、まだ二時間経っていないはずだ。

 もう、ミーナ嬢の耳に入ったとは、なかなかにこの世界の情報伝達能力も侮れない。


 ……いや、うちの使用人が教えたのかな?

 モリスが詰め所に駆けつけたのが、一時間くらい前だったはずだから、時間的には合いそうだな。


 別にだめというわけじゃない。

 むしろ、ベテルニクス商会に報告するのは正しいことだろう。

 彼らの給料の半分は商会が出しているのだから。

 ただ、ミーナ嬢が扉を蹴破ってきたのは、ちょっと淑女としてどうなのかと思う。

 お付きの人も、モリスも、ケイシーも皆唖然としている。


「あー……。私はこの通り無事です。ミーナ様こそ、足は大丈夫ですか?」

「この程度なんでもありません! それより本当にお怪我はないのですね!? 暴漢に襲われたと報告があったときは心臓が止まるかと……」


 扉を蹴破り、淑女らしからぬ猛烈な勢いのままオレの心配をするミーナ嬢。

 なりふり構わず心配してくれるのは嬉しいが、さすがにお転婆すぎやしないだろうか。


「ご心配をおかけしてしまって申し訳ありません。ですが、お陰様で怪我ひとつありません」

「そうですか……。本当によかった……」


 安心させるように、怪我などひとつもないことを伝えると、扉を蹴破ったお転婆娘はどこへ行ったのか、ミーナ嬢は力が抜けるようによろよろと倒れそうになってしまった。

 とっさに手を出して支えることに成功したが、細く柔らかいその体のどこから扉を蹴破るほどの力が出ていたのか疑問だ。

 屋敷の中を全力疾走してきたせいで、少し汗をかいているミーナ嬢だが、その香りは嫌なものではなく、むしろ魅力的なものだったとここに明記しておこう。


「ミーナ様のほうこそ大丈夫ですか? 足、冷やしたほうがよろしいのでは?」

「いえ、少しこのまま……。むしろあちらのベッドまで運んで行ってくださると嬉しいのですが」

「モリス、ケイシー。冷たい水と、氷はあったっけ?」

「ただいまご用意致します」


 よろけた割には、戯言を発するだけの余裕があるようなので、モリスたちに指示を出して、近くのソファーへと誘導する。

 ベッドじゃなくてソファーだったのが不満そうだが、そんな顔も一瞬のことで、いつもの柔らかい笑顔に戻っていた。

 女は怖いねぇ。


「ソウジ様。ひとつ、私からお願いがあります」

「なんでしょう? 私にできることでしたら何なりと」

「屋敷の外で行動するときは護衛をつけてください。私のほうで人選をしておきましたので、すぐにでも用意できます」

「あー……。そうですね。確かに今回のことでそれは痛感しました。ですが、もう人選が終わっているのですか?」


 今まで基本的に移動は辻馬車を使ったりして、道中にトラブルが発生しづらいように配慮はしていた。

 だが、まさか今回のような逆恨みによる殺人未遂が起こるとは思っていなかった。

 まだまだ日本人の平和な感覚が抜けていないのだろう。

 ゴーレムと魔道具で、ある程度自衛ができることはわかったが、抑止力として護衛を連れたほうが確実だろう。

 何より安心感が違う。

 なので、オレも護衛を雇おうと思っていただけに、この提案は渡りに船だった。

 人選がすでに終わっているというのは予想外だけど。

 おそらく前々から提案するつもりだったのだろう。

 オレにとってのミリー嬢のように、ベテルニクス商会にとってオレは金の卵を産むガチョウなのだし。


「以前から護衛をつける提案をしようと思っていたのです。なかなかタイミング合わず見送っていましたが、もう我慢できません。お願いします! 私の心臓を助けると思って了解していただけませんか? もちろん、護衛への支払いは当商会が持ちます」

「そうですね。私も護衛は必要だろうと、今回のことで思い知りました。ですが、護衛への支払いは自分で行いますよ。ベテルニクス商会様には使用人たちの件でも大変お世話になっておりますし」

「いいえ! これは私のわがままでもあります! それくらいは出させてください! 最近、新しい支店のほうの準備でまったく顔を出せていませんでしたし、むしろ、私個人から出しますので!」

「いえ、さすがにそこまでしていただくわけには……」


 最近はモーリッドと試行錯誤ばかりで、レシピの提供も何もできていない。

 その上、さらに護衛の給料まで出してもらうのはさすがにたかりすぎだろう。


「第二支店が出せたのは、ソウジ様のアイディアがあってこそなのです! あちらでも買い取り業務は大盛況ですし、もし、ソウジ様のアイディアがなければ第二支店の開店はもっと遅くなっていたはずです。その分の利益のことを考えればこの程度なんでもないのです。これは言うなれば、ソウジ様への恩返しですから!」

「そ、そうなのですか……」


 ローテーブルを挟んでのやりだったはずが、いつの間にか身を乗り出して近づいているミーナ嬢の迫力にだんだんと押されてきている。

 さすがは支店を任せられているやり手の商人だ。押しが強い。

 いや、以前からそれはわかっていたことだけど。

 ただ、やはり足を痛めているようで、そちらに負担がかからないように身を乗り出しているようだ。

 そんなことはおくびにもださないのが彼女だけど。


 ベテルニクス商会の新しい支店が開店したのは、モリス経由で聞いていた。

 日本のように開店記念の花輪を送ったりするような風習がないので、特に何もしていないが。

 しかし、第二支店のほうも盛況なようで嬉しいが、オレのアイディアが早期開店の後押しをしたのか。

 ただの雑談がまさかここまでになるとは、とてもではないが思わなかったな。


「第二支店のほうも順調ですし、もう少し様子をみてからとなりますが、ソウジ様の下へ顔をだせる回数も増やせると思います! ですので、私の心の安寧のためにもどうかお願い致します!」

「わかりました。現状でもお世話になりっぱなしで恐縮なのですが、護衛の件についても頼らせていただきたいと思います」


 このままでは埒が明かない。

 ミーナ嬢は絶対に譲るつもりがないようなので、折れることにした。

 完全に押し切られた形になったが、使用人の件もいずれは全額こちらで払うつもりだったのだし、護衛も同じ様にすればいいだろう。

 それよりも今は、自分の意見を完全に押し通して勢いのついてしまったミーナ嬢をどうするか、だ。

 最高の笑顔とともに、瞳に荒ぶる炎が幻視されている。

 これはまだ攻めてくるつもりだ。

 商人怖い。いや、これは女のほうのミーナ嬢か。


「ありがとうございます! ふふ、そうだ。もしよろしければ今日は泊まっていこうと思うのですが」

「お嬢様、それはさすがに……」

「なんとかしなさい」

「申し訳ありません。無理です」

「そこをなんとかするのが――」


 だが、お付きの人の見事なインターセプトにより、どうやら難は逃れることができそうだ。

 頑張れ、お付きの人!

 ケイシーが持ってきた氷水で彼女の足を冷やしている間が勝負だ!


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「んん~~! 美味しいです! なんですかこれは! このまよねーず、ですか! 前回はありませんでしたよね!? なぜ前回はなかったのですか! これがあれば前回のだってもっともっと! んんーー! 手が止まりません!」

「前回は材料の用意が間に合わなかったのもあります。マヨネーズは生食できる卵が必要でしたので、探すのに時間がなかったのですよ」

「そうだったのですね。そういうことですと、マヨネーズは日持ちしないのでしょうか?」

「うちのように、冷蔵庫があればある程度は持つと思います」


 お付きの人の頑張りで、泊まりだけは阻止することができた。

 だが、そのまま帰しては礼を失するので、少し遅めの昼食をご馳走することにした。

 馬車で急いで駆けつけたこともあって、彼女も昼食をとっていなかったのでちょうどよかった。


 出した料理は、試行錯誤中のうどん料理と、唐揚げにマヨネーズだ。

 うどん料理はまだ試行錯誤中のものであることは伝えてあるのだが、それでも彼女は十分に合格ラインだと満足そうに食していた。

 しかし、それ以上にマヨネーズへの反応は劇的だった。

 オレもマヨネーズは好きだが、どうやら彼女は、何にでもマヨネーズと呼ばれる、通称マヨラーの素質を持っていたらしい。

 そうでもなければ、新しい調味料とはいえ、ここまで反応するものではない。

 うどん料理にもマヨネーズをぶっかけ、唐揚げにも大量にぶっかけ、最後には直接マヨネーズのみを口に運んでいた。

 とてもではないが、オレには真似できない。

 恐るべき、マヨラー。


 ただ、マヨネーズも揚げ物も、油がたっぷり、カロリーたっぷりなので、その辺を気をつけるようにやんわりと伝えておいた。

 どうもミーナ嬢は揚げ物を教えてから毎日食べているようなのだ。

 それでも、ハードワークな彼女には十分にカロリーを消費できるものだったようで、見た目の変化はない。

 第二支店関係で今まで以上に忙しかったのもあるのかもしれない。


 そうなると、一段落つきそうな現状では、揚げ物に加えてマヨネーズまで登場しては、一気に太ってしまっても不思議ではない。

 さすがに、ぽっちゃりしたミーナ嬢は見たくないので、カロリー過多の危険性だけは説いておいた。


 真剣な表情で聞き入っていた彼女だが、その手にはマヨネーズがたっぷり乗ったスプーンが握られていたのは言うまでもない。

 マヨラーにマヨネーズを我慢しろというのは、アル中に酒を我慢しろというのと同じなのではないだろうか。


 とんでもないものを教えてしまった気がするが、そこはベテルニクス商会の支店をふたつも経営する大商人の彼女を信じよう。


 ちなみに、ミリー嬢にもマヨネーズを食べさせてみたが、やはりミーナ嬢ほど狂喜乱舞はしなかった。

 好評ではあったが、少しつけて食べる程度だった。

 それよりも、唐揚げのほうに食いついていた。

 やはり、唐揚げは最強のようだ。



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