015,餌付け
ミリー嬢が屋敷に顔を出したのは、翌日のことだった。
今にも吐きそうなくらい息を乱して到着した彼女は、メイド長のケイシーから水をもらって一気に飲み干すと、勢いよく頭を下げてきた。
「ありがとうございます! 魔力が尽きても頑張ります!」
汗で湿った彼女の狐耳を眺めながら、とりあえず落ちていてもらうために、もう一杯水をお願いすることにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「これがこの前言っていた専門書です。私もまだ全部は読み終わっていないのですが、単語だけではなく、文法や構成なんかにも触れていて、とてもおもしろいですよ」
「ありがとうございます。ではお借りしますね」
「はい! じゃあ、私はさっそく仕事に入りますね。でも、本当に魔法式を書いていくだけでいいんですか? 魔道具は作らなくていいんでしょうか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
落ち着いたミリー嬢に、清掃の魔道具を使ったあと、一度戻ってもらい例の魔法式の専門書をとってきてもらった。
その際には辻馬車を使わせたので、また汗だくにはなっていない。
もちろん、料金はこちら持ちだ。
最初は、うちの風呂を使ってもらおうかと思っていたのだが、清掃の魔道具をさっぱり使っていないことを思い出したのだ。
ミリー嬢ももっていたが、魔道具は消耗品だ。
わざわざ使用回数を減らさせることもない。
迷宮都市にきてから、さっぱり忘れていたくらい使っていなかったものだし。
彼女に出した指名依頼は、仕事の手伝い、という、実際の内容をどうとでも変更できる曖昧なものだった。
だが、それでも問題なくミリー嬢は受けてくれた。
指名依頼を受けたこと自体初めての経験だったようで、大慌てで駆けつけたらしい。
それなりに名の売れた探索者でも、指名依頼を受けるのは稀なのだそうだ。
三流どころで、しかも滅多に迷宮に潜らないエセ探索者であるミリー嬢では、初めての指名依頼だとしても納得だ、
まあ、だからといって汗だくになるほど全力疾走して駆けつけるのは、どうかと思うが。
よほどパニックになっていたのだろう。
到着した彼女は完全にいっぱいいっぱいだったし。
今回の依頼について、ミリー嬢自身はこの間の続きだと思っていたようだが、魔法に関しては後回しである。
用意した紙に、ひたすら知っている魔道具の魔法式を書き連ねてもらう。
それが今回の彼女の仕事内容だ。
あとは、結局手に入れることができなかった、魔法式の専門書を貸してもらうことくらいだ。
こちらは、一度読んでみて彼女の許可をとったあとに写本してもらう予定だ。
もちろん、高い金を払って買ったのは彼女なので、依頼とは別に謝礼を支払う予定だ。
断られたら仕方ない。
なので、今回の依頼は数日に渡ってのものになる。
三食おやつ付きで、前回の依頼よりも報酬が高くなっている。
ミリー嬢にとっては、前回の依頼だけでもかなり美味しいものだったのに、それ以上の報酬が約束された指名依頼が舞い込んだのだ。
確かにこれだけの好条件なら、全力疾走して駆けつけてもおかしくはないのかもしれない。
紙に猛烈な勢いで魔法式を書いている彼女と同じ部屋で、専門書を読む。
借りた本なので、彼女の目が届く位置で読んだほうがいいかと思ったのだが、当の本人はこちらに目もくれず集中して作業を行なっている。
ちなみに、おやつ時ではないが、モーリッドが作ってくれたお菓子が彼女の作業している机には置かれている。
たまにぱくついては、幸せそうな顔をして作業を進めているので用意してよかった。
尚、魔法式の専門書は、さすがは専門書というだけあって、かなり難しい。
これを面白いと言えるミリー嬢はすごいな。
ただ、昨日買ってきた魔道具の本で参考にできそうなものを辞書代わりにしているので、なんとか理解できている。
できれば本格的な辞書がほしい。
魔法式の辞書なんてあるのかどうかは知らないが。
しばらくの間、ペンを走らせ、おやつをぱくつく音と、ページをめくる音だけが部屋を占めていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なかなかの量になりましたね」
「はい! でも、まだまだありますので、明日も頑張ります!」
「無理はしないでくださいね。期間に関してはある程度伸びても構いませんので」
「いえ、大丈夫です! 実は私、暇なときに同じようなことをしているので……。えへへ」
「そうなんですか?」
「はい! だから心配はいりません! きっちりと期間内に仕上げてみせます!」
モーリッドの料理に舌鼓を打ち、集中力をきらすことなく魔法式を書き続けたミリー嬢。
だが、彼女の知っている魔道具の魔法式はまだまだあるらしく、今日だけでは到底終わらなかった。
依頼の期間はある程度長めに設定してあるので、その間には専門書も読み終わるだろう。
彼女も一日中ペンを動かしては、おやつをぱくついていたのに元気いっぱいだ。
もちろん、三食それぞれオレよりも食べていた。
あれほど食べてもずいぶん量をこなしてくれている。
言葉通りに慣れているのだろう。
しかし、魔法式を書き連ねるのが趣味なのだろうか?
だとしたら、彼女とは長い付き合いになるかもしれない。
専門書まで購入するほどなのだから、魔法式に関しての知識は膨大なものだろう。
魔道具を作ることはできなくても、魔法式を書くことはできる。
そして、その魔法式が魔道具として成立するものでさえあれば、うちのゴーレムたちで魔道具を製作することができるのだ。
もう少し様子をみて、彼女の実力を把握できたら、本格的に雇用することを考えたほうがいいかもしれない。
彼女はもしかしたら金の卵を生むガチョウなのかもしれないのだから。
街灯の灯りが照らす道を、スキップしそうな浮かれ具合で帰っていくミリー嬢。
いくら門衛がそれぞれの屋敷の前に立ち、目を光らせている場所だからといって、女性がひとりで夜に徒歩移動をするのはいただけない。
だが、辻馬車で送ると何度いっても断られてしまったのだから仕方ない。
か弱い小動物のような雰囲気を持っているミリー嬢だが、探索者として迷宮で魔法使いをしているのだから、戦闘力はオレよりもある。
たまにしか潜らないとはいえ、だ。
夜道で不埒な事をしてくる程度の輩なら返り討ちにできると息巻いていたが、やっぱり心配だ。
明日から毎日通ってくるので、早く帰すか無理矢理にでも馬車に乗せよう。
うちから護衛を出すのは無理だからね。
使用人にそんな戦力を持った人はいないし、門衛の業務にそのようなものはない。
おそらく頼めばやってくれるだろうが、それだったら辻馬車を拾ったほうが精神的によろしい。
だが、のんきに狐尻尾をふりふり上機嫌なミリー嬢の後ろ姿をみていると心配するだけ無駄な気もしてくる。
まあ、大丈夫だろう。
それより、ゴーレムたちに作らせている魔道具がどうなったか確認しなくては。
ミリー嬢が魔法式をいくつかかきあげた時点で、ゴーレムたちにはそちらの魔道具を作らせている。
もちろん、自室の作業部屋なのでミリー嬢は知らない。
というか、屋敷の使用人たちもオレのゴーレムが魔道具を作っているなんて誰も知らない。
作業部屋には誰も入らないように厳重に言いつけてあるからだ。
ゴーレムが魔道具を作るなんて前代未聞だろうし。
玄関で待っていた執事長のモリスと一緒に屋敷に入る。
別に待ってなくてもよかったのに。
ベテルニクス商会が選んでくれた使用人たちは、皆給料に見合った高い実力の持ち主ばかりだ。
特に執事長とメイド長は、頭ひとつかふたつはほかの使用人たちよりも抜きん出ている。
まるで漫画や小説なんかに出てきそうな完璧な使用人たちなのだ。
普段は影のように気配を消して控え、必要なときに必要なものを用意してくれる。
それは今日、ミリー嬢にやってもらおうと思っていた、魔法式の書き出し用の紙やペンをいつの間に用意していてくれていたり、モーリッドにお菓子などを先んじて作ってもらっていたりしていることから明らかだ。
まだ短い付き合いだが、オレの性格をしっかり把握して、ミリー嬢へ餌付けするだろうことを予測していたのは頭が下がる。
プロの使用人ってすごいね。
そういったわけで、オレが入らないでほしいといった作業部屋へ無断で侵入するようなものは、この屋敷にはいない。
そもそも、ベテルニクス商会が性格や実力も保証してくれた人たちなので、あまり心配はしていないが。
作業部屋では、暗い室内で延々と魔道具作りをしているゴーレムたちがまっていた。
簡単な魔法式でも、かなり時間がかかってしまうので、未だに作業中ではあるが、最初は十体しか生成できなかったゴーレムが今ではその数が二十を超えている。
その分、一度に作れる数が多いので、時間がかかっても大した問題はない。
作業自体は順調なようで、それぞれ正確にミリー嬢の書いた魔法式を小さな魔石に刻み込んでいる。
ちなみに、最初に生成したゴーレムがついに魔力がつきて崩れてしまったので、今作業しているゴーレムたちは今日生成したばかりのものたちだ。
一度生成すればかなりの間持つことがわかったが、作業途中でもお構いなしに崩れてしまうので、ある程度時間が経ったら再生成したほうがいいだろう。
中途半端に刻まれた魔法式でも、続きを行うように命令すれば問題はないんだけどね。
ただ、四六時中ゴーレムたちに張り付いているわけでもないので、いつの間にか崩れて作業が止まってしまうのは効率が悪い。
幸いなことに、二十体程度のゴーレムを再生成しても、オレの魔力がつきることはない。
ゴーレムを最初に生成したころに比べても、魔力が増加しているのを実感できるので、もっとゴーレムを生成できるようになっても問題ないだろう。
明日の朝にはいくつかの魔道具が仕上がっているだろうから、ミリー嬢に見せて確認するとしようか。
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