2 結婚は突然に
「はっ……!」
いつの間にか意識を失っていたあいなは目を覚まし、今、自分が置かれている状況をぼんやりした頭で一生懸命把握しようとした。
肌触りの良いシーツが敷かれた天蓋付きベッド。ピカピカに磨かれた窓ガラス。高価な絨毯。
「すべすべ……。こんなベッドに寝たの、初めてだ……」
思わずそうつぶやいてしまったのは、手のひらに触れるシーツのせい。おもむろに体を起こし顔を左右に振っても、あいなはぼんやりしたままだった。
「どこのホテル?ううん。ファンタジーゲームの宮殿に出てくるお姫様の部屋みたい。すごい……。じゃない!!」
さっき自分の身に起きたことを思い出し、あいなはベッドの上で立ち上がった。
「まさか……。ここって、シャルの家!?」
すでに『シャルさん』と呼ぶのをやめた。その理由は、言うまでもない。彼女は、シャルのことを完全に敵視しているのだ。
「あの怪しいイケメン!私のこと、拉致監禁するとはいい度胸だ!」
お姫様気分は一転、あいなはみるみる怒りの形相に変わっていった。
「私としたことが、どうしてあんな奴の言いなりに……!?」
こんな時も負けん気をフル稼働させられるのは、彼女の強みのひとつであろう。
見知らぬ男性に結婚を迫られた直後に意識を失い、これまた見知らぬ場所で眠らされていた――。普通の女性なら恐怖すら覚えるこのシチュエーションにあいながひるまないのは、彼女が多少の戦闘能力を持っているからだ(もちろん、戦闘能力というのは、一般的人類が修得できる範囲内の能力であり、魔法や魔術の類ではない)。
もう昔の話だが、彼女は、弟の龍河と共に、小学生時代の数年間、空手の稽古に通っていたのである。子供の頃の記憶力や吸収力は素晴らしいもので、高校三年生になった現在でも、あいなは空手の技を繰り出すことに長けていた。
そんな彼女、学校ではなにかと女子に頼られ、一部の下級生からは尊敬されていたが、男子からは『女のクセに空手とか、こえーよ』と引かれていた……。唯一の特技が恋のチャンスを遠ざけているなど、あいなは夢にも思わなかった……。
そんなあいなが、シャルの意のままにここへ連れてこられた可能性を否定したくなるのは当然だった。
(必死に抵抗したはずなのに、まるで手ごたえがなかった。あいつ、何者なの!?日本語ペラペラしゃべってたけど見た目は外国人ぽかったし、自国の秘技を使ってきた、とか??でも、そのわりに痛みはない。
それに、私はいつの間にか意識を失ってた。貧血とか、今までなったことないのに。ううん、なったことがないから、倒れた自覚も持てなかったとか?)
今、自分がここにいる理由を必死に考えてみたが、全く分からなかった。
(シャルに指輪がどーのこーの言われて、それで……。)
あいなは、自分の右手薬指にはめた指輪を見つめた。
(これが一体、何だって言うの?露店で買った、どこにでもありそうな指輪じゃん……。)
装飾された透明な青い石も、きっとイミテーションだ。とはいえ、あいなにとって、この指輪が特別なものであることもたしかなのだ。
(たしかに、これは露店で買った、誰にでも買える安いもの。でも…これは……。)
指先で、そっと石をなでる。心なしか、輝きが増した気がする。
「あいな様、お目覚めになられましたか?」
「えっ?」
軽やかなノックの後、燕尾服を来た一人の男性が、あいなの部屋に入ってきた。
年の頃は、シャルより少し年上……二十代前半くらいだろうか。整えられた爽やかな黒髪で、妙に色気のある、シャルとは違うタイプの美形だった。
「あなたも、シャルの誘拐仲間なの?」
あいなは後ずさり、警戒心に満ちた面持ちで尋ねた。シャルのことを誘拐犯だと決めてかかっている。
「ふふっ。おっと、失礼いたしました。あいな様があまりにも愉快なことをおっしゃいますから、つい」
燕尾服の男は、青みがかった漆黒の瞳を柔らかく細め、自己紹介をした。
「私は、シャル様にお仕えしている、フォクシード=ルイスと申します。ルイスとお呼び下さい。シャル様の専属執事をさせていただいております。以後、お見知りおきを」