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 シャルはあいなの肩を抱き寄せる。彼女の前髪を指でかきわけると、おでこに口づけをした。


「ずっとこうしていたいが、もう城を出る時間だ」

「うっ、うん」


 腕時計に目をやりつまらなさそうにため息をつくシャルに、あいなはドキドキしていた。おでこに触れたシャルのぬくもりが、胸の奥深くまで染み渡るようで――。


 シャルに会ったらすぐさまハロルドとの関係について尋ねるつもりだったのにそれすら出来ず、あいなは頬を染めていた。


 シャルはとがめるような口調で、


「ルイスと関わることについて今後は極力干渉しないつもりだが、ひとつ言いたいことがある。そういう顔、アイツには見せるな」

「そういう顔って?」

「女の顔だ」

「元から女なんだけど!シャルの目には、私が男に見えてたの!?ひどくない!?」


 突っ込まずにはいられなかった。

 あいなは恋愛体質である一方、自分が男まさりな性格であることを近頃感じていた。そんな彼女の心情を察しつつも、シャルはわざとため息をついた。


「お前は本当に、鈍感でどうしようもないやつだな」

「何をぅ!?」

「いちいちムキになるな。誉めているというのに」

「『鈍感でどうしようもない』って、どう考えても悪口だよ」

「そういう裏表のないところ、俺は好きだぞ。でも……」


 シャルは真面目な視線であいなを見下ろした。


「お前は色気皆無かいむの女だが、時折、女の顔をする」

「色気皆無って、ひどい……。もっとオブラートに包んでよ」

「誉め言葉だと言っただろ。俺は色気のあるなし関係なしにお前に惹かれている。だからこそ、ひとつ注意しておく。女の顔は男をあおり、時に変な期待を持たせる原因にもなる。

 ルイスに感情を刺激されることがあるようだが、アイツのことを好きかどうか分からないのなら優しくしすぎるな。冷たいくらいでちょうどいい」

「そ、そんなことできないよ…!ルイスさんは私達のために色々してくれてるんだから」

「使用人だから当然だ」

「だったらなおさら、冷たくなんてできないよ……。ルイスさんは、ここへ来た時から色々優しくしてくれた。悩みとかグチも親身に聞いてくれた唯一の恩人なんだよ……」

「それも、俺の専属執事だからだ。王子の花嫁になる女を気遣い尽くすのもアイツの仕事だ」

「それは分かってるよ!」


 シャルの真意が読み取れず、あいなは困惑した。


「でも、だからこそ、自分の都合でルイスさんに冷たくしたり距離を置くようなことはできないよ。シャルと結婚した後も付き合っていく人だもん。邪険にせず大切にしたい」

「ルイスのこと、信じてるんだな……」

「当たり前だよ。私達、友達になったんだもん!」

「なっ、友達、だと!?」


 シャルは目を見開き、動揺をあらわにする。


「本当なのか!?ルイスはそれに納得したのか!?堅物かたぶつのアイツが……」

「最初はダメって言われたけど、最終的にはいいよって言ってくれた」

「……そうか」


 悩ましげな表情で自分の額を触り、シャルは言った。


「お前がそれでいいのならかまわない。でも、ルイスだって若い男だ。俺の専属執事であいなの友人だとしても、アイツが女の顔をしたお前に欲情しない理由にはならない」

「よっ、欲情って!!ルイスさんがそんなこと考えるわけないじゃん!友達だよ?執事だよ?だいたい、私に色気がないって言ったのはシャルでしょ?」

「お前は本当に、男って生き物を理解していないんだな」

「悪かったなっ!自覚してるからそういうこと言わないでくれる!?モテない女をいじめて楽しむなんて極悪人もいいとこだよっ!」

「極悪人って、お前は本当に口が達者だな。言っておくが、意地悪のつもりで言っているのではない。お前自身のために言っているんだ。俺は、傷付くお前を見たくない」

「え……?」


 切なげに細められたシャルの瞳に、あいなはまたもやドキッとしてしまう。


「ほら、そういう顔。ルイスには見せないようにしろ。っていっても、お前のその表情は無意識なんだろうし、隠すのは無理があるのかもしれないが……」

「私にはよく分からないよ、そういうの…」


 シャルは無造作むぞうさに髪をかいた。


「俺も分からない……。気を許せる人間が少ない王室の中で、アイツのことだけは家族であり友人だと思っているし信用もしていた。でも、正直今は、ルイスをどこまで信じたらいいのか分からない。元々自分の感情を表に出さない奴なのに、お前に関する話題になるとアイツは感情を乱す。今まで見たことのないくらいに……」

「それはきっと、私とルイスさんが友達になったからだよ」

「本当に、それだけなのか…?」

「そうだよ。友達が困っていたらできるだけ力になりたいと思うものだから。ルイスさんも、私やシャルに対して、友達として熱心に働きかけてくれてるんだよ。悪い状態にならないように」


 親友・秋葉あきはを大切にしているあいなのそういったセリフには、強い説得力があった。


「今までみたいにこれからも信用してあげてほしい。ルイスさんはシャルのために尽くしてくれる人なんだから」

「……あいな」 


 シャルに言い聞かせるように、あいなはじっと彼を見つめた。優しくてまっすぐなあいなのまなざしを受け、シャルは高ぶりかけた気持ちを落ち着かせることができた。



 公務に向かう時間が迫っている。必要なことは充分に語ったはずなのにまだ話し足りない気がするシャルだったが、あいなが見送りの言葉を投げることでその場から離れる決心がついた。


「仕事、頑張ってね!」


 笑顔で手を振るあいなに微笑を返し、シャルは公務に向かったのだった。


 



 シャルがあいなを連れ出した後、客室に残された秋葉とルイスはしばし沈黙していたが、


「ルイスさんは私と同じニオイがするのに、どこか違いますね」


 秋葉が素直な感想を述べることで空気はややからいものに変わる。


「魔力のことをおっしゃっているのでしょうか」

「それだけじゃないけど、そうですね。それだけの能力があれば、お一人で王子の専属執事をしているのも理解できます」

「私はまだまだ未熟者です。そのように言って頂ける資格はありませんし、シャル様あってこその魔法です。それに、私の魔法はシャル様をお守りするためにある道具なのですからある程度強くなくては話になりません」

「道具ってわくに満足しているようには見えませんけど?」


 挑発的な秋葉の態度に、ルイスは顔色を変えず穏やかに返した。


「何がおっしゃりたいのでしょう?」

「私、書庫で見てたんですよ。あいなとあなたが話しているところ」

「ええ。お声をかけられる前から気付いておりました」

「仲良さげなあなた達を見て、メイドさん達が嫉妬してましたよ。仕事の手を止めてまで」

「申し訳ありません。それは気がつきませんでした。私の監督不行き届きです。彼女達には私やメイド長から厳しく注意いたします」


 頭を下げるルイスに、秋葉は不機嫌な顔をした。


「厳重注意でおさまるんでしょうか?人の心って、そういうものでどうにかできるほど簡単じゃないですよ」

「その通りでございます」

「ルイスさん、女性に好かれやすいって自覚してますよね」


 初めてルイスを見た時から、彼が異性にモテるタイプであることを秋葉は見抜いていた。ルイスもルイスで、それを隠そうとはしなかった。


「ええ。自覚はあります」

「告白されたことも多かったんじゃないですか?あなたに恋人がいないのを、皆さん不思議がりませんか?」

「どうなのでしょう?恋人などいなくとも生活に不足はないと私は考えていますし、シャル様やあいな様のことならともかく自分のことは何と噂されてもかまいません」

「あいなのことずっと想い続けていたんですか?」


 冷静な口調で返しながらも、内心動揺を極めていたルイス。彼のこめかみにはひとすじの汗が伝っていた。


「さきほど私がシャル様に言ったことでしたら、どうかお忘れ頂けないでしょうか。を越えた発言だったと深く反省しておりますゆえ……」

「シャル王子と結婚するあいなを、この先も想い続けていくんですか?」

「…………」

「執事の気遣いを越えてあなたが下手へたにかまうと、城の中であいなの立場が悪くなります。ただでさえ、書庫でもメイド達に悪口を言われていたのに……」

「……あいな様とは友人になりました。それ以上でも以下でもないことをこれから周囲に示します。あいな様に危害は加えさせません、絶対に」

「嘘つかなくていいですよ、私には。どこかで本音吐き出さないとつぶれちゃいますよ」


 秋葉はため息まじりに微笑した。


「ルイスさんを責める気はありません。ただ、あいなのことが心配で……。私は親から王室内部の人間関係の難しさを聞かされて育ちました。あいなが嫌がるのならシャル王子との結婚を阻止するつもりでした。ここへ来た一番の目的はそれです」

「そうではないかと思っていました。あいな様のこと、深く慕っておられるのですね」


 ルイスもようやく笑顔を見せた。それまで緊迫していた空気は一気に和む。


「うん。あいなは私の親友でしんゆうだから。何が何でも幸せになってほしい。それに、私はルイスさんのことがうらやましいんですよ」

「羨ましいとは?」

「あいなに恋をしているあなたの一途さが羨ましいんです。女性に言い寄られることは決して少なくないはずなのに、あいなを忘れるために適当に誰かと付き合うってこともしない。その強さが、一途さが、私には欠けているんですよ。片想いなんて苦しいだけだし、だったら自分を想ってくれる相手を選んだ方が幸せになれるかもしれないのに、あなたはなぜかそうしない」


(あいな様以外には、興味が持てません……。)


 ルイスの心中しんちゅうかし見た顔で、秋葉は遠い目をした。


「私も、男に気に入られやすいたちなんです。こっちから告白すれば断る人はいません。だからありがたみを感じられないのか、すぐ別れてしまいます。相手から告白された時も同じ……。恋愛が上手くなる~みたいな本を読んでも、それをフル活用したいと思える相手に出会えていないような……。むなしくなるんですよね。で、思うんです。私、誰のことも本気で好きじゃなかったのかなーって……。付き合う前のドキドキ感を味わいたいだけだったのかなーって。あいなを想うあなたを見ていたら、今までの自分が滑稽こっけいに思えて情けなくなって」


 答えを求めない独白だった。秋葉はこういう気持ちを人知れず抱え込んでいたが、ルイス相手に語ることで少し楽になった気がした。ルイスの方もそれを察し、傾聴けいちょうに徹したのだった。


「私はシャル王子のこと応援してるし、あいなに幸せになってほしい気持ちは変わりません。それなのにこんなこと言うのはダメかもしれませんが……。ルイスさんはこの先もあいなに()わないつもりですか?」

「お伝えしてどうにかなる話ではありませんので」


 ルイスの内側に自分と似たものを感じたせいか、秋葉は彼に深く同情していた。執事らしく落ち着いた言動の裏に、片想いの苦しい痛みが隠されているのは容易に想像がつく。


「それに、私はあいな様の友人。恋愛感情など見せるべきではありませんし、これはもう可能性のない終わった恋なのです。あいな様を困らせたくないですしね」

「そうだとしても、告白するなら今しかないと思うんです。正式に結婚した後じゃ遅いですよ?」

「どうなろうと、自業自得です」


 ルイスは目を閉じて微笑し、おのれの切ない感情を隠した。


「あいな様と再会するまで、恋愛感情というものを甘く見ていました。これまでそうしてきたように、不都合な感情は見ないようにすれば跡形あとかたもなく消せると考えていたのです。


 こうなったのは、自分の気持ちが大きくなるのを予想できずシャル様に従った私の落ち度としか言いようがありません。

 最後の悪あがきでシャル様の命令にそむき、露店に置いたエトリアの指輪……。あいな様の手に渡ったのは奇跡です。


 シャル様と結ばれるために城を訪れた大切な女性。そんな方を好きになった私が悪いのです。この身勝手な気持ちを打ち明けてあいな様に迷惑をかけることはできません」




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