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「好きな気持ちに、理由っているのか?」
「そっ、それは……」
何の迷いもないシャルの眼差しはあいなの心に線のごとくまっすぐ届き、彼女を戸惑わせる。
(“好き”に理由なんていらない。私が今まで好きになった人もそうだった。特に、コレといった理由があったわけじゃない。でも、私がシャルに訊きたいのはそういうことじゃなくて…!)
「シャルが良くても、その…城に居る他の人は、シャルが私のような平凡な女と結婚することを許さないと思う。私も、そういうの深く考えたことないから実際どうなのかはよく分からないけど……ほら!『ロミオとジュリエット』もそうなんだよ!立場が違いすぎて、二人は堂々と好き合えなかった……」
「ロミオとジュリエット…?何のたとえ話だ?」
「そっか、シャルは地球の人じゃないから分からないか。えっとね」
あいなは必死に『ロミオとジュリエット』のストーリーを説明した。シャルはおとなしく耳を傾けていたが、やはりと言うべきか、きっぱり自分の主張を通す。
「たしかに、あいなの言う通り、王家の人間が、しかも次期国王の立場にある男が一般市民と結婚した前例はない。ロミオとジュリエットのような障害にぶつかる可能性もゼロじゃない。俺にも、公に婚約者候補を名乗り出る女が何人かいた。お前の手にエトリアの指輪が渡らなかったら、今頃そのうちの誰かと結婚しなきゃならなくなっていただろう」
「だよね!?それが王子様的な結婚の流れだよっ。私、場違いなんじゃないかと思えてならないんだけど……」
世の中の全てを知らない高校生。とはいえ、自分が王子の嫁になれるだなんて、あいなは思えなかった。王族の間に足を踏み入れてからなおさら、そんな思いが胸に絡みついてくる。
「お前は忘れてるみたいだけど……」
何かを決心するかのようにシャルは言い、ベッド脇のあいなに体を近付けた。その際ベッドがわずかに軋み、シャルの体温を空気越しに感じた。あいなは硬直してしまう。少し体を動かせばシャルに触れてしまいそうな距離だ。
シャルはあいなを間近で見つめ、告げる。
「俺達は、昔、会ったことがある」
「え…!?」
「過ぎたことだ、思い出せとは言わない。このままこっちも知らないフリをするつもりだったしな。でも、お前の不安を少しでも解消できるのなら話したい。聞いてくれ」
信じられない。反射的にそう思ったものの、シャルがウソをついているようにも見えない。ひとつひとつ自分の中に染み込ませるような気持ちで、あいなはシャルの言葉を聞いた。
「たった一週間だったけど、お前と龍河は、何らかのまじないを使ってこの城に来た。お前達姉弟がどういう手法を取ったのか、ルイスに調べさせたが結局分からなくて、今もそれは謎のままだが……。その時俺は、人生で一番楽しい時を過ごしたし、お前達といる時間を失いたくないと心から思ったんだ」
「私だけじゃなく、龍河も?……昔はよく、色んなおまじないをためしてたな」
「ああ。お前はその時言っていたな。おまじないや占いが好きだと。
それから8年経った今、やっぱり俺はお前のことが好きだと思った。
お前がいなくなったこの世界で見合いを兼ねたパーティーや食事会に出席させられたりもしたが、結婚する気になれなくて苦痛だった。ロールシャイン王国では、二十歳は成人扱いされる年齢。それもあって、歴代王子は皆、国民にしめしをつけるため二十歳で結婚していたから、俺に対する周囲の期待も強くてな。でも、俺は、親の決めた相手と結婚しようとは思えなかった……。父親を…現国王様を見ていたからな……」
シャルの父親であり、ロールシャイン王国のカロス国王は、かつて、貧しい村に住む女性と恋をしていた。しかし、身分の違いはもちろん、ロールシャイン王国を治める人間は親の決めた正統な血筋の人間と結婚しなければならない決まりがあったため、カロスはその娘との結婚を諦め、後に決められた女性と結婚をした。その女性が、今は亡きシャルの母親…王妃である。
シャルが五歳の頃、王妃は亡くなった。
当時、カロスの胸の内を知らなかったシャルは、執事見習いとしてそばにいたルイスの存在に何の疑問も持たず、それどころか本当の兄のように慕っていた。
母を亡くし悲しみにくれたものの、シャルが早く立ち直ることができたのはルイスがいてくれたからである。日頃は厳しいルイスも、シャルが母親を亡くしたばかりの頃は優しい面を見せた。
「シャル様。今は何も考えず、好きなだけ泣いていいのです。我慢なさらないで……」
「ルイス……」
長い間泣くことを我慢していたシャルは、ルイスの一言で子供らしく泣き崩れることができた。この時シャルは、ルイスのことを執事以上の存在だと思うようになる。
そうして数年後、まじないの力であいなに出会い別れた頃に、シャルは驚きの真実を知ることとなる。
用事で父カロスの執務室を訪れると、カロスの姿はなく、その代わりとでも言うように机の上には数枚の書類が置かれていた。執務室を出ていく直前まで、カロスが目を通していたものだろう。
何気なくその書類に視線をやり、シャルは茫然とした。それは、カロスが執事達を使って密かにあることを調べさせていた証拠だったのである。
かつてカロスが交際していた貧しい村の娘。カロスが心から愛した女性。それは、ルイスの実の母親なのだと、書類には書いてあった。古い紙に記される事実。
調査日時を見て分かった。カロスは、シャルが生まれる前からこの真実をつかんでいたのだと――。
(俺とルイスは、異母兄弟なのか!?)
シャルは一瞬そう考えたが、書類を読み進めていくとそうではないことが分かった。ルイスとカロスの間に血縁関係はない。
ルイスの実の母親は、カロスと別れた後に別の男性と知り合い結婚した。その男性との間に授かった子供がルイスである。
自分とルイスの間に血のつながりはない。しかし、異母兄弟であってもおかしくないと思ってしまうほど、シャルはカロスの未練をひしひしと感じ取った。古びた調査資料を通して――。
「国王様が…お父様がルイスに目をかけていたのは、そういうことだったのか……。かつて愛した女性の生んだ子供だから……。たとえ血はつながってないとしても……」
そこまで愛した女性と別れて望まぬ結婚をしたカロスは幸せだったのだろうか?
シャルは改めて振り返ってみる。短い夫婦生活の中、カロスが幸せそうにしていることはなかった。一方、ルイスと接している時だけは心穏やかそうだった。カロスは、ルイスを通して愛した女性の面影を見ていたのかもしれない。
語られることのないカロスの本音に気付くと同時に、シャルの胸を染める強い想い。
(王子だからって、結婚に妥協しない。したくない!)
父には父の事情や考えがあった。シャルにもそれは痛いほど分かる。けれど、好きな女性と無理に離れてまで他の相手と結婚しなくてはならない運命を背負う覚悟など、自分には持てそうになかった。
――…父親の胸に突き刺さる後悔や未練を知った後、シャルは何事もなかったかのように執務室を後にし、カロスを問いつめるようなこともしなかった。ルイスにも今まで通りに接した。
カロスもカロスで、自分の過去をシャルに知られたことには気付かなかったし、ルイスの母親が自分の恋人だったということを口にすることは一切なかった。
シャルの語る話を、あいなは複雑な想いで聞いていた。
(恋愛結婚したいって考えは、シャルも同じなんだ。でも、私と違って、そういう気持ちになるまでに何度も葛藤してきたんだろうな……。)
シャルとの共通点をまたひとつ発見し嬉しく思ったりもしたが、それ以上に切ない何かが、あいなの胸に沈殿する。
(幸せになるんだ、絶対。)
シャルとあいなは、同時にそう思った。この時同じ気持ちでいることに、二人は気付かない。




