‐
――あいなが自宅から連れ去られた数時間後。
友達と寄り道をしていたため珍しく帰宅が遅くなったあいなの弟・龍河は、合鍵を使って玄関に入るなり、違和感を覚えた。
「んー?なんか、嗅いだことない匂いがする」
鼻をすんすん鳴らしてその香りを深く感じてみると、不思議な気持ちになった。
「初めて嗅ぐ匂いだな。でも、どこか懐かしいというか……」
まさか、異世界の王子シャルの匂いだと気付くわけもなく、龍河はしばし首をかしげた。
「イケメン大学生がつけてそうな香水みたいだ」と、独自の感性で匂いの感想をつぶやく。
姉は、週に3~4日のペースでバイトをしていて帰宅が遅いことも多い。
龍河は、あいなの姿がないのを何とも思わず、そのうち帰ってくるだろうと思い、のんびりゲームなどしていたのだが、そんな穏やかなひとときも、ひとつの連絡により終わりを迎えた。
冷凍庫から、先日母親が買ってきた値の張るカップアイスを取り出しリビングのソファーに腰をかけると、短足テーブルの上に置いておいたスマートフォンが着信を知らせた。
発信者の名前を見て、龍河の心臓は、らしくなくドクンと跳ねた。
「秋葉さん!?」
あいなを通じて関わり合う女子高生。姉の親友であり、自分にとって幼なじみでもあるが、互いの距離は遠い。連絡先を交換しあってはいたものの、こうして実際秋葉から連絡をもらうのは初めてだった。
(姉ちゃんじゃなくて、なんで俺に!?)
龍河は一瞬、迷った。電話に出るか、出まいか。
5秒ほど『一ノ瀬秋葉』の名前が映し出されたディスプレイをじっと見つめていたが、無視するという選択肢に罪悪感を覚えたため、仕方なく電話に出た。
「秋葉さん?久しぶりですね。どうかしましたか?」
心臓は壊れそうなくらい早鐘を打っているのに、龍河はぎりぎりのところで平静を装った。
『龍河君、ごめんね、急に電話して』
「いえ、大丈夫ですよ。何かあったんですか?」
あいなに接する時とは真逆の、丁寧な対応をする。
『今、あいな家にいる?』
「いえ、まだ帰ってませんけど。この時間はバイトじゃないですか?」
『ううん、そんなはずないんだよね。今日、いったん家に帰った後駅で待ち合わせよって約束してたから。バイトは休みって言ってたし。なのに、なかなか会えないから心配になって。あいなのスマホにも何回か電話してるんだけどつながらないし……』
「そうですか、そんなことが……?」
(姉ちゃん、どうしたんだろ?友達大切にしろってエラソーなこと言ってたクセに、自分はこれかよ。)
心の中で軽くつっこみつつ、あいなが友達との約束を簡単に破る性格ではないことも、龍河は知っていた。
「すいません、ちょっと待っててもらっていいですか?俺が気付かない間に帰ってきてるかもしれないので、姉ちゃんの部屋、見てきます」
『ありがとう、龍河君……』
秋葉は今頃、あいなとの待ち合わせを心待ちにしながら、駅前でひとり佇んでいるのだろう。電話の向こうの心細げな声から、龍河はそんな想像をし、秋葉を気の毒に思った。




