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 誰もいない静かな部屋で、あいなはじっと考えた。


(たしかに、私、結婚したかった。お父さんとお母さんみたいに、仲のいい夫婦に憧れて……。)


 昔から、夢は『お嫁さん』一本だった。ゆえに、卒業後は大学進学も就職もせず、フリーターになると決めたのだ。そうすれば、勉強や仕事に時間をくことなく恋愛に没頭できる。


(きっといつか、私にも理想の彼氏ができる!そう信じてフリーターを目指した。だって、結婚するためには、デートもたくさんして愛を深めたいもん!そうやって地道に『お嫁さん』になる夢を叶えるの!)


 今、まさしく彼女の夢が叶おうとしている。


(でも、その相手は、私が大好きになった人じゃなきゃ、意味なーい!!なんであんな胡散臭うさんくさい異国人に旦那面されなきゃいけないの!?)


 再びよみがえる屈辱的な気持ち。


(そりゃあ私はこんな平凡でモテない女ですよ。秋葉みたいに女子力高くないですよ。でもさ、でもさ、そんな女にだって、好きな人との結婚を夢見る自由があったっていいですよね!?チャンスを下さいよっ!神様、いるのなら、私の願いを聞いて下さい!もう一回、誰かに恋をするチャンスが、ほしいんです。)


 困った時の神頼み。何を願ったらいいのか分からない。こんな状況に置かれ、あいなはひどく混乱していた。


 ここから逃げたい。でも、相手は人間離れした能力を持っているので、難しいだろう。魔法なんて見たこともないけれど、こうしてここに居る以上、あいなは魔法の存在を信じざるをえなかった。

 丸腰の自分が簡単に逃げられるほど、この部屋の監視も甘くないだろう。あいながこうして必死に考えているこの瞬間もきっと、ルイスやら他の誰かがあいなの動向に目を見張っているに違いない。


(ルイスさんはシャルの専属執事って言ってた。あの人はシャルの命令なら何だって聞く人だ。魔法を使って眠らせてまで、ルイスさんは私をここに連れてきたんだもん。シャルよりは大人な感じがしたけど、私の味方にはなってくれそうにない。シャルだって、私には拒否権なんてナイって言い切った……。

 だったら、この状況を抜け出す方法はひとつしかない!)


「嫌われればいいんだ!ルイスさんにも、シャルにも!」


 シャルが次期国王だと言っていたのを、あいなは改めて思い出す。


(王子。ってことは、ここはお城か何かの一室……?んー……。やっぱり、簡単には逃げられないなぁ。

 となれば、とりあえず、結婚式とかそういうのは参加するだけして、結婚生活が始まったら皆が嫌がるようなことをすれば……。)


「どうやって嫌われよう?」


(王子なんだから、きっとお金持ちだよね。シャルの所持金やお城のお金を使い込む?城中にある高価なものを壊してまわる?シャルはびくともしないだろうけど、ルイスさんなら怒るかも!『あんな女性をシャル様の妃にお迎えするわけにはいきません!』とかって言ってさ!)


 想像しただけで笑いが込み上げてきた。


(ルイスさんみたいに冷静な人が取り乱すシーンって、けっこうツボなんだよね。

 ためしに、この部屋の物を片っ端から壊してみよっかな。ただ壊すだけじゃ私の意思が伝わらなさそうだから、そこのつぼとかテーブルを窓から落とす方が、インパクトあっていいかも!)


 さっそく、勢いに任せ、高価そうな壺を両手で抱えた。


「重っ!」


(これじゃあとても、窓まで運べないや。)


 元にあった場所に壺を戻すと同時に、あいなは自分の胸が痛むのを感じた。壺に対し、どうしようもなく罪悪感が湧いてくる。


「自分の勝手な思いでバカなことしようとして、本当にごめんなさい……。この壺も、きっと、職人さんが心を込めて作った大切な品物なんだよね……。私の苛立ちをぶつけられるために生まれてきたわけじゃないんだよね」


「いや、割りたいなら割っていいぞ。それでお前の気が済むならな」


「は!?」 


 いつの間か、あいなの背後にはシャルが立っていた。首を振ることでブロンドの髪を払い、シャルは『なぜ割らない?』と言いたげに不思議そうな顔をしている。あいなは顔を真っ赤にし、


「ちょ!入ってくるなら、ノックくらいして下さいよ!」


「したが、反応がなかったのでな。

 その壺、それなりに高価な物だが、大量生産品だ。それでお前の気が済むなら、好きなだけ割るといい。後はルイスに片付けさせる」


「そんなことできませんよ!いくら大量生産品とはいえ、そんなもったいないことしたらばちが当たります!」


「面白い女だな」


 シャルは、鼻で笑った。あいなはそれにムッとする。


「物を無意味に壊したらもったいない……。シャルみたいなお金持ちの人には分からない感性かもしれませんね!」


「ああ、分からないな。だが、お前がそれを割ろうとした理由ならわかるぞ」


「どうだか。適当に余裕ぶっこいた発言してるだけでしょ」


 ぷい、と、あいなはそっぽを向く。


(こんな男と何を話したって、無駄だ。)


 シャルは意地悪な笑みを浮かべ、言った。


「余裕ぶっこいてんじゃない、余裕があるんだよ。俺を誰だと思ってる。お前の婚約者、いや、結婚相手だぞ」


「私は認めてませんけど。お金持ちのイケメン王子だから調子に乗ってるんですか?言っておきますけど、私、そういうステータスには一切興味ありません。中身のない、シャルみたいな男、合いませんから。即離婚になると思いますよ」


 自分の意見を主張するにしても、さすがに言い過ぎただろうか?あいなが心の片隅でそんな風に思ってしまったのは、強気だったシャルの目が、一瞬戸惑いを見せたからだ。王子という立場上、周囲の人々からこうして強く反発されたことなどないのだろう。


(やば……。さすがに言い方キツかったかな……。)


 だが、あいなの心配は杞憂きゆうに終わった。

 シャルは肩を震わせ、声を出さずに笑っている。大笑いしたいのをこらえているのだろう。


「即離婚、ね。覚えておいてやろう。本当にそうなる日が来ると、お前はいつまで信じていられるのだろうな」


「ちょっと!私の話、聞いてた!?」


 完全にタメ口になってしまうくらい、あいなは呆れた。呆れずにはいられなかった。そんなもの気にせず、シャルは飄々(ひょうひょう)と、


「ああ。聞いていた。男のステータスに興味なし。俺にも好意がない、と。このままでは、結婚生活も冷えきったものになるだろうな」


「わかってるんだったらっ!」


「そういう女をオトすのは初めてでな。今からワクワクしてるんだ」


「は!?」


「俺は各国の姫にモテる。これ以上結婚相手にふさわしい条件を備えた男、いないからな」


「それ、自分で言っちゃうんですか……」


 あいなかはガックリ肩を落とす。まともに聞いている気にもなれなかった。


「俺は一般人にも言い寄られる。年上からもな。だから、楽しみなんだよ。俺に興味を持たない、いや、嫌悪感を持つ女をオトす瞬間がな。せいぜい覚悟しておけ」


「覚悟って何のですかっ!!」


 考えたくないと思いつつ、あいなの頭にはメディアや友人から得たあらぬ情報が高速で駆け巡っていた。


(覚悟って!覚悟って!?ひぇ~~~!!!)


「耳まで真っ赤だな」


「きゃっ!!」


 耳元に、シャルの唇が近づいた。


「初夜は優しくしてやるよ」


「しょっ!?やっ、ちょ!!絶対嫌、あんたなんかに私の体は許さないんだから!」


 大声で必死に抵抗するあいなに、シャルは大笑いした。


「あはははは!冗談だよ、冗談。いくら俺でも、嫌がる女を無理矢理抱く趣味はない」


「怪しい……」


 あいなは涙目でシャルをにらみつける。シャルはサラッと、


「嫌がらなくさせてやるよ、時間をかけて、な」


 言いたいことを言い、自信家王子は部屋を出ていった。


「~~~!!」


(王子だから、そういうことはもっと紳士的に振る舞うかと思ったのに!恥ずかしげもなく、よくもあんなことをっ!)


 あいなは、悔しさ半分恥ずかしさ半分の目で、シャルの閉めた扉をにらんだ。


(結婚しても、シャルには指一本触れさせないんだから!)



 いつか、大好きになった人と幸せな恋をするため、あいなは、この強引な結婚話を白紙にすることを目指した。


(どうやったら嫌われるかなんて分からない。あのシャルが相手だし……。

 もういいや!後のことは後で考えよう!

 とにかく今は、シャルから逃げるための準備期間ということで……。まあ、何とかなるよ、きっと。)


 具体的な結婚生活が想像できないだけに、こういう時に楽観的な性格が出てしまうあいなだった。



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