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剣に生きる者

 ここに、とある一つのポッキーの箱がある。


 無人のセミナー室の真ん中、荒海幸江アラミ サチエは座っていた。

 日常的に刃のオーラを放射している彼女だが、その彼女がポッキーの箱を目の前に、笑みが顔に上るのを自分に許していた。


 自分に許したご褒美だ。


 自分を甘やかさないのは、規律ある人生を歩む上で肝要ではある。だが、やりすぎてしまっては、自分は堅くなり過ぎてしまう。

 堅い枯れ木や石材は脆い。一定以上の負荷がかかると、ぽっきり折れてしまう。彼女は単なる堅さ以上の強さを目指していた。


 そういった点で、自分へのご褒美には、自分を強くする意味もある。

 それに、糖分には効能があった。荒海はストレスを溜めていた。

 少々のストレスは人生のスパイスであるし、荒海も少々のことでは、びくともしない。

 だが、この学校生活というのはよくなかった。

 合わないのだ。この小さくまとまった、団体生活というのが。小学一年生の時から合わなかったし、今も合っていない。

 羊の群に、羊の皮をかぶって混じるのには、なかなかストレスが溜まった。

 ストレスを溜めすぎて、爆発が起きてはまずい。不必要な流血は、なるべく避けたかった。


 そんな中、糖分を摂ると驚くほど、苛立ちや、猛り狂う血の衝動を静めることができると気付いた。

 だとすれば、摂らない理由もない。甘い物は、複数の機能を兼ね備えた間食だった。

 厳密な審査を経た結果、荒海が数多くの候補から選んだのがポッキーだった。


 紙箱を真横に裂いて、その内容物を厳かな手つきで抜き取った。

 箱から出すだけで、空気が凛と震える。


 完璧な直線であるポッキー。美しい。

 荒海は直線が好きだった。直線は物を二分する。善と悪に。陽と陰に。曲がった物のように、妥協もなければ、甘えもない。この世はすべからく直線化するべきなのだ。

 もう一本ポッキーを取る。手が二つあるという理由でだ。


 ただ食べるだけではつまらない。

 せっかく食べるのだから、食べながら何かをモノにしたい。

 全ての行動は、自己の向上に繋げるべし。彼女は常々そう思い、それを実践してきた。


 ポッキーは、その形状から剣を連想した。

 そう連想してから、食べる際には絶え間なく剣の修行をすることに決めていた。

 最近は、突剣を模したポッキーでのフェンシングの練習に忙しい。


「ラッサンブレ・サルーレ!」


 目の前の机を演台に見立て、右手と左手が向かい合う。


「アンガルド!」


 両手のポッキーがそれぞれの剣先を相手に向けた。


「アレ!」


 右手と左手のポッキーが、かすみとなって振るわれ、互いを刺し貫こうとしている。

 今日までの戦績は、左手が451勝、右手が418勝。

 元々、荒海は左利きだったので左手が優勢だったが、ここ最近、右手を重点的に鍛えたおかげで、右手が急激に白星を伸ばしつつある。

 現在、どちらが強いか、一概に判別するのは難しい。

 左手は速さと力で押す剛の剣であるのに対し、右手はフェイントやパリーで敵手を惑わす柔の剣だ。


 その時、左手の大胆なフレッシュを、右手が避けきれず、一本取られた。

 左手452勝。

 敗者の方を荒海は口に入れる。そして、新たな挑戦者を箱から摘んだ。


「アンガルド!」


 今のは、大した攻めだったが、同じ動きが二度、右手に通じるとは思えない。

 左手の方が僅かに瞬発力で勝っているが、右手はディフェンスの巧みさで戦局を伯仲させている。

 右手は予備動作なしのボンナリエールで、左手の突進で裁ききれるに違いない。

 実際、次の試合で、右手は左手の攻撃を誘い、それを空振りさせたところでカウンターを放った。

 右手419勝。

 荒海は敗者をかじった。


「アンガルド!」


 今日は両手ともに、よく動いて、剣先もよく見えている。荒海は深い満足感を覚える。目を輝かせ、戦いに没頭する。

 試合は進み、箱の中のポッキーは減っていく。だが、飽きは来ていなかった。

 毎日やっているので、着実に腕は上がり、繰り出される技は、早く、美しく、芸術的になっていく。

 だが、まだ完成とはほど遠い。荒海は更に強くなれる。そのための余地は、探せばいくらでもあった。




 ふいに、外部からの視線に気付いた。ばっ、と顔を上げる。

 セミナー室の入り口で、同級生の男子生徒、塩野が目を丸くして立っていた。

 いつの間に? 私に気付かれずにセミナー室に入ってきた?

 いや、違う。目の前の試合に集中しすぎるあまり、周囲への警戒が疎かになってしまった。こんな失敗は初めてだった。

 なぜ同級生が来るのだ。あろうことか。よりにもよって。今。ここに。至福の空間に。私の縄張りに。


 いや、何よりもーーポッキーでの試合を見られた。


 荒海の顔が真っ赤に染まる。

 口をぱくぱくと動かすものの、肝心の声が出ない。狼狽と羞恥のあまり、うまく言葉がまとまらなかった。

 手にしていた二本のポッキーが、まだ剣を交えたままでいることに気付いて、急いで二本とも口の中に入れた。

 ええと、今のはどっちの勝ちだったのだろう。

 塩野も、予想していなかった光景に立ち尽くしていた。だが、やがて彼は言葉を絞り出した。


「……ええと、ポッキーでチャンバラ?」

「フェンシングよ!」


 荒海は噛みつくように答えた。


「……そうなんだ」


 どういう態度をとるべきか迷っている前で、荒海の中で開き直りの心が芽生える。

 荒海はポッキーを構えて、宣言した。


「私はプロよ。ポッキー、一本で敵を倒す」


 強さを見せる必要があった。彼に。そして、何よりも自分に。

 自分の強さを認知して、どうにか動揺を押さえ込もうとする。どうにか平常心を取り戻そうと、そして胸の中で跳ねている心臓を静めるように念じる。

 これほどうろたえるのは、生まれて初めてかも知れない。

 塩野は、どう反応するのか、少なからず悩んだ様子だったが、やがて心を決めたようだ。


「荒海は本当に、痛い子だなあ、ははは!」


 塩野は嘲けりを浮かべて笑った。

 最も荒海の神経に障る類の言葉だった。


 挑発。

 それも、命がけでこちらを愚弄としようという、本当の挑発ではなく、口先から出した妥協された挑発。

 強さもなく、自分で選択することもなく、牧羊のように生きている一般の学生の嘲笑。

 唾棄すべき態度だった。


 荒海は、ゆっくりと立ち上がる。

 心が冷たくなった。自分で驚くほど、あっさりと落ち着きを取り戻した。

 赤くなっていた荒海の顔が、みるみると平常色へと退色していく。あれだけ上がっていた心拍数が低下していく。

 理性が感情を完全に律していた。

 ポッキーを構える。右手で軽くポッキーの柄をグリップし、左手は脱力してだらりと垂れ下がっている。


 自分は本気でやっている。

 このような侮辱を受けるいわれはない。

 そして、怒りを表すことを我慢するいわれもなかった。


「私が痛い子? 違うな……」


 荒海は、噛みしめるように、ゆっくりと言葉を吐いた。

 こいつは敵だ。確信した。牧羊だからと、手を抜く必要はない。

 心の中のターゲット・カーソルが煌々と瞬いた。


「痛みを味わうのはおまえだ」


 筋肉が極限までリラックスしたまま、張力を維持している。

 目が半眼になって、一切の色が消えた。

 ゆらりと、ポッキーの先端が男に向けられる。次の瞬間、男の薄ら笑いが凍り付いた。

 命を危機に晒したこともない牧羊でありながら、抜き身の刃が己に向けられたことは分かったらしい。

 ここに至ってようやく、目の前にいるのが、プロだと気づいたのだ。


「剣に生きる者は……」

「ひいいい!」


 塩野は脱兎のように、逃げ出した。


 遅い。余りに遅い。

 荒海の体が、残像を残して疾風と化した。全体重がポッキーの先端に集約される。それは純然たる破壊エネルギーに変換される。


「筆を選ばず!」


 一閃。

 空気の壁を突き破って、剣先が突き込まれた。

 塩野の体が、暴走するトラックに衝突されたかのように、宙を舞う。

 セミナー室の机の上に叩きつけられ、なおも勢いを殺せず、男の体は壁際のホワイトボードにめり込んだ。

 とんでもない衝撃と轟音が建物を揺さぶった。




 荒海は、めちゃめちゃになったセミナー室の惨状と、壁に空いた大穴を見ながらポッキーをかじった。

 顔に笑みが上がる。

 勝利の笑みだった。

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