ジンクス
「ジンクスですか?」
聞き返すと、朔太郎は楽しそうに笑った。
「そうなのよー!これをやったら恋が成就するとかそういうの!」
「あぁ…。」
消しゴムに好きな人の名前を書いて使い切ったら恋が叶うとか、寝るときに枕の下に好きな人の写真を入れるとその人の夢が見れるとかそういう類のか。
雪春は信じていないのでしたことはないが、学生時代にクラスの女子が話しているのは聞いたことがある。
「うちの学校にもあるのよー。特に文化祭!キャンプファイヤーに点火するとき、好きな人の体に触れていたら恋が叶うらしいわよ!」
ロマンチックよねー、とうっとりとして言った。
しかし雪春はジンクスの内容よりも、朔太郎が想像している相手はやはり男なのかどうかの方が気にかかった。決して聞けないが。
すると龍之介が馬鹿にするように笑った。
「ハッ!バッカじゃねーの。いくらそんなのやったって相手がお前じゃあ叶うもんも叶わねーよ。」
「なによー。余計なお世話でしょー。」
朔太郎は頬を膨らませて答える。
雪春が顧問を始めてから一週間以上経ったが、その間でもこういう場面が何回もあった。とにかく龍之介が突っかかるのだ。他の上級生には運動部特有の敬語で話すのに、朔太郎に対してだけそれがない。朔太郎のような人種が生理的に受け付けないのだろうか。
しかしそういう場合無視するのが一番多い反応なのだが、喧嘩腰なことを考えなければ比較的話している方だと思う。
「くだんね。俺はもう帰る。会長!先に上がらせてもらうッス!」
龍之介は鞄を持って立ち上がると、夏目に一声かけて生徒会室をあとにした。
文化祭まであと二日となり、作業もいよいよ大詰めとなってきた。各クラスや部活が準備に追われて帰宅時間が遅くなっていたが、生徒会も例外ではない。それどころか文化祭準備以外の仕事も普通に入ってくるので、更に遅くなっていた。今日も部屋にこもって作業を続けているうちに、気づけば既に20時近くになっていた。今日は賢仁や亮太は先に帰っていたので、部屋には夏目と朔太郎と雪春の三人だけだ。しかし朔太郎も時計を確認すると、慌てたように帰り支度を始めた。
「いっけない!私ももう帰らなくちゃ!ユキちゃん先生はまだ帰らないの?」
雪春は今日中にやっておきたいことがまだ少し残っていた。夏目がまだ残っているつもりなら、いても構わないだろう。鞄に文房具類をつめる朔太郎に顔だけ向けた。
「私はもう少しいます。気をつけて帰ってくださいね。」
「はいはーい!じゃあまた明日ねー!綜ちゃんも!」
「ああ」
バタバタと去っていく音が消えると、生徒会室に再び沈黙が訪れる。しばらくは時計の針とシャープペンシルを走らせる音だけが続いた。
生徒会の顧問になって意外だったのは、夏目の仕事ぶりだ。もっと傍若無人にふるまうのかと思っていたが、仕事に対しては真摯だった。色んな評判が飛び交いつつも支持率が高いところをみると、やはり有能な生徒会長なのだろう。初めは顧問になることに、と言うよりも夏目と共にいることにある種の緊張を持っていた雪春も、この数日で大分薄れてきていた。
簡単に言えば、油断していたのだ。
「そういえば、今日は彼を見かけませんね。」
突然夏目が言った。
彼とは幸太郎のことだろう。いつもそばにいるのが見えなくて、気にかかっていたのだろうか。
「最近は文化祭の準備を見て回るのが楽しいようで、いろんなところに顔を出しているみたいですよ。」
そして今日は、準備で帰宅が遅くなる一花を心配してそのままついて行った。
夏目は頬杖をついて面白そうに笑う。
「目を離したすきに女子更衣室とか女子トイレとか覗いてないか心配にならないんですか?」
「・・・そんなことしませんよ。」
幸太郎は女心がわからない無神経なところはあるが、そういう行為はしたことがない。女性に対してのマナーはきちんとわきまえている。同じ家にいても風呂場や着替えを覗かれたことはなかった。
(そういう気がおきないだけかもしれないですけど。)
はじめは男と間違えられていたことを考えると、全くないとも言えない。
否定できない自分が虚しくなってバラついた書類を少し荒く整えると、夏目がポツリと言った。
「随分気を許しているんですね。」
幸太郎と出会って二ヶ月。それまで会ったこともなかった人物と一日中行動を共にするようになるには、少し短すぎる期間だ。指摘されて初めて、そのことに何の違和感も抱いていないことに気づかされた。体を貸した経験も要因の一つと考えられるが、そもそも彼の性格が相手の警戒心を薄れさせるのだろう。幸太郎の無自覚プレイボーイの名は伊達じゃない。
何だか自分の弱みを晒されたようで気恥ずかしくなり、この話を終わらせようと顔を上げた。
そして口元を引きつらせた。
「・・・なんですかこの体制は。」
「見てわかりませんか?」
デジャヴだ。
いつぞやのように、机の脇に後ろから手をついて覆いかぶさるように立っている。ただでさえ小柄な雪春が椅子に座っているので、どうにも身動きが取れない。
雪春は内心ため息をついた。
事件以来、夏目と極力二人きりにならないようにしていたのはこういう理由からだ。彼がなぜか妙なスキンシップをとりたがるのだ。生徒会の仕事中は全くなかったので安心していたのはどうやら早計だったらしい。
しかし初めは毎回混乱していた雪春も、しだいにあしらい方を覚えた。コツは、とにかく冷静にさらりとかわすことである。
そんな雪春の心情を知ってか知らずか、夏目は楽しそうに顔を近づけて言った。
「先生、今二人きりですね。」
「廊下には生徒も歩いてます。」
「もうほとんど帰ってますよ。それにこの部屋には二人だけです。」
耳元で吐息を感じて、思わずぞわりとした。
なんなんだこの少年は。もしかしてケルビーノの化身なのか?
誰にでも色目をつかう恋多き美少年。
つれない奥様の愚痴を言いに来たにも関わらず、スザンナの顔を見たとたん口説き出すという惚れっぽさ。そして次の瞬間には奥様のリボンの匂いを嗅いで情熱的な歌を歌う。
―Non so piu sosa son, cosa faccio・・・・・・いやいや、これではいつもと同じだ。オペラが脳内に流れ出すのは焦っている証拠である。 冷静に冷静に。
動揺する心を無理やり抑えて、夏目の目を睨みつけた。
「・・・君もいい加減懲りないですね。教師をからかって楽しいんですか?」
すると夏目も雪春の目をじっと見つめて言った。
「楽しいのは認めますが、からかっているわけではありません。」
楽しんでいるのは違いないのか。
思わず半眼になる。
「こういう事がしたいのなら同年代の子にしてあげてください。もちろん行き過ぎた行為はいけないですけど、多少のことなら青春だと思って目をつむります。」
「興味ありません。」
ばっさりと切られる。
柔らかい表情の割に硬い声だった。
「君でしたら引く手あまたでしょう。たしかに性格はちょっと変わ・・・特殊かもしれませんが、君たちの年代ならその方が――・・・」
「先生。」
唐突に言葉を切られ、力強く手を抑えられた。
「好きです。」
①「ケルビーノ」・・・モーツァルトのオペラ「フィガロ」に出てくる小姓です。少年役ですが、メゾソプラノの女性が演じます。いわゆる「ズボン役」という、オペラにおいて男装する女性歌手の役柄です。二幕のアリアは「自分で自分がわからない」です。女を見るとドキドキしてもうどうしたらいいかわからない!という思春期の少年の多感な感情を歌ったものです。