赤い司祭の135番目の瞳
「え?夏目?」
幸太郎が困惑している。夏目は特に否定もせず、にっこりと微笑んだ。
「いつからそう思っていたんですか?」
「正直に言うと、初めからです。」
その言葉に、夏目は少し意外そうな顔をした。
「むしろ、初めは夏目くんが一人でしているのかと思っていました。でも写真部の件で、協力者の存在を知りました。」
写真部の部室には人が多かった。あの中でバレずに暗室に入り込むのは結構至難の業だ。しかし夏目が訪れて注意を引きつけている間なら、可能性はぐっとあがる。おそらく二問目の後に生徒会室にいる夏目へかかってきた電話は、拓哉からだったのだろう。
それにどの場所も、ゲームが始まる前に見つかってしまう可能性があるところばかりだった。美術室の掃除ロッカー然り、写真部の暗室然り。となると、前の問題が終わってから隠しに行っているとしか考えられない。それは生徒会室にこもっている夏目には不可能なことだ。
「おそらく三橋くんのことをたまたま知った夏目くんが、彼に提案したのでしょう。」
この方法なら二日間の間に濡れてしまった物も乾かすことができるし、あわよくば園芸部のイメージアップと清水の問題も解決できるかもしれないと。
そして自分が見つけたかのように道具と暗号カードを持って職員会議に乱入し、教師たちの不安を煽ってゲームを開催させたのだ。
わざわざ暗号を放送で発表せずにその場へ確認しに行かせたのも、参加者全員に隠し場所に訪れて欲しかったからだ。結果、来賓として強制参加させられた清水教授も、息子の功績を見ることができた。
そこで幸太郎は思い出したように首をかしげた。
「じゃあ、最後の音楽室は?あそこは園芸部と関係ないだろう?」
「それは・・・。」
静かにこちらを見つめる夏目に目をやる。
「荻野くんたちを仲直りさせたかったんですよね。」
本来なら園芸部の功績はもう一つある。この正門の花壇だ。しかし一日目に朔太郎と龍之介が喧嘩してしまったために、急遽差し替えたのだろう。暗号が難しかったのも、朔太郎のパートナーである雪春にしかわからないようにするためだったに違いない。朔太郎が曲を思い出せずにいたことを、幼馴染の夏目が知らないわけがない。
結局は最初から最後まで、夏目の手の上で踊らされていたという訳だ。
そこまで言い終えると、幸太郎は納得したように息を吐いてから、はたと止まった。
「でも、なんではじめから夏目だってわかってたんだ?」
「初めから名乗っていたからです。」
「え?」
「カードに書いていたでしょう?“赤い司祭の135番目の瞳”って」
「いや、それはそうだけど・・・。」
頭にクエスチョンマークを浮かべる幸太郎に小さく笑う。無理もない。音楽をやっている雪春だって、すぐにはわからなかったのだから。
「赤い司祭というのは、かつてアントニオ・ヴィヴァルディという作曲家が親しみを込めて呼ばれたあだ名です。最後の問題の“赤い司祭もいるところ”というのも、彼の曲のCDが置いてある音楽室ということです。」
実際、オルゴールはCDラックに置いてあった。
そしてヴィヴァルディの作品は普通RV番号で整理されている。そのRV135の曲は、ヴィヴァルディの有名なヴァイオリン協奏曲「四季」の第二番「夏」。
「夏」の「瞳」―――「夏目」。
「ダジャレか!」
幸太郎がつっこんだ。
まあ気持ちもわからなくはない。雪春も気がついた時は思わず脱力した。
「それでも、誰かが僕をはめようとして考えたことかもしれない。」
夏目はそこで初めて反論した。
「僕を信じようとは、思わなかったんですか?」
“信じることは怖いか”そう問いたいつかの夏目の表情が重なる。しかし、今はそれほど怖くなかった。
だってそうだろう。学園や友達のために一人で暗躍していたこの少年の、一体どこを怖がれというのだ。
「もちろん、信じていました。」
夏目が不可解そうな顔をする。ではどうして?そう物語っていた。
雪春は少し意趣返しのつもりで、いたずらを思いついたティル・オイレンシュピーゲルのように言った。
「あんな大掛かりなことをした泥棒を、夏目くんが放っておくはずがないと。」
この時、雪春はとても稀なものを見た。
あの天上天下唯我独尊を地で行く、無敵の生徒会長の―――きょとんとした顔だった。
「まあ確かに一花の時も、“この学園で僕の知らない情報はない”とか言ってたもんな。」
「そうです。盗撮犯だってすぐに見つけましたし。」
納得したように頷く幸太郎に、雪春はここぞとばかりに強く同意する。
あの夏目が、犯人探しを全校生徒や一般客に任せて見物しているわけがない。最初に感じた違和感はそこだった。一番初めの暗号をあんなに簡単に解いてしまう彼が、どうして自分で探そうとしないのか。だから犯人の名前の暗号を解いた時、驚きよりも納得してしまった。ああやっぱり、彼が関わっていないわけないのだと。
途端、夏目は小さく吹き出して肩を震わせて笑った。驚いて振り向くと、彼の目尻には薄らと涙まで浮かんでいた。
「本当に、先生には敵いませんね。」
目を拭いながら少し困ったように微笑む。これもまた夏目には珍しい表情だった。
「そうです、全部先生がおっしゃった通りですよ。」
「ということは・・・。」
「伝統の園芸部が理不尽なことで非難されることにも辟易してましたし、優秀な清水先生に学校を去られるのも我が校には痛手です。朔太郎と龍之介の喧嘩もあれ以上続いたら、さすがに賢仁の胃が心配になりますから。」
一番のストレスの原因が何を言う、と喉元まで出かかった。
「朔太郎のオルゴール曲も先生ならきっとわかると信じていましたので、ついでに全部片付けてしまおうと思ったんです。」
それであのゲームを思いついたというのか。
“やり方はめちゃくちゃだけど、間違ったことはしないから”
綾倉の言葉を今更ながらに実感した。
なんというか、本当にとんでもない生徒会長だ。
「あの暗号をカードに載せたのは、先生にだけは知って欲しかったんです。」
夏目は目を伏せて少し寂しそうに笑った。
「生徒会長であることに誇りは持っていますが、たまに息苦しくなるんです。全校生徒を背負っていかなければならない重責を、せめて先生にだけは・・・。」
「夏目くん・・・。」
雪春は思わず呟く。
西日を背に受けて伸びた影が黒々と滲んでいるように見えて、ため息を一つついた。
「今のは嘘でしょう。」
「あ、やっぱりわかります?」
夏目が生徒会長の役目を重荷に思っているなんて有り得ない。むしろ水を得た魚のようだ。
同情作戦でもダメですか、と夏目は笑った。作戦ってなんだ。
「でも、知って欲しかったのは本当です。」
僕のことを。そう言う夏目の顔は、天上天下唯我独尊な生徒会長ではなく、一人の17歳の少年のようだった。
①「ティル・オイレンシュピーゲル」・・・リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」より。14世紀の北ドイツの奇人ティル・オイレンシュピーゲルの冒険譚を題材に作られたそうです。
次話最終回です。続けて更新します。