美咲の懸念
「ユキー!こっちこっち!」
13時が近づき、一花のファッションショーを見るために「ふたばホール」の中に入ると、客席から美咲が手を振っていた。
「悪い、席取ってくれたんだな」
「運良く空いてただけよ。」
舞台がよく見える真ん中の席に座る。それなりに混んできているにも関わらずこんなにいい席が取れたということは、やはり前から取っておいてくれていたのだろう。押し売りしない美咲の態度に好感を持った。
久しぶりに会うというのに、幸太郎が何度言っても雪春は代わろうとしなかった。それどころか、美咲の名前を言ってから声も発さない様子に、流石に幸太郎も心配になってくる。
“三島先生の存在が希薄だ。何かあったのか。”
夏目の言葉が脳裏に蘇る。幸太郎は雪春の小さな手を見つめた。
「三島先生。」
思わずびくりとして振り返ると、夏目と賢仁が立っていた。
「お前たちも見に来たのか。」
「朔太郎が出ますから。」
随分幼馴染思いのようだ。おそらくこの時間を取るために今まで生徒会室にこもっていたのだろう。
すると横から美咲に袖を掴まれた。
「やたら顔面偏差値が高い子たちね。誰?」
「あ、生徒会長の夏目と副会長の宮下だ。」
二人もそこで美咲の存在に気がついたようだ。軽く会釈を交わした。
「こっちは種村美咲さん、お・・・私の友人だ。」
「いつもユキがお世話になっています。」
美咲は少しわざとらしく挨拶をする。賢仁は眉間のシワを少しだけ緩めて眼鏡を片手で直した。
「そうなんですか。こちらこそ、特に夏目がお世話になっています。」
「それはどういう意味だ?賢仁。」
「そのまんまだ。」
二人はそのまま幸太郎たちの後ろの席に座った。
「で、どうしてそんな口調なの?何か心境の変化?」
前に向き直った美咲が身を乗り出してきた。
「あー・・・気分だ。すぐに戻る。」
「ふうん?」
なんだか釈然としないようだったが、それ以上は尋ねてこなかった。
ショーの開始も近づいてきたので、席はほぼ埋まっていた。伝統行事というだけあって年配の人間もちらほら見える。卒業生にも案内状を出すのでOBである可能性も高い。
幸太郎は手元のプログラムを開いた。今年の特別講師の欄を探す。“二葉大学農学部生物生命科学科園芸学教室教授・清水達彦”と書かれていた。
(今年は大学の教授か・・・)
しかしまたファッションとはかけ離れた所から連れてきたものだ。だからと行って議会議員ならいいのかと言われれば、そういうわけでもないのだが。
「・・・学校はどう?楽しい?」
ポツリと言われて反応が遅れたが、隣の美咲がこちらを見ているのに気づいた。
「ああ、楽しいぞ。」
「そ、ならいいのよ。」
再び前を向く。その横顔に安堵の色が伺えて、幸太郎は眉をひそめた。
「・・・心配してくれていたのか?」
その言葉に美咲は苦笑した。快活そうな彼女には少し似合わない表情だった。
「あんたって、結構面倒くさい性格してるから、ちょっとね。」
「面倒くさい?」
「普段は人と関わろうとしないくせに、一度関わると献身的というか健気というか・・・。自分が誤解されたり嫌われても構わずにいるところがあるでしょう?」
たしかに五月の事件の時も、一花に犯人だと誤解されても黙っていたし、何かあったら免職になってしまうような状況でも、一花の心情を思って何も言わなかった。あの時は幸太郎も一花のことでいっぱいいっぱいだったので気づかなかったが、今思い返してみると少し異質かもしれない。
「私はたまに、あんたの一途さが怖い。」
きっと美咲が心の内にずっと溜めていた言葉なのだろう。それは絶対的な重さを持って幸太郎の奥にすとんと落ちてきた。
“一途”。時折雪春に感じる危うさはそこかもしれない。自分を省みることなく盲目に突き進む雪春は、まるで目の前の光だけを頼りに歩き続ける迷子のようだった。その先に何かあると信じてただひたすら、足元にある落とし穴には気づくこともなく。
「ねぇ、あの人とはもう会ってないんだよね?」
「あの人?」
「あんたと一緒に住んでた俊介さん。」
以前に雪春が言っていた、親代わりみたいな人のことだろうか。あの時の雪春は少し様子が変だったので深く追求しなかったが、心のどこかにずっとひっかかっていた。
「・・・会ってない、ぞ?」
とりあえず当たり障りのないことを告げておく。美咲は逡巡する自分ごまかすように、前を見据えたまま言った。
「こう言っちゃなんだけど、あの人とはもう会わない方がいいよ。」
「え?」
「だってあの人ってなんだか―――・・・」
その時会場内に拍手が響き渡り、美咲の言葉がかき消された。壇上にスーツをきた壮年の男性が現れる。ショーの開始時間になってしまったようだ。
「あ、始まるわね。」
美咲は同様に拍手をした。
結局、先ほどの続きを言われることはなかった。