朔太郎と龍之介
開催式が終わって文化祭が始まると、一般客も入り学園内は一気に湧き上がった。至るところから客を呼び込む声が聞こえてくる。そして普段はあまり人気のない生徒会室の前も、今日は例外だった。
「結構参加してくれてるっスね。」
エントリー用紙をまとめながら龍之介が言った。たしかに、始まってしばらくしないうちに生徒や一般客が絶え間なく現れたことをみると、宣伝はうまくいったようだ。開会式に参加できない一般客には、文化祭のプログラムにチラシを挟んでおいた。一般客の賞品は模擬店の金券だ。流石に部外者に半年間も学内に入り浸らせる訳にはいかないからだろう。
昨日は文化祭前日で一日準備日だったので、綾倉と松枝にも手伝ってもらい何とか準備を終えることができたが、さすがに夏目を覗く全員に疲れがみえた。
「全く・・・急に何を言い出すかと思ったら先生方を巻き込んでこんなゲームをするなんて、無茶にも程がある。」
「まぁまぁいいじゃない賢ちゃん。みんな楽しそうにしているんだし。」
眼鏡を抑えながらため息をつく賢仁を朔太郎が宥める。しかし無茶を言うのはいつものことだからか、賢仁は文句を言いつつも夏目の言い出すことに特に反対はしていなかった。生徒会メンバーも盗難事件の話には目を丸くしたものの、夏目の提案自体にはそこまで驚いていなかった。きっと耐性がついたのだろう。
人の流れがひと段落したころ、夏目が一年生組に声をかけた。
「龍之介と亮太も参加してこい。ここは僕たちで大丈夫だ。」
「え?いいんスか?」
「昨日はハードだったからな。見学も兼ねて行ってくるといい。」
「あざッス!じゃあ亮太、エントリーしようぜ!」
龍之介が声をかけると、ノートパソコンに手を置きながら船をこいでいた亮太がはっと顔を上げて頷いた。パソコンが得意なため、チラシやエントリーシートの作成を一手に引き受けた亮太は一番疲れていたのだろう。
「朔太郎もせっかくだから参加してこい。参加者は多い方がいい。」
「んー・・・私は明日のファッションショーもあるし、別にいいわぁ。ほらこれ見て!完成品よ!」
そう言って夏目に応えた朔太郎は、先程から手に抱えていた服を広げた。花柄のレースとシフォンのスカートをウエストの位置で切り替えたクラシカルな雰囲気のワンピースだった。この手の服は22年の人生の中で一度も来たことがない雪春も、素直にかわいいと思える。
「すごいですね。一人で作ったんですか?」
「そーなのー!明日のミスコンの最終審査でこれを来てもらうの!ミスコンとファッションを同時に審査してもらうのよー。」
ということは一花が着るかもしれないということか。それは楽しみかもしれない。
「一花は何着ても似合うからな!」
一人で納得する幸太郎に苦笑するが、雪春も内心そう思っていたので口には出さなかった。
「というわけで私の分も頑張ってねー龍ちゃん、亮ちゃん!」
朔太郎のその言葉に、エントリーシートに記入していた龍之介が手を止めた。
「テメェ・・・いい加減その龍ちゃんってのやめろ!気色悪いんだよ!」
「えー?いいじゃないの。」
かわいいんだし、と言って直す気が全く見られない朔太郎に、龍之介が青筋をたてた。
「俺がこのゲームで優勝したら、今後一切その呼び方するな!」
朔太郎は誰に対してもこの呼び方だ。別に龍之介だけを特別にそう呼んでいるわけではないのだが、何か気に食わない理由でもあるのだろうか。
しかしそのあまりの剣幕に、朔太郎も龍之介の本気を感じ取ったのだろう。
「わかったわよ。優勝したらね。」
渋々と頷いた朔太郎を見て、龍之介は満足したようにエントリーシートを書き上げた。
「おら、亮太行くぞ。」
再び船を漕ぎかけていた亮太を椅子から引っ張りあげると、生徒会室の扉に向かう。その背中に、朔太郎が寂しそうに呟いた。
「・・・昔の龍ちゃんは朔ちゃん朔ちゃんってかわいかったのに。」
もしかして幼馴染だったのだろうか。朔太郎の少し伏せた目が、解けてしまったつながりを惜しんでいるようだった。雪春は思わず声をかけようとしたが、龍之介からただならぬ空気が漂ってきて慌てて口をつぐんだ。
「・・・いいかげんにしろ。」
龍之介が朔太郎を睨みつけ、つかつかと近づいた。腕に力が込められているのを見て、反射的に手をのばす。
「昔のこといつまでもほじくり返すんじゃねーよ!」
止めようとした手が空気を掴み、雪春はいよいよ焦った。
朔太郎の胸ぐらを掴み、龍太郎は拳を上げる。
まずい。殴る。
雪春が体当たりしてでも止めようと一歩前に踏み出した。
しかしつぎの瞬間響いた音は、人体を殴る鈍い音ではなく―――ビリっという何かが破れる音だった。
「あ。」
固まる生徒会室の代わりに、幸太郎が声をあげる。
音の発生源は、朔太郎のワンピースだった。
「あ・・・。」
龍之介は熱が一気に冷めたのか、呆然とした表情をした。
朔太郎はワンピースを無言で見つめている。
視界の端で、夏目と賢仁が「あーあ。」という顔をしているのが見えた。亮太はきょとんとしている。
動かない朔太郎にさすがにまずいと感じたのか、龍之介が口を開いた。
「わる
「わかったわ。」
言いかけた龍之介を遮って、朔太郎はエントリーシートを箱から取り出すと、夏目の机に叩きつけた。
「わたしもエントリーするわ、綜ちゃん。」
「・・・そうか。誰と組む?」
「ユキちゃん先生と。」
「え?」
突然の名指しに声を上げる。朔太郎はこちらをむいてにっこりと笑った。
「いいわよね?」
もはや否定は許されない雰囲気だ。背筋にひやりとしたものを感じて、雪春は黙って頷いた。
困惑している龍之介を差し置いて、朔太郎は黙々と名前を記入する。そして書き上げると同時に振り向いた。
「もし私たちが優勝したら・・・」
180超えの高みから見下ろし、立てた親指を逆さまに一気に突き下げた。
「土下座して“どうか俺のことを龍ちゃんって呼んでください朔太郎さま”って言わせてやるよこのクソガキ!!」
夏目と賢仁がめずらしく同時にため息をついた。
ここで唐突な裏話①・・・実は、この作品の登場人物の名前は何人か有名な作家からとっています。
三島雪春→三島由紀夫(作品に春の雪)
樋口一花→樋口一葉
樋口幸太郎→樋口一葉の兄。
夏目綜一郎→夏目漱石
谷崎潤平→谷崎潤一郎
宮下賢仁→宮沢賢治
荻野朔太郎→萩原朔太郎
志摩龍之介&芥辺亮太→司馬遼太郎と芥川龍之介
松枝清隆→松枝清顕(春の雪の登場人物)
綾倉聡美→綾倉聡子(春の雪の登場人物)
あともう一人、名前の出ていない重要人物も有名な詩人からとっています。