青色はトイレと共に。
*
「ぐにゅにゅにゅにゅにゅっ!」
奇声を発しつつ、僕はみるみるうちに上空へと舞い上がった。風圧が物凄くて唇がめくれてしまっている。
手元のレバーを操作して、クリスの飛行機を探す。程なくしてクリスの乗ったトマトみたいな色をした赤い飛行機を見つけた。青空の中ではとても目立つ。
減速して接近を試みる。「クリスー」
僕が叫ぶと、クリスは、
「オルタ!?」
と、素っ頓狂な声をあげた。無理もないか。
チビのレッティなんか驚愕の表情を浮かべ、金魚みたいに口をパクパクさせて絶句している。どうだ、僕だって空飛べるんだぞ。
「なんでオルタが……っていうかそれ何!?」
クリスは操縦席から僕が操縦している乗り物を指差した。ごもっともな疑問だ。
「えーと……たしか『移動式トイレ宇宙型でもまだ宇宙にはちと早い号オルタ仕様』だったかな」
「名前長いよ!」
「ジャイルさんに言ってよ。僕が名付けたわけじゃない」
「不恰好すぎるでしょそれ!」
「しょうがないよ。非常事態だったんだから」
けれどまあ、たしかに不恰好なことは否定できない。
何せリヤカーの荷台に移動式トイレを固定させ、後部にジャイルおじいさんお手製のロケットブースターなる鉄製の杯のような形をしたものが二つ並び、そこから炎が吹き上がっている。その二つの杯の噴射によって、どうやら空を飛べているらしい。
でもなんか移動式トイレが燃え上がっているようにも見えるなこれ。
そしてこの奇怪な乗り物を制御するのは、僕が左右の手で握っている二本の操縦桿だ。
僕はリヤカーの前方に座っていて、二つの杯から針金のような太い縄で繋がったこの操縦桿は、僕の左右に固定されている。
前から順に、僕と操縦桿→トイレ→ロケットブースターという順番に乗っている。不恰好だ。
僕は操縦桿を握る手を慎重に動かし、クリスの飛行機に寄せた。スピードもかなり落としておく。飛行機より移動式トイレ宇宙型のほうが速いからだ。
「さあ、クリス。こっちに飛び乗って」
「……やっぱり、気付いたんだ、オルタ」
「当たり前だろ。なんてったって僕は君の恋人だからね」
僕はレッティに向かって言ったが、チビのレッティは未だに状況が飲み込めずあっぷあっぷしていた。もう放っておこう。
「そいつの操縦はレッティに任せて、君はこっちへ」
「で、でも……」
「そのまんまじゃ、大変なことになっちゃうぞっ」
僕にしては珍しく、クリスに向かって大声をあげた。
クリスは観念したのか、おもむろに操縦席から立ち上がった。
「レッティ、少しのあいだ操縦お願いね。大丈夫よね?」
「だだっ……だいじ――――」
レッティが最後まで言い終わらないうちに、クリスはこちらに飛び移った。彼女はかなり焦っている。もう〝ヤツ〟はかなり近くまで迫っているようだ。
僕はクリスを支え、すぐにトイレに入らせた。ドアはもちろんきっちりと閉める。
「やれやれ」
そこで僕はようやく溜息をつく余裕ができたので、盛大に溜息をついた。
まさかカフェの店主にすぎない僕までもが空を飛ぶことになるなんて。勢いと成り行きがあったとはいえ、にわかには信じられない。
ふと目の前の景色に目をやると、そこには景色と呼ぶにはあまりにも広大すぎる空間が広がっていた。
その際限の無さに、僕は息を呑んだ。
地上から見上げるのとはわけが違う。クリスが憧れるわけだ。
恐る恐る下を覗いてみると、村の家々がトマトの種ほどの小ささに見えた。
「僕は、空の中にいるんだな」
けれど不思議と、中にいるという感覚は薄かった。
正面も青色、左右も青色。仰ぎ見ても青色。
なんだか僕まで青色になったような気分だ。でも、この青色の先には、ジャイルおじいさんが目指す宇宙がある。
宇宙って、何色なんだろ。
そんなことを考えていると、なぜだか急にこれまでの人生での一場面一場面が走馬灯の如く脳裏を過ぎった。死ぬわけでもないのに、どうしちゃったんだろう、僕は。
それらは僕に思い出と大切な人を示し、語りかけてきた。
――あぁ、そうか。
僕はこの青色の中にいて、そこに飲み込まれそうになった。
それは僕がちっぽけだからだ。
でもそうならないために、僕は無意識に大切なものを思い出して、自分の帰る場所を胸に刻み込んだのだ。
空はとても素敵だけれど、僕も空に負けないぐらいに大切なものを持っている。うん。
そこにはクリスはもちろん、ジャイルさんだって含まれる。まあ、レッティを加えてやってもいいけどどうしよかな。
背後で扉が開かれる音がした。
振り向くと、クリスが恥ずかしそうに出てきたところだった。