捨て犬
割れた窓硝子から吹き込む風が、今は見る人もいないカレンダーを吹き上げる。
アグルは埃の積もった床で丸くなった。
もう、何ヶ月も、この家でアグルは家族の帰りを待っていた。
風が半開きになったドアを鳴らす度に、健太や航太の姿を探して、玄関まで走った。
もう、何度繰り返したか分らない。
それでもアグルは、この家で、家族の帰りを待った。
乗用車が、小さくブレーキ音を出し、家の前で止まった。
アグルの耳が俊敏に音の方に向き、同時に車のエンジン音が止んだ。
アグルは身構えた、車のエンジン音が違う。健太や、航太が乗っている車ではない。
二人の男が、靴も脱がずに上がりこんできた。
アグルは押入れの中に素早く滑り込み、身を潜めた。
「結構汚れてますね」作業服を着た男が、床を靴で擦りながら言った。
「前の住人が出て行って3ヶ月くらい経つからねェ」スーツ姿の男が苦笑い顔で言った。
「会社が潰れて、夜逃げ同然に出て行った。4人家族で小学生の子供が2人いたから、学校とか大変だっただろうねェ」スーツの男が、気の毒そうな顔を作って言った。
「壁のクロスの貼替えと、床の掃除程度でいいんだが、何日かかる?」
「一週間あれば大丈夫ですよ。」作業服の男が、壁と床を交互に見ながら答えた。
「それじゃ、出来るだけ早くお願いしますよ。」
「はい、わかりました。」
2人の男は5分程度で出て行った。
アグルには人間の言葉は分らないが、この家に居られなくなることは、話の感じで理解できた。
その夜、家族が出て行った夜のことをアグルは夢で見た。
ドッグフードを器に入れずに、袋ごと床に置き、「待て」とアグルに命令した航太の目が、涙でいっぱいだった。
必死で車を追って走ったが、遠くなり、見えなくなっていった。
「兄ちゃん頑張れ!」航太が後ろから、声を出した。
健太はアパートのおばちゃんに借りた大人用の自転車を立ち漕ぎした。
航太は後ろの荷台に座ってニコニコ顔だ。
「兄ちゃん、アグル家に居るかなァ。食べもん、探せてるかなァ」
心配そうに航太が言った。
「アグルは生ゴミの日も知っとるし、大丈夫や」
「アグルのこと、アパートのおばちゃん気に入ってくれるやろか」
「おばちゃん、犬好き言うとったから、大丈夫や」
床に頭を着けて寝そべっていた身体を一瞬で起こした。
ずっと、待ち続けた声、懐かしい健太と航太の声が聞こえるた。アグルは前足を思いっきり蹴り、割れた窓ガラスの隙間から一気に庭に飛び、フェンスも飛び越えた。
アスファルトで舗装された道を、懐かしい声に向かって力の限り走った。
「んっ? おっ?! あーっっ!! アグルっ!」健太が叫んだ。
「えっ?アグル?どこっ!」航太が首を左右に振ってアグルを探した。
アグルが健太に飛びついた。
健太はアグルを片手で抱え込みながら何とか自転車を止めた。
「アグルーっ」航太が後ろから、両手でアグルの頭を左右からぐちゃぐちゃに撫でた。
「ごめんな、ごめんな、ごめんな、」2人で何度も何度もアグルに謝りながらアグルの頭と体をぐちゃぐちゃに触った。
「アパートのおばちゃんが飼ってもいいって言うてくれたんや!」
健太がアグルの頭を両手ではさんで言った。
アグルが大きな声で吠えた。