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老兵は南門へ帰る

作者: ななな2
掲載日:2026/05/08

二〇五一年。

かつて一つの時代を作った古典MMOが、フルダイブVRとして復活した。


タイトルは『ロード・オンライン』。


二〇〇〇年代初頭、まだネット回線が細く攻略情報が掲示板と個人サイトを伝って広がっていた時代。

このゲームは、ただの遊びではなかった。


街に座り、露店を眺める。

知らない誰かに支援をもらう。

死んだ人に祈りの言葉をかける。

砦を奪い合い、勝てない相手にそれでも突っ込む。


そんな、古いオンラインゲームだった。


サービス終了から三十年以上。

当時のプレイヤーたちは、もう老人と呼ばれる年齢になっていた。


二〇四七年、シンギュラリティ以後の技術革新によって、完全没入型VRが民間に降りてきた時だ。

誰かが冗談のように言い出した。


「もう一度、南門に座りたい」


最初はただの懐古企画だった。

しかし、クラウドファンディングが始まると、金額は桁を間違えたように膨れ上がった。


退職金を突っ込む者。

孫に呆れられながら支援する者。

亡くなったギルドメンバーの名前で寄付する者。

昔の同盟ギルドの名で出資する者。


コメント欄には、同じ言葉が並んでいた。


「ただいま、と言いたい」

「もう一度あの街に帰りたい」

「南無と言いたい」

「砦前で白薬を売りたい」

「カウントで突撃したい」


そして、復活の日が来た。


加瀬悟は、七十八歳になっていた。

現実の体は、もう長く歩けない。

杖なしでは病院の廊下もつらい。

階段など、ここ数年まともに上っていない。


だが、VR世界の中で、彼はかつての姿に戻っていた。


黒いローブに白銀の杖。

銀髪の高位魔導士アバター。


キャラクター名は、カイル。

五十年前、サーバー内の古城で名を知られた魔導士だった。


視界が開ける。


石畳と白い城壁が真っ先に飛び込んできた。

すぐ後ろには、あの中央噴水。

南の通りには、露店の看板が立ち並んでいる。

あの日のまま、体育座りの商人達が隙間を埋めるように。

そして、遠くで聞こえる鐘の音。


カイルは、一歩も動けなかった。

喉が震えた。


「…帰ってきた」


南門前の広場には、すでに人がいた。


白い法衣の司祭が、派手な帽子の吟遊詩人と並んで談笑している。

槍を背負った騎士が、弓手の少女を騎乗鳥の背に乗せてくつろいでいた。


皆、見た目は若い。

だが、会話はひどかった。


「血圧の薬飲んできたか?」


「今日は二時間までって医者に言われとる」


「腰が痛いから現実では無理じゃが、こっちなら走れるわ」


「孫に課金しすぎるなって怒られた」


「南無」


最後の一言に、カイルは吹き出した。

そこに、白い法衣の女司祭が歩いてきた。


若い姿だった。

しかし、声は穏やかな老婆のものだった。


「カイル?」


カイルは目を見開いた。


「まさか、リーナか?」


「昔、古城であなたを何度も起こしたリーナです」


カイルは笑おうとしたが、先に涙が出た。


「まだ生きてたか」


「失礼ね。そっちこそ」


二人は笑った。

その横で、一人の若者が首を傾げていた。


名前はユウト、十八歳。

動画配信でこの復刻VRMMOを知り、物珍しさでログインしてきた新規プレイヤーだった。


「すみません。皆さん、なんで街にいるだけで泣いてるんですか?」


カイルは涙を拭きながら言った。


「坊主。ここは昔、世界の中心だったんだ」


「街が?」


「そうだ」


ユウトには分からなかった。


最新のVRゲームなら、ログインしたらすぐクエストへ行く。

自動マッチングでダンジョンへ飛ぶ。

報酬を取り、強化して次へ進む。


なのに、この老人たちは南門で座っているだけだった。

露店を眺め、昔話をして、たまに通りすがりの人へ支援魔法をかけている。


そのうち、誰かがチャット看板を出した。


『古城二層 ペア狩り魔導士募集 当方支援司祭89± まったり』


ユウトはますます分からなくなった。


「自動募集は使わないんですか?」


リーナが微笑む。


「手動で募集するのも、遊びのうちなのよ」


カイルが杖を担いだ。


「来るか、坊主。昔の狩りを見せてやる」



古城二層。

そこは、石壁に囲まれた薄暗いダンジョンだった。


鎧の亡霊。

大盾を持つ骸骨騎士。

影のような暗殺者。

たまに現れる、明らかに格上の黒騎士。


ユウトは最新VRゲームの感覚で前へ出たが、次の瞬間亡霊の群れに囲まれて死んだ。

視界が暗くなり、地面に倒れる。


リーナが近づき、祈りの手をかざした。


「南無」


カイルも言った。


「南無」


周囲の老人たちも、何人かが笑いながら言った。


「南無」


「若いの、いい死にっぷりじゃ」


「南無ありって言うんだぞ」


ユウトは起こされながら、思わず笑った。


「南無あり、ですか?」


「そう。それでいい」


狩りは効率的ではなかった。


老人たちはよく喋った。

昔の敵配置がどうだったとか、当時は転職までが大変だったとか、支援職はソロが地獄だったとか。

そのくせ、戦闘になると動きが変わった。


リーナは敵を抱えた上で支援を切らさず、ユウトが危ない時は即座に回復魔法が飛んだ。

カイルは氷嵐の魔法を壁際へ落とし、敵が吹き飛ぶ方向まで読んで火の壁を置いた。


ユウトは息を呑んだ。


「なんでそんなこと分かるんですか?」


カイルは笑う。


「五十年前に、何百回も死んだからだ」



数日後。

運営は、復活記念イベントを発表した。


砦戦。


古い時代から復元された、ギルド同士の大規模戦闘。

勝利条件は、砦の最奥にある『誓約石』を破壊し、そのまま時間終了まで守りきること。


ユウトは軽い気持ちで参加した。

だが、南門の空気が変わっていた。


老人たちは、本気だった。

露店商人の爺さんが、砦前行きの転移門近くで回復薬を並べている。


「若いの白薬持ってけ。安くしとくぞ」


踊り子の婆さんが、声を張る。


「支援欲しい人は、こっち並んで!」


リーナは外注支援役として、複数ギルドのメンバーに祝福をかけている。


カイルは古いギルド名を背負っていた。


『夕暮れの旅団』


かっては小規模ながら、何度も大手ギルドの派兵に抗ったギルドらしい。


「勝てるんですか?」


ユウトが聞くと、カイルは平然と言った。


「無理じゃろ」


「え?」


「相手は昔の大手連合、三同盟の復刻組だ」

「装備も人数も違う。正面から勝てるわけがない」


「じゃあ、なんで行くんですか?」


カイルは少し黙ってから、南門の方を見た。


「勝てる戦いだけやるなら、それは作業だ」



転移ポータルを抜けると、砦の通路は人で埋まっていた。

石造りの細い廊下。

この奥に、誓約石の間へ続く光の門がある。


その先には、当然防衛側が待ち構えている。


絶え間なく降り注ぐ大魔法。

足止め用の罠。

前衛による槍衾に、上空からは矢の雨が降り注ぐ。

運よくそこを抜けても、待ち構えるのは酸性瓶と一撃必殺の拳だ。


昔と同じだった。

カイルの手が震え、リーナも目を伏せていた。


ユウトは不思議に思った。

この人たちは老人だ。

しかし、今この瞬間だけは、まるで少年少女のように見えた。


誰かが言った。


「五十年ぶりか」


別の誰かが返す。


「白薬、叩けるかのう」


「ラグで出ないまでが様式美じゃ」


笑いが起きた。

だが、その笑い声は震えていた。


カイルが前に出た。


もう、ギルドマスターではないし指揮官でもない。

それでも、誰もが彼を見た。


カイルは深く息を吸った。


「突撃前、カウント準備」


その瞬間、通路の空気が止まった。


吟遊詩人が高らかに歌い始め、リーナ達司祭組が順番に祝福を掛けていく。

騎士たちが武器を構え、先生と呼ばれる特殊魔法職が前衛組の背後に付く。

ユウトも剣を握った。


カイルの声が響く。


「五」


誰かが泣いていた。


「四」


白い法衣のリーナが、涙をこぼしながら笑っていた。


「三」


ユウトはようやく分かった。


これは、ただの戦闘ではない。

この人たちは、半世紀前に置いてきた時間へもう一度踏み込もうとしているのだ。


「二」


カイルが杖を握りしめる。


「一」


そして。


「突撃!」


全員が光の門へ飛び込んだその直後、世界が爆ぜた。


流星雨が降り注ぎ、氷嵐は途切れることがない。

雷光は前衛の足を止め、叫び声で後衛が動けなくなる。

罠に足が挟まり、炎の壁が行くてを阻む。


ユウトは何もできなかった。

剣を振る暇もなければ、前に出ることすらできない。


視界の端で、カイルが魔法を詠唱しようとしていた。

その横でリーナが誰かを守ろうとしていた。


だが、全員まとめてすり潰された。


視界が暗転し、南門近くの石畳にユウトたちは転がっていた。


誰も喋らなかったが、やがて誰かがぽつりと言った。


「白薬、出んかったな」


沈黙の後、老人たちが一斉に笑い出した。


「出んかった!」


「まったく出んかった!」


「昔と同じじゃ!」


「入った瞬間、溶けたわ!」


「これだ」


「これだよ」


「帰ってきたなあ」


リーナは涙を拭きながら、倒れているユウトに手を差し伸べた。


「南無」


ユウトはリーナの手を掴み、よろよろと起き上がった。


報酬もなければ、勝ってもいない。

何もできずに死んだだけだ。


けど、胸の奥の熱を感じたままユウトは笑って言った。


「南無あり」


カイルが振り返る。


「どうじゃ、坊主。これが昔のMMOだ」


ユウトは南門に集まる人々を見た。


笑っている老人たち、若い姿のまま泣いている元冒険者たちだ。

白薬を売る商人が声を張り上げている。

次の突撃を相談する騎士達と、支援を配る司祭。

戦場の様子を記録している老レポーター。


効率は悪く、勝てる見込みも薄い。

攻略としては、たぶん間違っている。


今日は、まだ一つもレベルが上がっていない。

新しい装備も拾っていなければ、報酬もない。


それなのに、今まで遊んだどんな最新ゲームより楽しかった。


カイルが杖を掲げた。


「もう一回行くか」


老人たちが声を上げる。


「行く!」


「今度は三秒は耐えるぞ!」


「支援回すわよ」


「白薬買ってけ!」


「地面防護を出せばいける!」


ユウトも剣を握った。


「行きます!」


カイルが笑った。


「なら覚えろ、坊主」

「ゲームはな、勝つためだけにあるんじゃない」


南門から、再び砦へ向かう転移ポータルが開く。

カイルは若い魔導士の姿で、しかし老人の声で言った。


「誰かと一緒に、馬鹿をやるためにもあるんだ」


そして彼らは、また戦場へ向かった。

今度もきっとすぐに死ぬ。


けれど復活地点では、また誰かが笑って言うだろう。


『南無』と。

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