悪役令嬢に転生したけど、前任者も転生者でした
目を覚ますと、私は見知らぬ部屋にいた。
天蓋付きの豪華なベッド。絹のシーツ。窓からは広大な庭園が見える。
——え、なにこれ。
昨日まで、私は普通のOLだったはずだ。
残業帰りに、横断歩道で——
「お嬢様、お目覚めですか」
ドアが開いて、メイド服の女性が入ってきた。
「お嬢様? お加減はいかがですか?」
「あ、えっと……」
私は、混乱しながらも周囲を見回した。
鏡があった。
そこに映っているのは——金髪碧眼の美少女。
——これ、私?
記憶が蘇る。
この顔、この部屋、このシチュエーション。
前世でプレイした乙女ゲーム『永遠の薔薇の誓い』。
その悪役令嬢——セレスティア・ヴァンフォード。
私は、彼女に転生していた。
---
数日が経ち、状況を把握した。
セレスティアは公爵令嬢。王太子レオンハルトの婚約者。
そして——ゲームでは、ヒロインをいじめた罪で断罪され、国外追放される運命。
最悪だ。
私は、自分の部屋で頭を抱えた。
「断罪なんて、されてたまるか……」
そう呟いた時——本棚の隅に、古びた日記帳が見えた。
なぜか気になって、手に取る。
表紙を開くと——
『この日記を読んでいる人へ。あなたも、転生者ですか?』
——は?
心臓が跳ねた。
私は、続きを読んだ。
『私の名前は、田中美咲。前世は日本人のOLでした。三十二歳で交通事故に遭い、気づいたらこの世界のセレスティアになっていました』
……私と同じだ。
『最初は希望を持っていました。ゲームの知識があるから、断罪を回避できると。でも——』
ページをめくると、文字が震えていた。
『何をしても、駄目でした。王子に近づいても、距離を置いても、ヒロインと仲良くしようとしても——全て、悪い方向に転がっていく。まるで、運命が私を断罪に導いているかのように』
背筋が寒くなった。
『私は諦めます。でも、もし次にこの体に誰かが来るなら——私の失敗を繰り返さないでください』
日記は、そこで終わっていた。
——前任者がいた。
彼女も転生者で、断罪回避に挑んで、失敗した。
私は、彼女の遺志を継ぐことになったのだ。
---
日記には、前任者の失敗が詳細に記されていた。
『王子に媚びを売ると、逆に怪しまれる』
『ヒロインと仲良くしようとすると、周囲から「狡猾」と思われる』
『大人しくしていると、存在感がなくなってヒロインに居場所を奪われる』
——なるほど。どれも、私が最初に思いつく手だ。
でも、日記の最後に、こんな一文があった。
『私が唯一、断罪を遅らせられたのは——王子ではなく、騎士団長に助けを求めた時でした。彼だけは、私の味方でいてくれた。でも、私はそれに気づくのが遅すぎた』
騎士団長。
ゲームには登場しないキャラクターだ。
——会ってみよう。
---
騎士団の訓練場を訪れると、男たちが剣を振るっていた。
その中心に——一人の男がいた。
黒髪に、鋭い碧眼。
引き締まった体。
汗で濡れた前髪が額に張り付いていて——
——かっこいい。
思わず見とれてしまった。
「——公爵令嬢殿?」
男が、私に気づいた。
近づいてくる。長身の彼を見上げる形になる。
鍛えられた胸板が、目の前にある。
「騎士団長の、クロード・レイヴンと申します。何かご用でしょうか」
低い声。落ち着いた口調。
——この人が、前任者を助けてくれた騎士団長。
「あの……少し、お話があるのですが」
「承知いたしました。こちらへ」
クロードは、私を訓練場の隅に案内した。
周囲の視線から隔たれた場所。
木陰で、二人きり。
「どのようなご用件でしょう」
クロードが、私を見下ろした。
碧眼が、まっすぐ私を見つめている。
近い。吐息がかかりそうな距離。
心臓が、ドクドクと速く鳴る。
「あ、あの……」
私は、言葉を選んだ。
前任者のことは言えない。でも——
「私、断罪されるかもしれないのです」
「……は?」
クロードの眉が、わずかに動いた。
「王太子殿下との婚約が、うまくいっていなくて……このままでは、私は……」
「お待ちください」
クロードが、一歩近づいた。
——近い。
彼の影が、私を覆う。
見上げると、真剣な表情がそこにあった。
「あなたが断罪される? それは、誰が決めたことですか」
「え……」
「王太子殿下ですか? それとも、宮廷の誰かですか」
クロードの声が、低くなった。
「教えてください。私が——」
彼の手が、私の肩に触れた。
大きな手。温かい体温。
「あなたを、守ります」
——心臓が、止まりそうだった。
クロードの碧眼が、私を見下ろしている。
真剣な表情。まっすぐな視線。
——近い。吐息がかかりそうな距離。
黒髪の隙間から見える、引き締まった顔立ち。
互いの鼻先が触れそうな位置に、彼の唇がある。
——キスされる、と思った。
でも、クロードはすぐに離れた。
「失礼いたしました。詳しいお話は、改めて」
そう言って、一歩引く。
——なんで、離れるの。
心臓が、まだドクドクと高鳴っている。
---
それから、クロードは私の味方になってくれた。
社交界のパーティーでは、さりげなく私の傍に立ってくれる。
悪意のある噂が流れれば、真実を調べて否定してくれる。
疲れた時は——
「お嬢様、少しお休みになってください」
クロードが、私を庭園のベンチに座らせた。
「無理をなさっています」
「でも、断罪を回避するには——」
「それは、私の仕事です」
クロードが、私の隣に座った。
肩が触れ合う。
彼の体温が、服越しに伝わってくる。
「あなたは、笑っていてください。それだけで——私は、戦えます」
「クロード……」
私は、彼を見上げた。
碧眼が、優しく細められている。
いつも鋭い彼が——今は、柔らかい表情をしている。
——どうして、この人は私にこんなに優しいの?
「クロード、なぜ私を助けてくれるの?」
思わず、聞いてしまった。
クロードは、少し黙った。
そして——
「あなたは、覚えていないでしょうが」
クロードが、遠くを見つめた。
「十年前、私はまだ騎士見習いでした。孤児で、誰にも期待されていなかった。辞めようと思っていた時——ある令嬢が、私に声をかけてくれた」
「……」
「『あなたは、強くなる。私には分かる』と」
クロードが、私を見た。
碧眼が、まっすぐ私を捉えている。
「それが、あなたでした」
——え?
私は、記憶にない。
でも——それは、前任者かもしれない。
「あの言葉のおかげで、私は騎士団長になれた。だから——今度は、私があなたを守る番です」
クロードの手が、私の手を取った。
大きな手。剣だこがある、温かい手。
「お嬢様——いえ」
クロードが、私の手を自分の唇に近づけた。
「セレスティア。あなたを、守らせてください」
唇が、私の手の甲に触れた。
柔らかい。温かい。
背筋が、ゾクゾクと震える。
クロードの碧眼が、私を見上げている。
いつもの鋭い目はどこにもなくて——熱を帯びた、甘い視線。
——心臓が、爆発しそうだった。
「クロード……」
「……失礼いたしました」
クロードが、私の手を離した。
——あ……。
なぜだろう。離れたのに、まだ手の甲が熱い。
触れられた場所が、じんじんと痛むみたいに、感覚を主張している。
---
断罪イベントの日が近づいていた。
でも——状況は、前任者の時とは違っていた。
クロードのおかげで、悪い噂は消されていた。
王太子レオンハルトとの関係も、悪くない。
ヒロインとも、敵対せずに済んでいる。
——これなら、断罪を回避できるかもしれない。
そう思った矢先——
「セレスティア」
廊下で、王太子レオンハルトに呼び止められた。
金髪に、紫の瞳。整った顔立ち。
ゲームでは、悪役令嬢を断罪する役だ。
「殿下……」
「少し、話がある」
レオンハルトが、私の腕を掴んだ。
そのまま、人気のない部屋に連れ込まれる。
「殿下、何を——」
壁に押し付けられた。
レオンハルトの手が、壁についている。
——壁ドン。
「最近、お前に近づく騎士がいるな」
「え……」
「クロード・レイヴン。あいつと、何かあるのか」
レオンハルトの目が、鋭くなった。
——嫉妬?
「いえ、彼は私の護衛で——」
「護衛? 護衛が、婚約者の手にキスをするのか?」
レオンハルトが、私の顎を持ち上げた。
顎クイ。
紫の瞳が、至近距離で私を見つめている。
「セレスティア。お前は、俺の婚約者だ」
「……」
「他の男に、取られるつもりはない」
レオンハルトの顔が、近づいてくる。
唇が——触れそうな距離。
「っ——!」
私は、思わず目を閉じた。
——でも。
「……まだ、その時ではないな」
レオンハルトが、離れた。
「お前が、俺を見てくれるようになるまで——待っている」
レオンハルトが、部屋を出ていった。
私は——壁にもたれかかって、心臓を押さえた。
——なに、今の。
ゲームの王子とは、全然違う。
冷たい婚約者じゃなかった。
むしろ——
私に、執着している?
あの紫の瞳が、脳裏に焼き付いて離れない。
顎クイされた時の、彼の指の感触。
あと少しでキスされそうだった——
顔が、熱い。
---
断罪イベント当日。
舞踏会の会場に、全ての関係者が集まっていた。
ヒロイン。王太子。攻略対象たち。
そして——私。
ゲームでは、ここで王太子がヒロインの肩を持ち、悪役令嬢を断罪する。
でも——
「皆様にお知らせがあります」
王太子レオンハルトが、壇上に立った。
私の心臓が、ドクドクと鳴る。
——来る。断罪が来る。
でも——
「私は、婚約者セレスティア・ヴァンフォードを——」
レオンハルトの紫の瞳が、私を捉えた。
「——愛しています」
——は?
会場が、ざわめいた。
「彼女は、悪役などではない。誰よりも優しく、誰よりも強い女性だ。私は、彼女を妻に迎えることを——改めて宣言します」
私は——言葉を失った。
断罪じゃなかった。
プロポーズだった。
「セレスティア」
レオンハルトが、壇上から降りてきた。
私の前に跪く。
「俺の妻になってくれ」
——夢?
これは、夢?
「……はい」
私は、気づいたら頷いていた。
レオンハルトが、立ち上がった。
そして——私を抱きしめた。
会場から、拍手が起こった。
---
舞踏会の後——
私は、庭園のベンチに座っていた。
月明かりの下、一人で。
「——お嬢様」
クロードが、現れた。
「おめでとうございます」
クロードの声は、いつも通り落ち着いていた。
でも——どこか、寂しそうに聞こえた。
「クロード……」
「王太子殿下が、あなたを幸せにしてくれるでしょう。私の役目は——終わりました」
クロードが、頭を下げた。
「今までありがとうございました。これからは——」
「待って」
私は、クロードの手を掴んだ。
「あなたのおかげで、私は断罪を回避できた。前任者の願いを、叶えられた」
「前任者……?」
私は、全てを話した。
日記のこと。前任者のこと。彼女が、クロードに助けられていたこと。
クロードは、黙って聞いていた。
「……そうでしたか」
クロードの目が、少し潤んでいた。
「あの方も、戦っていたのですね」
「うん」
「そして——あなたが、彼女の遺志を継いでくれた」
クロードが、私を見た。
月明かりに照らされた碧眼が、優しく光っている。
「ありがとうございます。あなたに出会えて——私は、幸せでした」
——幸せ「でした」?
「クロード、まだ——」
「お嬢様」
クロードが、私の手を取った。
「あなたは、王太子殿下の妃になる。私とは——もう、会えません」
クロードの目が、悲しそうに細められた。
「でも——最後に、一つだけ」
クロードが、私の手を自分の胸に当てた。
心臓の音が、伝わってくる。
速く、強く、鳴っている。
「私も——あなたを、愛していました」
私は——息を呑んだ。
「でも、身分が違う。私は騎士で、あなたは公爵令嬢。王太子の婚約者。だから——言えなかった」
クロードが、私の手にキスをした。
「さようなら、セレスティア。幸せに」
クロードが、離れていこうとした。
「——待って!」
私は、クロードの腕を掴んだ。
「私——」
言葉が、詰まる。
レオンハルトは、私を愛していると言ってくれた。
クロードも、私を愛していると言ってくれた。
二人のイケメンに愛されている。
前任者なら、どうしただろう。
——彼女は、クロードに助けられながら、その気持ちに気づかなかった。
だから、後悔した。
私は——同じ後悔はしたくない。
「クロード」
私は、彼を見上げた。
「レオンハルトに、正直に話す。あなたのことも、私の気持ちも」
「お嬢様……」
「断罪は回避した。でも——本当に欲しいものは、まだ手に入れてない」
私は、クロードの手を握った。
「私、あなたと一緒にいたい」
クロードの目が、大きく見開かれた。
「——本気ですか」
「本気」
私は、笑った。
「前任者の分も、幸せになる。それが——彼女への恩返しだと思うから」
クロードが——笑った。
初めて見る、彼の笑顔。
「……分かりました」
クロードが、私を抱きしめた。
大きな腕。温かい胸板。
騎士の鎧越しに、心臓の音が伝わってくる。
「私も——あなたと一緒にいたい」
クロードの唇が、私の額に触れた。
柔らかい。温かい。
そして——唇が、私のこめかみに移動する。
「っ……」
耳元で、クロードの低い声が囁いた。
「セレスティア。愛しています」
耳に息がかかる。
背筋が、ゾクゾクと震えた。
クロードの唇が、私の耳たぶに触れた。
「っ——!」
思わず、声が出そうになった。
「……可愛い」
クロードが、低く笑った。
私は——クロードの胸に顔を埋めた。
泣いていた。
嬉しくて、幸せで。
それから——恋する唇に触れられて、心臓がどうかなりそうで。
——やった。
断罪を回避して、愛も手に入れた。
前任者の願いを、叶えた。
---
その夜——
私は、夢を見た。
真っ白な空間に、一人の女性が立っていた。
金髪碧眼。私と同じ顔。
——前任者だ。
「あなたが、私の後継者ね」
彼女が、微笑んだ。
「日記、読んでくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。あなたのおかげで——」
「ううん」
彼女が、首を振った。
「私は失敗した。でも、あなたは成功した。それだけで——私は、幸せ」
彼女の目に、涙が浮かんでいた。
「クロードを、選んでくれてありがとう。私が選べなかった人を——あなたが、選んでくれた」
「……」
「私の分も、幸せになってね」
彼女が、私を抱きしめた。
温かかった。
同じ体のはずなのに、懐かしい温もりを感じた。
「ありがとう。さようなら——私」
彼女の姿が、光に包まれて消えていった。
——ありがとう。
私は、心の中で呟いた。
——あなたの分も、幸せになる。絶対に。
---
翌朝——
「お嬢様、お目覚めですか」
クロードの声で、目が覚めた。
——え、なんでここに?
隣を見ると、クロードがベッドの横に座っていた。
「く、クロード!? なんで——」
「昨夜、庭園で眠ってしまわれたので。お部屋までお運びしました」
「そ、そう……」
私は、顔が熱くなるのを感じた。
「あの、それで、昨夜の話——」
「覚えていますよ」
クロードが、微笑んだ。
「あなたが、私を選んでくれた」
クロードの手が、私の頬に触れた。
大きな手。温かい手。
「今日、王太子殿下に話しに行きます。婚約破棄の交渉を」
「……大丈夫?」
「大丈夫です」
クロードが、私の額にキスをした。
そして——唇が、私の唇に近づいてきた。
「っ……!」
思わず、目を閉じた。
柔らかい感触が、唇に触れた。
——クロードの唇。
温かい。柔らかい。
ほんの少し、強引で。
唇が離れると、クロードが私を見下ろしていた。
碧眼が、熱を帯びている。
「あなたを守る。何があっても」
「クロード……」
「そして——一生、離さない」
クロードが、もう一度私の唇にキスをした。
今度は、さっきより深く。
私は——幸せだった。
断罪を回避して。
前任者の願いを叶えて。
愛する人を手に入れて。
これが——悪役令嬢の、ハッピーエンド。
(完)
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