第12話「お願い」
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「あなた……二人を……!」
思わず叫ぶと、指先に力がみなぎり、魔法の詠唱を始めてしまう。
光の粒が周囲にちらつき、手のひらが熱くなる。
怒りと絶望が、理性を押しのけて心を支配していた。
「リゼリア、やめろ!」
ヴァンデルモンドが一歩踏み出す前に、ジークが叫ぶ。
「落ち着け! その人が殺したわけじゃない!」
リゼリアは、胸が破裂しそうな思いで振り向く。
心の中の嵐が静まらず、怒りが魔法を激しく押し出そうとする。
ヴァンデルモンドの姿は、威厳を放っていた。
背筋は真っ直ぐ、目は氷のように澄んでいる。
口調は低く、静かで、しかし力強い。
「落ち着きなさい、リゼリア・ファルシア」
声だけで、部屋の空気が凍る。
「あなたの怒りは理解する。しかし、私が二人を――殺したのではない」
リゼリアは息を詰め、詠唱を止める。
手から光が消え、魔法の熱が一瞬で引いていく。
胸の中の怒りと恐怖が、急に空気のように薄くなる。
ヴァンデルモンドは静かに、しかし確実にその視線をリゼリアに向けた。
「怒りの矛先を間違えてはいけない」
その声は女王そのものの重みがあり、リゼリアは思わず後ずさる。
リゼリアの胸の奥で、怒りと恐怖が交錯する。
胸の奥に渦巻く混乱を、なんとか抑えながら、ゆっくりと息を吐く。
ヴァンデルモンドはそのまま静かに立ち、冷たい空気を漂わせながらも、どこか慈愛にも似た眼差しでリゼリアを見つめる。
「あなたの力を制御できるようになることを望む。そして、もし怒りを力に変えるなら、正しい方向に導くのが私の役目」
リゼリアは唇を噛む。
怒りが完全には消えない。
でも、目の前の女性の言葉が、理性を呼び戻す。
胸の奥の小さな希望の光が、再び揺らめき始める。
ジークは静かにリゼリアを支え、ヴァンデルモンドを見やる。
「彼女はまだ混乱している。これ以上は、君に任せるよ」
ヴァンデルモンドはわずかに微笑む。
その笑みは、まるで女王が臣下を見守るかのように静かで、確かなものだった。
部屋の空気は少しずつ落ち着き、光がゆらめく。
リゼリアの心の中の嵐も、ほんの少しずつ静まっていくのを感じる。
そして、彼女の視線はジークに戻る。
「……ありがとうございます」
小さく、しかし真剣に呟いた。
胸の奥で、これから生きるための力を少しだけ感じていた。
ヴァンデルモンドは一歩進み出ると、リゼリアを真っ直ぐに見据えた。
その瞳には揺らぎがない。だが、ふいに口元がかすかに歪む。
「……まずは謝らなければなりませんね」
リゼリアは瞬きをした。
「謝る……?」
ヴァンデルモンドは頷く。
「ギルドで、あの少女――ルシアさんを気絶させたことです。あれは、つい手が出てしまった」
目を伏せ、言葉を探すように続ける。
「正直に言えば、あの子は私にとって少し苦手なタイプでしたので」
リゼリアの胸が痛む。
――ルシアさん……あのとき突然倒れて、どんなに怖かったか。
「……苦手だからって、気絶させるなんて」
小さく呟くと、ヴァンデルモンドはわずかに目を細めた。
「その通りです。だからこそ、私は謝らなければならないのです」
重たい沈黙が落ちる。
リゼリアは唇を噛み、何も言えなくなる。怒りと戸惑いがまだ消えない。だが、ヴァンデルモンドの言葉には偽りの響きがなかった。
やがて彼女は顔を上げ、再び鋭い眼差しをリゼリアに向けた。
「リゼリアさん。あなたを助けた理由を話しましょう」
心臓が強く跳ねる。
「理由は三つあります」
ヴァンデルモンドは指を三本立て、一本ずつ折りながら淡々と告げる。
「一つ。竜としての力。あなたはその身に、他を圧倒する強さを秘めている。それは、この国にとっても大きな意味を持つ」
リゼリアの胸に、冷たい針のような感覚が走る。
「二つ目。あなたは人族の血を引いているということ。竜でありながら、人の形を持ち、人の心を理解することができる。その存在は、どちらの世界にも触れうる架け橋になりうる」
リゼリアは拳を握った。
――人の血。ああ……父親のことか……。
「そして三つ目。これは、最も重要な理由です」
ヴァンデルモンドの声色が変わる。低く、重たく、空気を震わせるような響き。
「その人族の血が、貴族の血であること」
リゼリアは息を呑んだ。
「ファルシア――それは、この国ダル=ギルスにおける三大派閥のひとつ、ファルシア公爵家の名。つまり、リゼリアさん。あなたは貴族の娘ということになります」
頭が真っ白になった。
――私が……貴族の娘? ファルシア……公爵家……?
信じられない。あまりに突拍子もない。だが、ジークのさっきの複雑な顔が、答えを裏づけてしまう。
「……そんな……私が……?」
震える声で呟くと、ジークが口を開いた。
「ヴァンデルモンドの言葉は事実だよ」
彼の瞳はまっすぐで、揺らぎがない。
「君の名前を聞いたとき、すぐに分かった。君はファルシアの血筋だ」
リゼリアは首を振った。
「……待ってください……そんな……私は……竜で……ただ……」
ジークは静かに続けた。
ジークの声は冷静で、けれどどこか優しい。
「リゼリア。僕から君に望むことは一つだけだ」
その瞬間、ヴァンデルモンドが一歩前に出て、女王のような威厳を帯びた声で告げる。
「――そのファルシア家に潜入していただきたいのです」
言葉が、鋭い刃のようにリゼリアの心を突き刺す。
「潜入……?」
かすれた声が漏れる。
「ええ」ヴァンデルモンドは頷いた。
「ファルシア家はいま、国の中枢においてもっとも暗い影を落としています。内部の腐敗、権力争い……そして竜狩りへの関与。真実を知り、掴めるのは――血を同じくする、あなたしかいない。ファルシア家は血筋を第一にするので、血が繋がっていないと召し使いであっても潜入できません。そして、おそらく二人を殺したのもファルシア家です」
リゼリアの視界が揺れる。
胸の奥に広がるのは、恐怖と、拒絶と、そして……抗えない運命のような感覚。
――私が……ファルシア家に……?
――大事な人を殺した人たちのもとに……?
頭の中で、何度も問いが渦を巻く。
ジークは静かにリゼリアの目を見つめた。
「選ぶのは君だ。だけど……君が生きる意味を探すなら、この道は――その答えになるかもしれない」
リゼリアの胸に、重たくのしかかる決断が落とされた。
「……潜入?」
リゼリアの唇が震えた。
「いや……そんなの、絶対に……」
思わず後ずさる。ベッドの端に背中がぶつかり、布が皺を作った。
ヴァンデルモンドは表情を崩さない。
「怖いのは分かります。けれど――」
「違うっ!」
声が裏返った。
「怖いとかじゃなくて……そんなの……嫌です! 私……また、大事な人を失うのはもう嫌なんです!」
胸の奥が焼けるように痛い。涙がにじみ出る。
「私は……あの人たちを助けられなかった……! エルバンさんも……ルシアさんも……! そんな私が……潜入なんて……」
言葉が詰まり、喉が締めつけられる。
頭の中では、赤い部屋と二人の姿が何度も繰り返される。
――血。
――倒れていた。
――笑っていた人が。
「……私なんかが行ったら……また誰かが死ぬ……」
リゼリアは俯き、声を震わせた。
「それなら……」
「違う」
ジークの声が鋭く割り込む。
顔を上げると、彼の瞳がまっすぐに射抜いていた。
「君が死んでも、真実は闇に隠れたままだ。エルバンもルシアも――無駄に死んだことになる」
「っ……!」
胸が掻き乱される。
彼の言葉が正しいと分かってしまう自分が、余計に苦しい。
「……でも……私にはできない……!」
リゼリアは首を振った。
「私はただの……竜で……何もできない……」
ヴァンデルモンドが低く笑った。
「何もできない? いいえ。あなたにしかできない」
リゼリアの瞳が揺れる。
「あなたは竜であり、人であり、そしてファルシア家の血を継ぐ者。あなたが踏み込まなければ、誰も核心に届けない」
「……そんな……」
心臓が早鐘を打つ。
――本当に?
――私にしかできない……?
でも。
頭を振る。そんなことは認めたくない。
「私なんかが動いたって……どうせ……」
「リゼリア」
ジークが近づき、手を差し伸べた。
「生きたいと思ったんだろう。死にたくないと思ったんだろ。」
呼吸が止まった。
「……っ」
「なら、その生をどう使うか考えろ。大事な人を奪った者を許さないなら――その答えは、もう出ているはずだ」
心臓が痛い。
胸が張り裂けそうだ。
――生きたい。
そう思って翼を開いた。
落ちる瞬間、死にたくないって、確かに思った。
でも、それは「生きたい」じゃなくて、「死にたくない」だけ。
……けど。
もしも。
もしも、この手で「二人を殺した真実」に触れられるなら。
「……私にしか……できない……のですか?」
かすれた声で繰り返す。
ヴァンデルモンドが頷いた。
「ええ。あなたにしか」
視界が揺れる。
涙が頬を伝い落ちていく。
「……私……どうしたらいいの……」
ジークは静かに答えた。
「選ぶのは君だ。誰も強制はしない。死ぬのも、生きるのも。潜入するのも、拒むのも」
その声は優しく、しかし逃げ道を許さないほどの真剣さを孕んでいた。
リゼリアはただ、両手を胸に押し当て、必死に呼吸を整えた。
胸の奥で、怒りと恐怖と後悔と――そして微かな決意が、渦を巻いていた。
ジークが立ち上がり、扉の前で振り返る。
「……一ヶ月。礼儀作法や立ち居振る舞いを学んでもらう。その間に、潜入するかどうか考えればいい」
「あとは頼むよ」と言ったあと、彼は背筋を伸ばしたまま静かに部屋を出ていった。
扉が閉じられる音がやけに重く響き、部屋に残されたのは私と――ヴァンデルモンドだけ。
広い部屋。高価な装飾品。豪奢なカーテン。
どこを見てもきらびやかなはずなのに、胸の奥は重苦しい。
さっき魔法で殺そうとまでした相手と、二人きりだなんて。
気まずさに耐えきれず、思わずシーツをぎゅっと握りしめる。
けれど、ヴァンデルモンドはいつもの涼しい顔で、私をじっと見つめていた。
「……まだ目覚めたばかりでしょう。甘いものと、身体を温める紅茶でもどうですか?」
そう言って軽く手を叩くと、召使いが静かに入ってきた。
銀のトレイに色とりどりの菓子、湯気の立つ紅茶のポット。
テーブルに並べられていく光景を、私はただぼんやりと見つめていた。
どれも孤児院の子どもたちが見たら大騒ぎするような、夢のような食べ物。
でも――私はどうしても手を伸ばす気になれなかった。
そんな私を気にする様子もなく、ヴァンデルモンドは紅茶を注ぐ。
蒸気が立ちのぼり、ふわりと甘く柔らかな香りが広がった。
それを一口、優雅に口に含み――
「あちゅっ!!」
小さな声が部屋に響いた。
「……えっ?」
思わず目を瞬かせる。
ヴァンデルモンドは一瞬で表情を引き締めたものの、ほんのり頬が赤い。
慌てて咳払いをして、何事もなかったようにカップをソーサーに戻した。
「……少し熱かったようです」
「だ、大丈夫ですか!?」
気づけば声が大きく出てしまっていた。
「舌、火傷したりしてませんか? 無理に飲まなくても……!」
心配で前のめりになる私に、ヴァンデルモンドはわずかに目を丸くした。
そして、ほんの一瞬――いつもの冷ややかな雰囲気からは想像できないような、柔らかな笑みを浮かべた。
「……ご心配なく。平気ですから」
それだけ言って、彼女はまたいつもの落ち着いた表情に戻る。
でも、その頬に残る赤みが、さっきの慌てぶりが幻じゃなかったことを示していた。
私は胸の奥がほんの少し、緩むのを感じた。
この人も――人間らしい一面があるんだ。
そう思った途端、なぜか張り詰めていた空気が、少しだけ和らいでいく。
けれど。
それでも、まだ彼女と目を合わせるのは気まずい。
あの冷たい眼差し、鋭い声。
そして私が放ちかけた魔法。
(……どうして私は、あんなにすぐに怒ってしまうんだろう……)
紅茶の香りを胸いっぱいに吸い込みながら、私は俯いたまま小さく息を吐いた。
ヴァンデルモンドは、カップを置いたまましばらく黙っていた。
その横顔は、もう普段の冷静で隙のない表情に戻っている。
さっきの「失敗」を見たのが幻だったのではないかと、錯覚するほどに。
けれど、彼女はふと口を開いた。
「明日……元気になっていたら、セシルに礼儀作法を習ってください。貴族社会に入るには、立ち居振る舞い、言葉遣い、舞踏――どれも欠かせません」
さらりと言い切られた言葉に、私は思わず背筋を伸ばした。
(……舞踏? ダンス……? わ、私が……?)
頭の中で、ぎこちなく足をもつれさせる自分の姿が浮かんでしまい、顔が少し引きつる。
ヴァンデルモンドはそんな私の反応を楽しむでもなく、淡々と続けた。
「それから――冒険者ギルドで歌が得意と書いていましたね。歌声も武器になります。今後、人前で披露することもあるかもしれません。……それも、磨いておきましょう」
歌――。
その言葉に、胸の奥がふっと温かくなる。
小さいころ、たとえどんなに苦しい日でも、歌だけは私を裏切らなかった。
孤児院の子どもたちが笑ってくれた日も、エルバンさんわルシアさんが「綺麗だ」と褒めてくれた日も。
歌うたびに、心だけは自由になれた。
思わず小さく「はい……」と答えていた。
ヴァンデルモンドはそれを聞いて、軽くうなずく。
「よろしい。けれど――それは明日からのこと。今夜は休みなさい。目覚めたばかりの身体で無理をすれば、回復も遅れる」
言葉の調子はいつも通り冷静なのに、その声色にはわずかながら気遣いが混じっている気がした。
私はシーツをぎゅっと握り、胸の奥が少し揺れる。
「……ありがとうございます」
そう言うのがやっとだった。
椅子から立ち上がったヴァンデルモンドは、扉へ向かいかけ――ふと振り返った。
その紫の瞳が、いたずらっぽく細められる。
「それから……」
一拍、ためてから続ける。
「さっきの紅茶のことは、誰にも言わないでくださいね。とくにジークには」
私は、思わずぽかんとした顔になった。
「えっ……」
慌てて首を振る。
「そ、そんな……言いません、絶対に!」
ヴァンデルモンドは小さく笑みをこぼしたように見えた。
すぐにまた真面目な表情に戻り、扉に手をかける。
「……明日の朝、またセシルに起こさせます。今は、ただ眠りなさい」
そのまま出ていく背中を、私はただ見送った。
扉が閉まる音が響き、再び静寂が訪れる。
大きすぎるベッドにひとり横たわりながら、胸の奥はまだ不思議な熱で満たされていた。む
読んでいただきありがとうございます!
続きが気になりましたらブクマなどいただけたら嬉しいです!
感想なども是非!
批判などもちょっと傷つきながらも参考にいたします。