会議は踊る
202X年、国際会議場。 議題:「地球温暖化への緊急対策に関する多国間協議」
地球温暖化は近年、深刻化を増している。
それを食い止めるために本日、各国から集められた最高の頭脳たちが集結し、意見を擦り合わせに八重洲口までやってきた。
書記長・谷岡久志は、天を仰ぎたくなる気持ちをぐっとこらえていた。
会議場には、換気の行き届かないこもった空気が漂っており、それに加えて異常なまでに酸味の強いコーヒーの香りが立ち込めている。
木村透環境省地球規模気候対策室副参事補佐が資料を全員に配り、会議が始まった。
「まず、基本資料A-1をご確認いただきたいのですが……」
「عذرًا، إن بلادنا تتخذ موقفًا حذرًا تجاه هذا المقترح.」
木村の発言に対し食い気味に、カタール外交補佐のアリ・ユセフが言葉を挟んできた。すると……
『失礼。我が国は、この案には……慎重な立場を取らざるを得ません』
彼のアラビア語を高性能のAIが翻訳し、中央のスピーカーから音声が流れる。
ここで書記長の谷岡が手を挙げた。
「失礼します。今、発話されたのはアリ・ユスフ環境協議会代表でよろしいか?」
谷岡の発言と共に、海外勢のそれぞれのイヤホンに、それぞれの翻訳が行き届くまで、2秒ほどのラグがある。
アリ・ユセフが谷岡に応える。
「على من تردّ؟ لم أكن أنا المتحدث الآن」
『……誰の発言に反応しているのですか? 今、話していたのは私ではありませんが』
空気がぴんと張り詰める。谷岡は気まずい顔をして、頭を下げた。
アリ・ユセフはめがね越しに谷岡を睨み、
「هذه مشكلة دائمة. أنا يُوسِف، وهو يُسُف. النُطق مختلف」
『それは常に問題になる。私は“ユセフ”、彼は“ユスフ”。発音が違います』
「من لا يميز الفرق، فليصمت.」
『違いがわからない者には、口を慎んでほしい』
「بالمناسبة، قهوتكم ليست لذيذة.」
『ところで、美味しくないよ? おたくのコーヒーは』
「نحن نمثّل الخبراء هنا. ومن الطبيعي أن نُعامَل باحترام. من غير المقبول أن يُخطأ في أسمائنا.」
『我々は有識者の代表としてここに来ている。一定の尊敬を受けて然るべきだ。
名前を間違えるなどもっての外だ』
『ユセフ』も『ユスフ』も、感情的に捲し立てるのと、AIの音声は同じなので、
途中からどっちが喋っているのか、谷岡は早速混乱してしまった。
……あと、なんか途中でコーヒーとか言ったか!? どうやら翻訳AIも怪しい……。
その時──
デュエっクシっ!
大村壮司気候市民連携会議会長の、象がトランペットを吹いたようなくしゃみが、会議場を揺らした。
「ごめんね。部屋の空調がさ」
「室温を上げますか?」
だーーエッキュシっ!!
「……ああ、ごめんごめん。大丈夫大丈夫。僕に合わせることはないよ。ほら、上着一枚はおるからね」
大村のくしゃみに反応して、翻訳用AIが作動したようだ。
『くしゃみ音。室温が適正でないようです。調整いたしますか?』
「いや、僕は暑いから。このまま行こう」
『かしこまりました』
今誰が「暑いから」と言ったのかは、もはや解らなかった。
そして、100回も行われようとしているこの会議の、致命的な欠陥に谷岡は気づいた。
……そういえば誰が、仕切るんだ?この会議は……。
「この会議が、真に“地球”の未来を語る場であるならば──私たちは、言葉ではなく、祈りによって結ばれるべきです」
「いや、それよりもっとマクロなレイヤーで考えよう。カーボンリダクションってさ、そもそも──」
『彼はこの会議においてイニシアチブをとり、リーダーになりたいようです』
「「どっちが!!?」」
A Iが調子が悪いらしく、日本人の発言に対し、『いらない翻訳』を挟んだために、発言をした藤井と鵜飼が顔を見合わせた。
「いや、誰かがこの会議をまとめる役を請け負わなければならないのだから、それを僕がやろうと言うのだ!」
「だったら単なるベンチャー企業のCEOは引っ込んでいていただきたい! 私はこれでも代表理事を務めさせていただいて……」
「代表理事っつってもどっかのNPOだろ! 僕のパパは政界の大物だぞ!?」
『室温上昇。空調を調整なさいますか?』
「か……勘弁してよヂュエックシっ!!!」
「お腹がすいただーーー」
「「「お前は黙って…… 」」…… ……誰だお前は?」
「あ、すんまもん。本日、大事な会議あるつって、当日参加させてもらいました。『海辺の老人と健康の会』代表の本田嬢でなまっす」
「ええ? ……だめだよー当日参加なんて」
「なしで? わいっちゃのいげん(意見?)も聞いで欲しいっちゃもん」
混沌を極める会議に、スペイン持続社会研究所職員のファン・エルナンデスが一喝した。
「¡Cálmate un momento!」
『もちつきなさい』
……おそらく「落ち着きなさい」的なことを言おうとしたのだろうが、日本側は誰もが「もち?」と頭で反芻した。
やはりA Iがおかしい。
そんなことはお構いなく、ファン・エルナンデスが話を進めた。なんと言ったって、温暖化がまずいことになっており地球の危機なのだ。
「Si, pero lo importante es」
『重要なのは』
「La minería de datos y la estadística. Se trata de observar los números.
Hace un poco de frío en esta sala.
Los datos sobre las condiciones meteorológicas de cada país y su relación con el clima.
Además, expresar en cifras el impacto que eso tiene sobre las plantas, los seres vivos y sus ecosistemas.
Hablando del clima, detesto el Reino Unido, pero resulta interesante pensar en cuánto contribuye su mal tiempo a la destrucción ambiental causada por el calentamiento global.
Hace frío aquí」
『…… …… ……』
AIは黙ってしまった。ファン・エルナンデスが早口すぎて聞き取れなかったのだ。
デェっくしっ!
一瞬の沈黙に乗じて、財団法人地球再建機構事務局長杉本、東北大学気候変動未来学研究所准教授辻本が同時に身を乗り出す。
「すみません、資料B-2ではなく、補足資料A-3をご覧ください。そちらの前提に基づいて話すべきで……」
「Vänta lite... alltså, jag tror att Herr Hernández har en poäng」
『待ってくれ……ええと、ファンエルナンデスさんの意見は一理あると思う』
「来年のオリンピックでは、気温が30度を超えることが予想されます。マラソン競技には影響が……」
「辻本先生、テーマがずれていらっしゃいます!」
谷岡のタイプの音が止まる。もう、誰が喋っているのか解らない。
なぜだ。なぜ、大事な会議のはずなのに、すごい人たちが集まっているのに、会議自体が『ぐずぐず』なんだ!?
「한국은 2030년까지 화석 연료를 완전히 퇴출할 예정이며──」
『韓国では2030年までに化石燃料を完全に排除し—』
「L'art, en essence, c'est la température même de l'air…」
「Mapigo ya dunia! Tuyahisi!」
「温暖化は、うちのばあちゃんも“今年は暑かねぇ”言うてましたけん……」
『芸術とは本来空気の温度そのものを地球の鼓動を、感じよう!』
「すみません、このコーヒー、どう淹れたらこうなります?」
「まずいよな、これ。コーヒーじゃない、酸性洗剤の味がする」
『スズメバチの数が減っているというデータが出ている。詳しくは …… …… ……
このまま行くと食物連鎖のカーストに悪影響が出て植物全体が滅ぶと言うデータも……』
「すみません、このコーヒー、どう淹れたらこうなります?」
へくしっ!
「ちょっと……!! ちょっと待ってくださいストーップ……!! ストーップ……!!」
もはや半分泣いている谷岡が挙手をして訴えた。二十人(当日参加も含めて)の視線が一気に谷岡に集まる。
「おそらく……海外の方の発言と思われますが……今スズメバチのことをおっしゃった国の方はどちら様ですかぁ……」
谷岡の発言に、鵜飼がヒートアップした。
「会議を聞いてなかったのか君は! それでも書記か!?」
「聞いてました!! 聞いてたんです! 聞いてたからこそ解らなくなっちゃったんです!!
あの……とりあえず『挙手制』にしませんかぁ……」
「挙手性!? 何を言ってるんだ君は!!」
「Handuppräckning? Vad är det här, ett klassråd för barn」
「이 커피는 쇠 맛이 나! 난 이게 좋아!」
「¡Fui yo quien habló del asunto de los avispones!」
「でぁあっクッション!!」
あかん……もうあかん……
だめだー俺は今誰と喋ってるんだー
どうしてこうなった!? 最高の頭脳が集結しているんじゃなかったのか!? こんな会議小学生以下だ!!
ヒステリーの寸前で、谷岡は席を立った。
と、会議室を出たあたりで、必死に駆け込んできたここの職員とぶつかる。
「すいません!! ……ここの会議の参加者ですか?! 大変です!!
青森県でオーロラを観測しました!!」
「そんなことはどうでもいい!! 会議室の室温を上げてくれ!!」