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7. さよならジョニー

 カウンターから奥に入れてもらい、階段を上がる。

 2階が生活スペースになっており、エアリアさんはここに暮らしている。

 つまり女性の家に招かれたわけで。キャミルさんがいるとはいえ、堂々と入っていいものだろうか。

 ……いや、僕は今女性として見られているから警戒されていないのだろう。流石にきちんと明かしておいた方が良さそうだ。

 もちろん変な欲はないけれど、女性の部屋に入るのは初めてなので浮つくのは見逃してほしい。


 何度でも申し上げる。僕の性自認は男性だ。

 何を持ってして男性だと思うかは人によるだろうが、僕の場合は身体的な特徴が挙げられる。


「早速ですがすみません……お手洗いを貸してもらえますか?」

「もちろんどうぞ。廊下の一番奥よ」


 では失礼して……と案内された小部屋に入る。

 トイレの形は洋式と遜色ない。流石にウォシュレットはついていなさそうだが、とても綺麗だ。

 蓋を開ける。便座を上げる。ギチギチに縛ったベルトをほどきファスナーを開ける。

 下着の開放部分に触れたとき、異変に気がついた。



 

 ない。


 ない。



 

「――――――――…………」


 アレが、ない。


 確かに妙にスカスカしている気はしていた。ただ身体が細くなった影響で服に隙間ができ、全身が変化しているせいで「そこ」だけ無くなったとは思っていなかった。

 ないのだ。男性性を象徴する、アレが。あいつが。我が相棒が。


 恐る恐る股間に触れる。

 二次元的にしか知らない、女性性の象徴が、ある。

 叫ぶ元気はない。喪失感。焦燥感。絶望感。

 そして悲しいかな、大人の矜持で、生理現象には抗えない。便座をおろし、着座する。


 ピヨピヨという鳥の鳴き声と川のせせらぎ音を脳内に再生しながら、項垂れる。

 そりゃそうだ、おっぱいが増えて髪が伸びて、どう見ても女性の身体になったと認識していたはずなのだから。排泄器官もそうなるに決まっているだろう。

 だが増えたよりも失ったという方が精神にくる。正確には「変性」なのだが。

 

 人に自慢できるほど立派なヤツじゃなかった。僕自身もそうだ、大したことを成してはいない。

 似たもの同士、苦楽を共にした相棒だった。

 ああ、そうか、お前はもういないのか、ジョニー。


 アルスターに来て2度目の落涙。

 胸や髪やハムストリングスの変化よりも、相棒のいない股間を拭くことが一番辛かった。




◇◇◇




「ええ⁉︎ シオさん……男性なんですかぁ⁉︎」


 喪失感を一人で抱えていられなくて、リビングに戻り次第早々に明かした。


「正確には転生する前が男性で、今は女性の身体になっているようで……どうしてこうなったのかは僕にもわからず。混乱させてしまってすみません」

「言われてみれば、お洋服は男性物っぽいわねぇ。見た目だけで判断してごめんなさい」

「わ、私からもすみません!」

「とんでもないです、紛らわしいのはこちらですから」

「普通の転生者じゃない……ってことなのかしら? でも、お話を聞くのはご飯を食べてからにしましょ。お口に合うといいんだけれど」


 可愛らしいチェックのランチョンマットの上に、スープとサラダ、パン、カットフルーツが並ぶ色鮮やかな食卓。

 食器はホーローと木が主流らしく、金属のスプーンやフォークはない。街灯は金属のように見えたから、単純にエアリアさんの好みなのかもしれないが。

 スープはトマトベースのようだ。玉ねぎやズッキーニ、パプリカといった見覚えのある野菜が入っている。

 獣人や魔物がいる世界の食べ物がどんなものか不安だったが、いたって普通の美味しそうな香りに食欲が刺激される。

 

「どうぞ、遠慮なく食べてね」

「ありがとうございます。では……いただきます!」


 スープを一口。じんわり、暖かさと旨みが染みる。

 自分で適当に作ったものとは美味しさが全然違う。あっさりした味付けで、ハーブの香りもする。ベーコンの塩気と肉感が嬉しい。


「……っ美味しいです、本当に。すごく美味しいです」


 人の作ったご飯ってこんなに美味しかったっけ。そもそも食事を美味しいと感じるのはいつぶりだっけ。

 いや、二人の優しさと暖かさも含めて、なお心を揺さぶるんだろう。

 ゆるんだ涙腺を気合いで締める。


「うふふ、良かった」


 エアリアさんが花のように笑った瞬間、記憶の蓋が開いた。




 子どもの頃、母さんもそうだった。

 美味しいって言ったら、嬉しそうに笑っていた。


 


 そうだ…………誰かと食事を共にするのも、いつぶりだっけ。


 


「エアリアさんのスープ、私も大好きです! クリームのも美味しいんですよ」

「適当に余った食材を入れているだけだから、そんなに褒められると恥ずかしいわ〜」

「お料理できる人はみんなそう言うんですー。……あれっ、シオさん? わわ、どうしたんですか?」

「ずびばぜん、なんか、感情がバカになってるみたいで……」


 ボロボロ泣きながらパンをかじる。

 ジョニーを失った悲しみを上書きする、あたたかな涙。


「あらあら、髪まで食べちゃうわよ」


 何度耳にかけても顔の横に落ちてくる長髪を、エアリアさんがまとめてくれた。

 首の近くを触られ、髪を優しく梳かれるとドキドキする。


「シオちゃんの髪、綺麗な黒ねえ」

「そういえば、街でもあまり見かけませんでした。黒髪って珍しいんですか? 転生者特有とか」

「ふふ、知りたがりさん。まずはご飯を綺麗に食べたら教えてあげるわ。あたたかいうちに召し上がれ」


 それもそうだ。

 知的好奇心を一旦脇に置く。




 和やかな夜が更けていく。

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