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スイッチ:降り立つ純潔

 長い航海を経て久しぶりに触れた地面が、揺れているような錯覚を覚える。

 大きな嵐も時化もなかったものの、二週間近く海上にいるとどうしても平衡感覚がずれてくる。

 銀の百合は、深呼吸する。

 ――街の匂い。緑、人、石、獣、土、花の匂い。

 ようやく戻ってきたのだという安堵が、妙な浮遊感を現実に戻してくれる。


 帰ってきたのだ、ポートリントンに。


 特定の街に籍を置かない銀の百合が、最も長く、多く滞在するのがこの街だった。

 都会というほど都会すぎず、道は整備され食事が美味しく、治安が良く、物価もさほど高くない。

 冒険者が多く出入りするだけあって依頼も宿も数が多く、ギルド職員は仕事に慣れている。


 何よりここには、銀の百合が敬愛するギルドマスターがいる。


(早く顔を出したいけれど。まずは依頼の報告ね)


 彼女に火竜討伐の依頼をしたのは、ポートリントンで最も大きなギルド『グラウンディ』。向かうのはそちらからだと、市役所方面へ歩き出す。

 こちらのギルドマスターも大変頼りになる人物ではあるが、それは大企業の上役等、組織のトップに対する感覚に近い。

 ――面と向かうと、父親を思い出すその風格に身体が強張る。


 できれば相対は避けたいが、大きな依頼を達成したことと長期不在とを考えると、挨拶せねばなるまいか。

 不義理を働いたところで誰にも文句は言われはしないのに。生来の真面目さが芽吹いてしまうと、抗うことは難しい。

 浮遊感を抜けた後だからというだけではない身体の重さを叱咤して、銀の百合は巨大な建物を進んでいく。



 

 銀の百合の男嫌いは、界隈では有名だった。

 せめてもとギルド側が用意した担当者は男性だが、男性にしては背が低く中性的な美しい顔立ちをしている。


「これが火竜の逆鱗か。鱗一枚とはいえ、実物を見られたギルドもそう多くないだろう……貴重な体験をさせてもらって感謝する」


 ルイスという名の職員は逆鱗を眺めながら、伏せた目の奥に熱を抱いている。

 彼の本来の部署は警備だが、例外的に銀の百合の依頼受理を担当している。諸々の言動から察すると不本意だったようだが、上長からの指名は断れない。団体に所属するものの定めだ。

 初めは渋々といった様子だった。そのうち銀の百合が難しい依頼をこなし、世界中の珍しい品を納品し、治安維持に貢献していることを実感したのであろう。また銀の百合にとっても、距離を保ちながら淡々と話し、私的なことに首を突っ込まないルイスは嫌悪感を抱かない貴重な存在だった。

 今ではお互いに、あくまでも大人として、良好な関係を構築している。


 ルイスは手袋越しに逆鱗に触れようとし、やめた。

 魔力を遮断する呪文が織り込まれた布に素早く包み、さらに箱に入れてから、受付完了の手続きを終えた。

 

「本物かどうか、疑いはしないのですか?」

「火を噴くような魔力を放つコレが、偽物な訳もないだろう。溶岩を眺めていると錯覚しそうだ、とんでもないな」

「そういえば、あなたは魔力感知の力が強いんでしたね」

「ああ。まったく最近は魔力酔いの機会が多くて困る。まあ、火竜の方は必要だからいいんだが」

「他にもこういったものが持ち込まれたと?」

「いや、物じゃない。その件もあんたが戻ってきたら要請しようと思っていたんだ。もう少し時間いいか?」


 銀の百合はそっとため息を飲み込み、緩やかに呼吸する。

 休む暇もないのはいつものこと。彼女の力を必要とする者は、この世界にまだまだ多くいる。


「ええ、問題ありません」




◇◇◇

 



 その日、銀の百合が部屋をとったのは、ポートリントン指折りの高級ホテルだ。

 長い冒険の中で、周囲を警戒しながら休憩を取れるようになった。そのため安宿の大部屋でも休めるのだが、ゆっくり身支度を整える時間と場所が欲しかった。

 潮風で痛んだ全身を潤沢な湯で流し、二、三度洗った髪に丁寧にトリートメントを染み込ませる。

 備え付けの石鹸をよく泡立て、身体を磨く。このホテルのアメニティは香りが良い。バスルームに広がる穏やかな蒸気が、銀の百合を「冒険者」から「一人の人間」に戻してくれる。


 人間に戻っても、着替えは冒険者用の軽い鎧にした。

 いつどこで何が起こるかわからない。建物が無事なのは、湯が出るのは、石鹸が使えるのは、人が働いているから。人が働けるのは、街が魔物に襲われないようにギルドや冒険者が治安を維持しているから。この平和を守れているのは、誰かが「仕事」を継続しているからに他ならない。

 だから銀の百合は、自分の仕事を継続するため、冒険者に戻る。銀の百合の日常は、市民の日常とはかけ離れている。

 姿見に映る全身は、年頃の娘というには、冷えた空気を纏っていた。




 街を楽しむ予定を変更し、少々大股気味に石畳を進む。


「リリーちゃん! あらぁ〜帰ってきてたのかい! ウチの店寄って行きなよ、いい魚入ってるよ」

「はい、お久しぶりです。すみません、用事があるのでまた後ほど」

「キャーッリリー様よ!」

「お仕事ですか⁉︎ がんばってくださ〜い!」

「ありがとう。ああ、そこ階段になっていますから、足元に気をつけてくださいね」


 街の人々に声をかけられながら、見知った通りに軽快な足音が響く。

 

 もとより寄るつもりだったギルド『ウインドコット』には、仕事として向かうことになった。

 ルイスから共有された誘拐事件の解決が、次の依頼内容だ。被害者の子どもであるエルフの双子が、ギルドマスター・エアリアのところに身を寄せている。

 それからもう一つ。



 

(…………新しい転生者、か)




 エルフの誘拐事件はその転生者が持ち込んだものという話だった。 

 歳は20〜30くらい、黒髪の成人女性。二週間ほど前に転生してきたばかりだという。

 明け透けすぎるだの羞恥心がないだの態度が大きいだのとルイスは色々と喚いていたが、その点は自分の目で確かめるつもりでいる。それよりも。


「…………エアリアさんに認められるほどって、どんな人なのかしら。しかも数日で」


 ウインドコットのギルドマスター。銀の百合が敬愛する女性。

 彼女は銀の百合が知る限り、ずっと一人でギルドを切り盛りし、従業員を増やしてこなかった。

 それを今になって、そしてよりにもよってアルスターのことをほとんど知らない転生者を。


 女性でよかったと思う。

 ――男性であれば、嫉妬に似た感情で、文字通り切り裂いてしまうかもしれない。


(言葉は通じているのかしら。どんな権能を持っているんだろう。

 黒髪ってことはアジア系……日本人の可能性もあるのかな)




 銀の百合の男嫌いは有名である。

 だが。



 

「……………………すごく好みのタイプだったらどうしよう」




 女好きということは、あまり知られていない。

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