2. 探索、邂逅、からの逃走
水面に映しながら、改めて自分の顔に触れる。
毎日見てきたソレとパーツは似通っているが、どう見ても女性だ。
というか、直近の記憶ではこんなに健康そうな艶やかな肌ではなかったと思う。
なぜ。
たくさんのなぜ、が頭を駆け巡り、何ひとつ答えが出ないまま、何度もなぜ、と繰り返す。
――性転換してしまったのか?
――ここはどこなのか?
――誰かいないのか?
――夢なのだろうか?
――僕は死んだのか?
現実逃避を続けても、冷たい風が長く伸びた髪を揺らすだけだった。
呆けていても仕方がない。
どんな形だろうと、僕は今意思を持って生きている。名前は塩沢 梓。25歳。日本人。男性……だった。
人に会えた時用にと名刺を探したが、内ポケットは空だ。というか、服とメガネ以外は何も持っておらず、周りに落ちてもいない。
手ぶらで森の中に一人。なかなか絶望的な状況。水は後ろの泉があるが、飲み水にできるかはわからないし、やめておいた方が無難だろう。
辺りに食べられそうな実がある雰囲気でもない。季節が春っぽいせいもあるかもしれない。……それでなくとも、ここがどこなのかわからない内は、その辺のものを食べるのは危険だと思う。
となると、食糧が手元にないことにいよいよ危機管理意識が向く。
意を決して立ち上がる。矢先にスラックスがずり落ち、あわや下着を露出しそうになった。
そういえば下着……は、男物のままになっている。
ウエストが細すぎてベルトの穴が足りない。二重にできるほど長くもなく……無理やり縛ってなんとか固定する。
身長も若干縮んだのか裾が長いので折る。靴も大きいが仕方がない、代用できるものがないし、これから自然の中を歩くのに裸足になるのは危険だ。革靴じゃないだけマシだろう。
髪は邪魔くさいが、こちらも縛れるようなものがなく、そのまま無造作に降ろしておくほかない。
とりあえず、話の通じる人間を見つけなければ。
今いる広場のようなところから獣道が一本見えるので、そちらに向かってみる。
(……蛇とか、猪とか、熊とか、変なものに遭遇しませんように)
◇◇◇
カポカポと踵が抜けるスニーカーが、何とも地に足がつかない浮遊感をもたらし、知らない景色と相まって妙な興奮をもたらす。
元々植物に詳しいわけではないが、枝の伸び方や葉のつき方等「構造上こうだろう」という予測はつくものだ。だがどうだ、この森は。重力を無視して下に向かって生える幹、イルミネーションのように色を変える花、真四角の葉、数珠繋ぎの蕾。
一言で言うなら「おかしい」。ありえない在り方をしている。熱帯のジャングルにだってこんなものはないだろう。
植物だけじゃない。オニヤンマくらいのサイズのトンボ(らしき虫)が団体で飛び、鳥(らしき生き物)がキリリと鳴いている。
この時点で僕は、日本じゃなくてもどこかの外国にいるのでは、という考えを改めた。
恐らく……いや確実に、僕は今「地球ではない」ところにいる。
深夜に見るでもなくつけたテレビでやっていたアニメのような、ファンタジーな空間に身を置いている。
夢ならばと思っても、軽く頬をつねった痛みはリアルだ。
言葉を扱う生物に会えたとして、楽観的に接するのは早計かもしれない。
民族間の問題は地球にだってたくさんあった。環境が違えば価値観が違うのは当たり前。名曲もそう言っている。
その上ファンタジー世界だと仮定すると、僕がもつ知識の中では、ヒト型をしていても人間に敵対心を持つ種族がいたはずだ。ドワーフとかエルフとか。
他所の国どころか他所の星から来て、日本なんて聞いたこともない国出身だとのたまい、挙句本当は男なんだけど今は女なんですぅ! ……などという奴を信用できるわけなくないか。
捕まって投獄されたらどうしよう。もしくはその場で即……ということも……。
かといってこのまま森を彷徨っていても、捜索願いが出されているわけがないし野垂れ死ぬのは確定だ。少しでも生き残る可能性があるなら、投獄だろうが尋問だろうが受ける覚悟で移動した方がいいだろう。
坂が少なく、岩場が目立つ場所に出た。左右に大きく割った岩の間に道が続き、苔むして少しひんやりとしている。大自然の中にいながら、湿度の高い空気は真夏のコンクリートダンジョンを思い出す。
とても静かだ。
――ペちょり。
液体が頬に触れる感覚。
にわか雨か? とソレに触れると、雨というにはねばっこい。
指で掬ってみれば、見慣れぬド派手な水色。
指同士を合わせて離すと橋がかかる。……この感触、子どもの頃に触った記憶がある。
「…………スライム?」
それにしてはやや固まっていない感があるが。
当然上を見ると、迫り来る岩壁の上で何かが動いている。
何かというか、ド派手な水色の液体が。ひとつ、ふたつ……たくさん。
CG? もしくは電池でも入ってる? まさか、生きてる? 粘菌のすごいやつ?
本能的に離れようと後退りしたところで、スライム(暫定)は崖の上からべちょべちょと地面に落ちてきた。
「うわっ⁉︎ ちょ……」
そのうちひとつが、払おうとして前に出していた僕の手に乗った。デロっとした感触がだいぶ気持ち悪い。
気持ち悪いで済めばまだ良かった。
「っ痛て……っ」
ザリ、と肌を擦られた感覚で、反射的に腕を振ってスライムを振り解く。剥がれてべちんと壁に当たり地面に落ちたそれは、何事もなかったかのように再度動き出した。
噛まれたというか、垢すりのように肌をこそげ取られたような。見た感じ出血したり傷になっているほどではないが、ジンジンと痺れている。
やや透明な物体に歯のようなものは見えないが、現実の痛みが恐怖感を煽る。
一歩下がれば一歩分近寄ってくる。明らかに僕に向かって動いている。
――こいつらまさか……僕を喰おうとしている……?
地面を這ってにじり寄ってくるゲル状の物体になす術無く。
本来の進行方向へ向かって走り出す。
蛇や猪や熊ではない。即死に繋がらないだけマシだったかもしれない、けど。
「変なものにも遭遇しませんようにって、祈ったのにーーーーーーっっ‼︎」