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20. 辛くて何が悪い

 僕と母親については、出会って一日目、ないし二日目の人に話す内容ではない。

 詳細は伏せ、実家を出たことと母を亡くしていることをかいつまんで伝えた。

 同情こそされたが、内容を省いたこともあって思ったよりも軽めに捉えてもらえた。

 アルスターは魔物がいる世界で、魔物に襲われて命を落としたと思わしき話も聞いている。僕が生きていた頃の日本よりも、こちらの方がずっと死が近いせいもあるかもしれない。


 数をこなすと慣れていく。

 不幸にも。




 ◇◇◇




 健康診断の結果が問題なかったため、改めて市民登録の手続きのために市役所へとんぼ返りする。


「シオちゃん、ご家族を亡くされていたのね」

 

 隣を歩くエアリアさんが遠慮がちに尋ねてくる。

 

「楽しい話でもないので……機会があれば言うかも、くらいでした。すみません、空気を重くしてしまって」

「謝ることじゃないわよ。それに4年前って言っていたでしょう? 最近じゃない」

「そう、でしょうか。3回忌も終えていたし……ある程度区切りはついていると思っていて」


 エアリアさんが困った顔をしている。

 個人的なことで心配をかけたくはないんだけれど、優しいからなぁ。


「本当に、大丈夫ですよ。そりゃ悲しかったですけど……。

 でもほら、派遣業やっていたって言ったじゃないですか。そこって色んな人が仕事を探しに来るんです」


 本当に色々な求職者がいた。

 

 激務で精神を病み、再起のために短時間から働きたいという人。

 親に連れられて面談に来た、中学から引きこもっている人。

 お子さんが学校に通える年齢になったからと、少しでも家計の足しにしたい人。

 責任を持たず、楽に稼ぎたい人。

 通院が欠かせず、平日休みが取れるシフト勤をしたい人。

 あがり症で、面談で一言も喋れない人。

 夢のために、趣味の時間を確保したいが働かないと生きていけない人。

 どこにも馴染めず転職を繰り返しているが、正社員を目指したい人。

 服が買えず、学生時代の制服でやって来た人。


「みんなそれぞれ事情を抱えていて、辛い経験をした人も多かったです。そういうのを見ていたら、僕だけ辛いなんて言っていられなくて。

 それに求職者さん達が頑張ってるのを見て、僕も落ち込んでいられないなって思えるようになったんです。だから今は大丈夫ですよ」



 

 言い終えたところで、エアリアさんが隣にいないことに気がつく。数歩後ろで立ち止まっていた。

 橋の上。通り抜ける風に潮の香りが混じる。




「やっぱり、あなたは私に似ているのね」


 自嘲を含んだ微笑みが、あたたかくもむず痒い。

 エアリアさんが海の方向へ顔を向けたので、僕も合わせてそちらを見る。

 薄曇りが少し晴れて陽光が強く感じられ、水面の輝きに目を細める。

 

「ねえシオちゃん。周りのみんなが大変な思いをしていることに気づくってね、できる人はそんなに多くないと私は感じるの」

「そうなんでしょうか? いや、でも確かに……全然周りが気にならない人っていますね」

「だからね、事情を聞いて、ああそうなんだ大変だったね、頑張ろうねって思えるのは、シオちゃんのいいところよ」

「いやあそんな……」


「けどね。人と比べて、自分の辛かったことに蓋をしなくてもいいのよ」


 エアリアさんと目が合う。

 アメジストみたいに透明な紫色がキラキラしていて、綺麗さだけでなく、見透かされている感覚で心臓が高鳴る。


「シオちゃんより辛い境遇の人がいたとして、シオちゃんが落ち込んじゃダメな理由はないんじゃないかしら。

 だって『その時』のあなたは、確かに辛かったんでしょう?」

「…………………………はい」

「間違っていたらごめんなさい。私には、シオちゃんは自分の辛さを受け入れたのではなく、見ないようにしているように感じるの。

 一時的にそうするのは、状況によって必要なことだと思う。けれどずっとそうして生きていくと、いつかどこかで壊れてしまう。

 ……私にも覚えがあるわ」


 風が耳元を滑る。

 一瞬冷えた後、かき消すように体温が高くなる。



  

「………そうしないと、動けなくなりそうだったんです」


「うん」


「もっとこうしていたら、あの時ああしていたらって、後悔ばっかりなんです」


「うん」


「同じように親を亡くした人とも会いました。事故だったり事件に巻き込まれたりで、僕よりずっと悲惨な別れ方をしている人もいて。

 でもみんな笑顔で毎日頑張って働いていて、勇気をもらったのも確かなんです」


「うん」


「どこかで……でも僕は、僕と母さんのことは、僕の中だけの思いで……わかっていたけれど、僕のためにって母さんがお金を残したのは、僕が生きるためだったから……やさぐれてちゃダメだって……」


「うん」


「思い出したら、しんどくなりそうだったから……でも、思い出さないようにするのも、薄情な気がして……考えないようにして……進めなくて……」



 

 昨夜のように頭を優しく抱かれながら、言葉を紡ぐ。

 誰にも言えなかった。一人で頑張らなくちゃと思っていた。

 その考えが、母との別れにつながったというのに。



 

「みんな大変だった。シオちゃんも大変だった。みんなもシオちゃんも、頑張ってるわね」

「…………っはい。……僕も、大変だったし………………っ頑張ってます」

「私もね、頑張ってるのよ?」

「はい、エアリアさんも頑張ってます。絶対頑張ってます」

「うふふ、ありがとう」




 今が辛くないから。周りも頑張っているから。

 それでも『あの時の僕は辛かったんだ』と、思っていていいんだ。




 ◇◇◇

 



「いつかエアリアさんの話も、聞いていいですか?」

「私の?」

「辛かったことを人に聞いてもらってもどうしようもないと、今まで思っていたんです。解決できないことを人に言ってもしょうがないと。

 でもそうじゃなかった。少なくとも僕は、エアリアさんに寄り添ってもらえて、母との記憶が辛さだけじゃないことを思い出しました。

 ……僕に似ているというなら、エアリアさんも過去に何か辛い思いをしたのではないですか?」

「ええ、色々あったわ」

「……いつか僕が、もっと頼れる男に……いや、厳密には男じゃないですが……頼れる人間になったら。

 今日みたいに、エアリアさんがしてくれたみたいに、ただ聞いて、大変だったんですねって寄り添えるようになったら。

 エアリアさんの気持ちが、今よりもっと晴れやかになることは、ありませんか」


 アメジスト色に光が反射して、今まで見た中で一番、少女のようにあどけない笑顔が花開く。

 ガバッと抱きしめられて、大変豊満な双丘が顎を捉える。下を向いたら埋もれそうだ。


「ありがとうシオちゃん。その気持ちがまず、もう嬉しいわ」

「〜〜〜ッッ⁉︎ え、エアリアさ……っちょ、あの」

「いつか話させて。面白い話ではないし、刺激が強い内容でもあるわ。でもきっと、シオちゃんに話す時が来ると思う」

「わ、わかりました、任せてください! その前に別の刺激が強いのでとりあえず離してもらえますでしょうか!」

「あらまあ。もー、女の子になったんだから、スキンシップには慣れていかないと困っちゃうわよ?」

「はぁ……はぁ……、女性のこの距離感は一体なんなんですか……」




「さて、役所に戻る前にお昼ご飯にしましょうか。シオちゃん、海の幸は好き? せっかく港付近まで来ているんだもの、美味しいお店紹介しちゃうわよ」

「好きです、出身が島国だったので海鮮も身近でした。でもデリックさんが待っているのでは?」

「いいのいいの、待たせておきましょう。心配いらないわ、冒険者時代にこちらがどれだけ色々待たされたことか……。

 手続き再開だから長くなるし、食べて元気回復して挑みましょ! ほらほら、お昼の営業が終わっちゃう!」



 

 手を引っ張られながら石段をかけていく。

 ご飯の話をされたら、途端にお腹が空いてきた。


 海鮮……。刺身の端切れの盛り合わせパックみたいなやつで、母さんが海鮮丼を作ってくれたことがあったな。

 なんだか豪華で、いろんな魚の味がして美味しかった。あれから何かと、節目には刺身を食べていたような記憶がある。




 ああ、そうだ。忘れようとしていたわけじゃないのに。

 辛い記憶だけじゃなく、思い出にも全部蓋をしてしまっていたのかもしれない。



 

「アルスターの海鮮ってどんな感じなんでしょう? 地球と同じ魚はいるんでしょうか? 楽しみです」

「うふふ、いつもの知りたがりさんが戻ってきたわね」


 アルスターで得た体験を、いつかあの世で再会したときにたくさん話したい。

 今度は素直に、そばにいられなかったことを後悔していると、違う関係を話し合えたら良かったと。

 でも女性になってしまっている僕を母は認識でき……――――。


「…………ん?」




 僕は日本で死んで、アルスターに転生してきた。

 強い願いを持つ者が転生する。願いの種類や強さは未知数。人種性別、時代も不明。


 なら、母さんは……?

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