1. 成人男性、テンセイす
――僕の身体は今、女性のソレと遜色ない。
逆に、男性の象徴たる諸々を失ったと言ってもいい。
再度明かしておこう。僕は日本では男性として生きていた。昨今何かと話題になっていた性自認についても男性だった。
だが今はどうだ。声は高くなり、髪は伸びて邪魔なのでポニーテールにし、手脚は細くなり、胸に大きな脂肪がついている。自転車通勤で鍛えられたハムストリングスは衰え、ムチムチと触り心地の良い太ももがそこにある。
病める時も健やかなる時も共にあった相棒の姿はどこにもなく、転生初日は与えられたベッドで声を殺して泣いた。いや、2、3日泣いた。
命あることに感謝すれど、それはそれ、これはこれである。愛しのジョニー。25年間ありがとう。
ともかく僕の精神というか魂というか、それは男の時のままなのだが、ガワだけ女性になってしまっている。
前述の通り転生条件には『強い願いを持つ』ことが含まれているらしいものの、女性になりたいと思ったことはない。
ない、のだ。どちらかといえば逆の願いだったはず。
転生前のことと、転生後すぐのことを思い起こす。
◇◇◇
日本で派遣会社の社員として働いていた僕。転生時は25歳。
名前は塩沢 梓。女性につけられることが多い名前だが、これが僕の本名だ。
夜中に自転車で交差点を渡っている最中、不注意運転の車に撥ねられて……恐らく僕はそこで命を落とした。
深い眠りからビクッと意識が戻ったような感覚。
そこで僕が最初に見たのは、風に揺れる大きな木。葉擦れの音。髪を撫でる風。
冷たいアスファルトに転がったはずの身体は、柔らかな草の上にあった。
身体を起こすと痛みはないが、少し頭がボーッとする。周囲を見渡すとどこかの森の中のようで、全く見覚えがない。
まさか……あの運転手が事故の隠蔽で埋めようとした? 隠蔽工作で山に死体を埋めるというのはミステリーの定番だ。
突拍子もない発想だが、パニック故のこと。とはいえ僕以外にひと気はなく、静かなものだった。
埋められる心配はしなくてよさそうだ。
そして何というか、本能で、感覚で。少なくとも今いる場所が、いつか登った山の空気と違うと確信していた。
ここは下手すると、日本じゃないかもしれない。
まず木が不可思議な形をしている。
僕がいる場所に向かって四方八方から枝を伸ばしており、何らかの意図を感じるのに、人の手が入っているにしては生え方が乱雑だ。街路樹のような整然さはない。なのに、枝は整えたかのように美しい放射状になっている。
状況は一見不気味だが、明るい日差しが葉の隙間から漏れて、神々しさすら感じる。
やけに綺麗な円形の草原は、何かの儀式を行う場のようにも見え、奥には睡蓮のような花が浮かんだ泉が湧いている。
人ならざるものの気配に動悸がする。
それから鳥。姿ははっきり見えないが、枝の隙間で尾と翼のついたものが動いたので恐らく鳥だろう。
ピイピイでもギャアギャアでもホウホウでもなく、バイオリンでビブラートをかけたような音がする。オノマトペでいうと「キリリリ」というイメージか。そんな鳥は記憶にない。
ともかく、改めて実感する。ここは日本ではない。
状況確認を優先し自分の確認をしていなかったことに気付き、顔に触れる。
――何だかいつもより、頬が柔らかいような。
最近は残業続きで食事もおろそかになり、痩けてきたことを同僚に心配されていたはず。
顔を触るのにあげた手首とシャツの袖に隙間ができている。指が細い。ここまで痩せていただろうか? いや、でもこれは不健康な痩せ方というより……。
ジャケットも何だか大きい。スラックスが緩い。ベルトの締め付けを全然感じない……縮んでいる?
いや、違う。これは……。
見下ろした先で、やけにたわわに実っている双丘を持ち上げる。
もにゅりとしたつかみ心地。
これは…………これは、おっぱい、なのでは?
「えっ⁉︎ あ、んん⁉︎ ……あー、あー。え、声高っ」
思わず出た声にも驚く。声変わりする前はこんな風だっただろうか。自分の声じゃなくなったみたいだ。
気が動転して大きく首を振った拍子に、さらりと掠める黒い髪。
怯んだが、一連の流れからそれが自分のものだと思い直し、手にとってまじまじと見てみた。
触り心地は馴染みある硬さ。軽く引っ張ると自分の頭に刺激がある。明らかに僕から生えている。
確かめた全てが「そう」だと告げているが、一縷の望みをかけて、泉に顔を映す。
見た目はもしかしたら、出勤前に見た覇気のないやつれた男の顔かもしれない。
恐る恐る覗いた水面は無慈悲だった。
「…………ぁ……」
そこにいたのは、確かに、女性になった僕だった。