12. 魔法の世界、一日目
「ほら、動かないで。そのままでいてくれればいいの……」
艶かしい声色が耳奥に届く。
急展開すぎて混乱しつつ、期待感を煽られるのは許してほしい。
綺麗で優しい女性に、背後から触れられるなんて経験したことがない。それ以前に、女性とハプニング以外で触れることはなかったレベルなのだ。
「あ、あの、その、何をするんですか……?」
緊張して、肩にかけっぱなしだったバスタオルを胸の前で合わせる。
妙にモジモジしている僕を見て笑うエアリアさんが小さく「かわいい」と呟いたのが聞こえて、顔がどんどん赤くなる。
「え、エアリアさん……っ」
「ふふ……いくわよ?」
どこへ⁉︎ どこへ行くんですか、エアリアさん……僕をどこへ連れて行くんですか――――っっ⁉︎
ふわり。温かな風がうなじを撫でる。
ドライヤー? と思ったが、先ほど手ぶらだったはずだし。今いる場所は壁から離れていて、電源を取ってもいないようだが。
驚き振り向く。
「……えっ」
エアリアさんはやっぱり手ぶらだった。
ただし僕の髪には温風が当たっている。
エアリアさんの両手から出ているとしか思えなかった。
「うふふふ、ビックリした〜?」
「…………っ⁉︎ え⁉︎ なんで……何⁉︎」
「あらあらあら、そんなに驚かれると新鮮だわ。シオちゃんのいた世界ではなかったんですってね、魔法」
「これが魔法‼︎⁉︎」
魔法って、アブラがなんちゃらビビデがどうちゃらのアレと想像していたが、呪文とか詠唱とかは特にいらないのか。
「なんですか魔法って?」
「言葉で説明するのは難しいわね。うーん、人によって得意な系統は異なるもので……道具があれば誰でもできるもので……道具がなくてもできる人は稀なもの……かしら?」
「ええと……エアリアさんは道具がなくてもできる人、ということでしょうか」
「そうね。私は風を扱うのが得意なの。だからこうして髪を乾かすのも便利でしょ?」
便利という一言で片付けていいレベルではないと思うが。
こんなに大層なものを僕の髪を乾かすことに使っていいのだろか。
人智(現代日本基準)を超えた出来事に知識欲がうずく。
「才能? 人種による? 風を起こすだけでなくあたたかいということは熱エネルギーが発生していて……得意分野と異なる系統を同時に出せるということ? 道具を使えばいいにしてもエネルギー源は……」
「もぉ〜〜、知りたがりさんも行きすぎると頭爆発しちゃうわよ! 今はリラックス、リラックス。もう寝る時間なんだから、思考も休ませないとね」
温風と共に頭皮を指の先でわしわしされる。
あああ、マッサージされているみたいでめちゃくちゃ気持ちいい。口が緩んでよだれが出そう。
「シオちゃんの髪、綺麗ねえ」
「男だった時は短かったので、洗うのがすごく大変でした。なので切ってしまおうかと思っているんですが」
「あらー、もったいないわねぇ」
毛先まで緩やかに、風が何度も撫でていく。
気持ちよさと疲れのコンボで、首がカクンと船を漕ぐ。
いけないいけない、乾かしてもらっておきながら寝るなんて。
「……エアリアさんはどうして、見ず知らずの僕に、こんなに優しくしてくれるんでしょうか」
「ふふふ、今更ね」
「キャミルさんもですけど……なんか、人のお世話になるの……久しぶりで……僕は、どうやってお返しをしたらいいのか……」
瞼が重い。
手櫛の感触が気持ちいい。
「どうして、なんで、でいっぱいでしょう。でも今はいいの」
「…………」
柔らかいものが頭に当たる。
眠気で傾いた僕の身体をエアリアさんが支えていると気付いても、意識はあれど肉体が先にスリープモードに入って動けない。
風はとうに止んでいたが、頭に温かな手のひらが乗っている。
「……おやすみなさい、シオちゃん。また明日」
◇◇◇
覚醒。起床。周囲確認。
カーテンの隙間が明るい。どう考えても日付を超えて朝になっている。
僕はベッドに寝ていたようだが……全く記憶がない。
薄ピンク色の布団とタオル地の枕カバー。いい匂い。
部屋には花が飾られ、装飾が施された本棚やクローゼットがある。椅子の背もたれにカーディガンがかかっていて、机の上には僕用の着替えと思わしき、きちんと畳まれた服。
お客様用の部屋……ではないだろう、絶対。
ここ、エアリアさんの部屋だ。
つまり僕は昨夜、エアリアさんのベッドで寝……。
ドバンとドアを開けると、部屋の持ち主はキッチンで朝食作りをしていた。
「あらおはようシオちゃん、早いのね」
「すみません‼︎ 僕昨日、あのまま寝落ちて……‼︎ ベッドもお借りしてしまって本当に‼︎ おはようございます‼︎」
青ざめながら頭を勢いよく下げる。
女性の部屋にお邪魔するだけでなく寝床を奪って朝まで起きないなんて、なんという失礼な。
しかも居間で寝落ちていたんだから、エアリアさんが運んでくれたということになる。
なんという……一日に二度も、別の女性に運んでもらうなんて…………。
「いいのいいの。ずっと一人暮らしだったし、友達もしばらく来てなかったから、お客さん用のお部屋がなくってね」
「とんでもないです。あの……エアリアさんは昨夜どちらで……」
「そこのソファで」
「大変ッッ申し訳ありません‼︎」
連続謝罪。
「も〜、大丈夫よ。私も昔冒険者だったの。立っても寝られるんだから、ソファで寝るくらいなんともないのよ。それより着替えて、朝の支度をしてきたらいいわ。
シオちゃんが着ていた服は今のあなたにはサイズが合っていないし、汚れていたから洗っているところなの。私の服で我慢してくれる?」
「我慢なんて! ありがとうございます、お借りします」
部屋に戻り、用意してもらった服の山を見る。
気を利かせてくれたのだろう、スカートではなく両足を別々に通すタイプだった。この形はガウチョパンツ、というんだったか。
山の頂上に、半透明のビニールのような袋に入った、何やらゲル状の物体がある。
湿布の貼り付け面とか、熱を出した時に額に貼るアレのような柔らかさだ。
これは……服? なのだろうか?
「エアリアさん。すみません、これはなんですか?」
「ああそれ?」
わからないものは聞くに限る。
「スライムよ」
聞かなきゃよかった。




